恵まれない生徒

エストニアや上海、ベトナムの恵まれない生徒が西欧諸国の平均的な生徒と同等の学習成を出せるならば、なぜ他の国の貧困層が、エストニアや上海、ベトナムと同じ成果を出せないと言えるのでしょうか?

通う学校や住んでいる国によって、似たような社会的背景を持つ生徒でも学習成果に大きな違いが見られるようです。恵まれない生徒が成功する国や地域は、社会的不平等の緩和に成功しています。幾つかの国や地域では、最も才能のある教員、最も困難を抱える生徒、最も優れた学校管理職を最も恵まれない学校に集め、成功するために必要な支援を与えています。彼らは全ての生徒に高い基準を適用し、挑戦し、全ての生徒と向きあっているのです。背景の異なる生徒に奇り添いながら、最も適切で効果的な学習指導方法を用いるのです。

全ての国に優秀な生徒はいますが、全ての生徒が優秀な国はありません。教育によるさらに大きな公平性の達成は、社会主義として重要であるだけでなく、より効率的に資源を使用し、全ての人々が社会に貢献できるようにするための方法でもあります。結局のところ、最も弱い子どもたちをどのように教育するかは、社会の在り方を反映しているとシュライヒャーは言うのです。

アメリカ人批評家は、「恵まれない生徒が非常に多いアメリカでは、教育の国際比較をおこなう意味がない」と主張しているそうです。しかし、実際にはアメリカは他国よりも多くの社会経済的利点を持っています。ほとんどの国に比べて裕福であり、教育に多くの予算を投じています。高齢のアメリカ人は他のほとんどの国の人よりも教育水準が高く、それは生徒にとって大きな利点です。実際、アメリカの社会経済的に恵まれない生徒の割合は、OECDの平均値にほぼ等しいそうです。

これまでのPISAによると、アメリカでは社会経済的に恵まれないことが生徒の成績に大きな影響を与えたと言えるそうです。言い換えれば、アメリカでは、異なる社会経済的背景を持つ二人の生徒の学習成果の違いが、他のOECD加盟国よりもはるかに大きいということだそうです。

しかし、ここがこの物語の面白いところだとシュライヒャーは言うのです。アメリカのPISAの結果は、学校ごとの成果の格差が人生の機会の不平等につながり、社会的流動性を低下させる悪循環につながることを示しているというのです。

アメリカでは2006年から2015年における社会的背景と生徒の成績との相関が他のPISA参加国・地域よりも弱いのです。これは、どういうことか考えてみると、こういうことがわかると言います。2006年には、最も恵まれない15歳の少年のうち5人に1人が科学的リテラシーで優れた成績を残しました。2015年には3人に1人がそうすることができたのです。つまり社会的流動性が増し、アメリカン・ドリームを実現する可能性がある生徒の割合は、10年で12%増加したのです。

恵まれない生徒” への8件のコメント

  1. なるほど、「アメリカン・ドリームを実現する可能性」は「社会的流動性」の増加と比例するかも、ということですね。「アメリカンドリーム」、1950年代から1970年代までその夢を叶えようと世界中から人々が米国に向けて流れていった時代。戦後生まれの私の父母世代にとって米国は憧れの国だったでしょう。あの国のように自分たちの豊かになる夢を叶えたいと遮二無二働いた時代だったでしょう。そしてその結果「一億総中流社会」という今では信じられないような社会状況が日本において出現しました。がんばれば、中流の生活ができる。運が良ければ、その上を目指せる。社会流動性が高い社会は人々の暮らしも相対的に向上するのでしょう。「社会的流動性」、このワードをキーとしてこれからの社会を考えてみるのもあり得るかなと思ったところです。

  2. 「教育によるさらに大きな公平性の達成は、社会主義として重要であるだけでなく、より効率的に資源を使用し、全ての人々が社会に貢献できるようにするための方法でもあります」とありました。オードリータンという方の存在を塾で知りました。とても素晴らしい人ですが、もしかすると日本にもあのような革新的な人はいるのかもしれません。すごいのは、あのような優秀な人を閣僚にすることができることだなと思ってしまいます。日本の政治をみるとどうでしょうか。本当に優秀な人が、、、というより、、、なんとも悲しくなります。アメリカというのは個人の力が評価される国であるという印象を持っているので、社会的流動性もそれなりに高いのかなと想像しますが、少しずつ向上しているという感じなのですね。各国のことを割とイメージだけで決めつけてしまっているので、このように丁寧にその国のことを解説していただけるとまた印象が変わってきます。

  3. 自宅にはテレビが無いもので、正月に帰省した際に好きな番組の録画を見ました。その中の一つ、NHKのプロフェッショナルに、教育系YouTuber葉一という方が出ていました。
    小学一年生から高校三年生までの科目をとても分かりやすく教えてくれるようです。ある学校へ出向くと、生徒たちから歓声があがり、サインを求められる程の人気ぶりです。保護者のインタビューでは「最初はスマホばかりを見ているから本当に勉強しているのか心配していたが、今ではとても感謝している」とのことでした。もちろんYouTubeだから無料で受けられます。

    何かを変えるのは、方法ではなく人なのでしょう。社会が変わるのは、人が変化するからだと考えます。政策やシステムが変わらなくても、人が変化し、社会が変わることで、恵まれない生徒にも学ぶ機会が開かれていく予感がしています。

  4. 乳幼児教育への取り組みを積極的に行なっている国というのは、経済的にも社会的にも発展して成熟している印象があります。それは、子どもは社会的弱者であると言われているように、そこへの関心や取り組みが、不平等や性差別などへの関心にもつながっていくのでしょうか。「恵まれない生徒が成功する国や地域は、社会的不平等の緩和に成功しています」とあるように、恵まれていない子どもであっても、必要最低限の養護と教育環境が整っていれば、社会的にも経済的にも成功することは可能であるということでしょうか。そして「PISAの結果は、学校ごとの成果の格差が人生の機会の不平等につながり、社会的流動性を低下させる悪循環につながることを示している」ともあり、成果や成功などの定義付けが最優先されることを感じます。

  5. 「最も弱い子どもたちをどのように教育するかは、社会の在り方を反映している」とありましたが、子どもという未来に対して向き合うことができないと、社会が良くなるわけはありませんね。アメリカの「恵まれない生徒が非常に多いアメリカでは、教育の国際比較をおこなう意味がない」というのは、あえて他の国を見せず、努力すれば、成功につながる環境を整えることで、アメリカンドリームという夢を追える国を作っているという所でしょうか。

  6. 「恵まれない生徒が成功する国や地域は、社会的不平等の緩和に成功しています。」とあります。ただし、アメリカのように、社会的流動性が増すことで、恵まれない子どもたちが優れた成績を残すこともみえてきたのですね。これはやはり社会構造と子どもたちの成績や教育というものに因果関係があることを示唆していることが伺えます。思えば、近代国家になって、身分制度が無くなったことで、優秀な人は優秀な人材として世に出やすくなっていた世の中なのでしょうが、まだまだ、多かれ少なかれ、それが行き届いていな社会でもあるのでしょうね。どこか教育は社会とは別物と捉えられていることがまだまだある中で、この繋がりを理解し、今行われている教育が社会に出てどのように生かされるのか、そういった実感を持つことで変わってくるのかもしれませんね。

  7. 〝最も弱い子どもたちをどのように教育するかは、社会の在り方を反映している〟という言葉が印象に残りました。歴史や世界の情勢をみていても、子どもたちをどのように扱っているのかというので、その国の成熟度というか、幸せ度みたいなものがわかる気がします。子どもたちをみていくには、先の見通しが必要不可欠なものだと思いますので、その部分がないと成熟度みたいなものは高まってこないのではないかと思いました。さらに、アメリカン・ドリームと社会的流動性がつながるということが内容からみえてきましたが、社会の在り方ともつながってくるのでしょうか。

  8. 優秀な生徒、そうでない生徒、学校という基準や学業との相性でどうかその人の人生が左右されないことを願ってしまうような気持ちが湧きます。学校が子どもの芽を摘むような場所になってほしくないことを改めて思うと同時に、子どもを見守る保護者もまた、学校での出来事、特に成績に関して思うところなのですが、一喜一憂せずに、あまり悲観的にならずに子どものことを信じてあげてほしいと思います。その成績がその子の後の人生にそれほど影響しない可能性も決して小さくなく、やはりそう理解する為に大人も学びを続けることは大切なことだと改めて思えてきます。

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