多くの工夫

1990年代の終わりに、日本では「ゆとり教育」を進め、教員はこの目標に賛成していましたが、彼らがこの目標を教室で実践するための十分な支援を政府や地方の教育行政から受けることはありませんでした。また、特に中学校の教員は、過去に効果的であると証明され、日本のテスト制度によって評価されてきた実践から逸脱することに消極的でした。

そして、2003年のPISAで数学的リテラシーの低下が明らかになったとき、保護者は、「ゆとり教育」という新しい学習指導要領が子どもたちの前途に横たわる問題を解決するために用意されたものだと信しられなくなったのです。彼らは、子どもの教育で不足だと感じたものを埋めるために、これまで以上に塾に関心を持つようになったのです。多くの人々は、2006年から2009年の間にPISAのような構造化されていない、オープン形式の問題解決の能力において、日本が他のどの国よりも早く改善に取り組んだことに気付いていなかったとシュライヒャーは見ています。PISAの問題解決能力とは、「ゆとり教育」が強化しようとした創造的で批判的な思考スキルを引き出すものだったのです。しかし、改革は揺り戻しの方向に進み、この数年で学習指導要領の内容量が再び重視されるようになっていってしまったのです。

他の国々では、カリキュラムにより多くの内容を加えることで、生徒が何を学ぶべきかという新たなニーズに応えてきました。その結果、教員は教科の大量の内容をほとんど深めることなく突き進んでいくことになったのです。教育内容の増加は、教育制度が新たに生じたニーズに応える簡単な方法ですが、その一方で教育内容の削減は難しくなります。

保護者は自身が学んだことを子どもも学ふことを期待しており、教育内容の削減は教育水準を下げるものだとみなすでしょう。カリキュラムが緻密でなく、規範的でない場合、教員の仕事はより難しくなります。生徒の理解を深めるために、より多くの工夫が必要になるのです。

シュライヒャーはPISAを通して、このことを直接学んだそうです。2008年の金融危機後、政治家は学校での金融教育を強化するために、これらのスキルをPISAに盛り込むことを求めました。それは、金融教育を増やせば、生徒の金融リテラシーが向上するという仮説に基づくものです。しかし、2014年に最初の結果が報告されたとき、生徒の金融リテラシーと彼らがどれくらい金融教育を学んでいるかとの間には関係はありませんでした。PISAの金融リテラシーでトップの成果を示したのは上海ですが、上海は金融教育を多くおこなっていたわけではないそうです。上海が金融リテラシーの評価で成功した秘訣は、上海の学校が、数学教育で深い概念的理解と複雑な推論を育てていたことにあるようです。なぜなら、上海の生徒は数学者のように考え、確率、変化、リスクのような概念の意味を理解しており、これらの知識を馴染みがなかった金融の文脈に難なく転移させ、活用できたからです。

これは、どの分野をどの学年でどの順序で教えるかを決定し、定期的に再検討するには、最良の知を結集することが重要であることを示していると言います。その分野の一流の専門家だけでなく、生徒の学び方を理解している人、知識やスキルの需要と現実社会での活用法を理解している人々が必要なのです。

多くの工夫” への6件のコメント

  1. 円周率を3として何が悪いのか、と思いました。台形の面積を求める公式が算数から削除されてどんな問題が生じるのか、と疑問に思っていました。「2003年のPISAで数学的リテラシーの低下が明らかになった」このことを私も覚えています。だから何だ、と思いました。「保護者は自身が学んだことを子どもも学ぶことを期待しており、教育内容の削減は教育水準を下げるものだとみなす」だから「子どもの教育で不足だと感じたものを埋めるために、これまで以上に塾に関心を持つようになった」。1990年代、私は横浜で学習塾を経営していました。バル崩壊後の時期で日本の経済が悪化していました。塾の経営も困難でした。ゆとり教育時期から確かに学習塾の需要が右肩上がりに増加していたことを私は知っております。もっともその頃私は保育所勤めをしておりましたが。シュライヒャー氏の答え。「PISAの問題解決能力とは、「ゆとり教育」が強化しようとした創造的で批判的な思考スキルを引き出すものだった」。今年から始まった共通テストで記述問題を導入できない遠因は総合的学習を主眼に据えた「ゆとり教育」の廃止とその後「学習指導要領の内容量が再び重視」にあると思っています。「ゆとり教育」が終って、ますます文章が作成できない日本人の若者が増えてきたように思います。

  2. PISAの結果から、これではいかんと「ゆとり」を見直した日本ですが、学校がというよりも「保護者」が危機感を抱いたという事実は理解していませんでした。その頃から塾などによって授業の補填をしようとした保護者と、それに対して本来の「ゆとり」の意味を発信し続けなかった学校、それに異議唱えなかった社会など、多くの要因が関連している印象ですが、やはり強く感じるのは「目的と手段」が混在してしまっていたのかなと感じます。「中学校の教員は、過去に効果的であると証明され、日本のテスト制度によって評価されてきた実践から逸脱することに消極的でした」というのも、目的は社会で意欲的に自分を発揮しながら貢献できる人材を育成することなのに、過去や既存のルールを守ることが目的になってしまっていたのかなとも思います。そして、「保護者は自身が学んだことを子どもも学ふことを期待しており」という点も、気になりました。親はどうしても自らが辿ってきた道を子どもにも辿って欲しいと願うものなのですね。親になる前に、知れてよかった内容でした。

  3. 大した実感は無いものの、私はゆとり世代の1人のようです。私がサッカーに明け暮れる間、周りの友だちのほとんどは塾に通っていたと記憶しています。小学校までは大して予習復習などしなくてもテストの点数は良かったものですが、中学生になり授業だけでは理解しきれなくなり、周りからも離されていく感じがしていました。
    テストの結果は、授業外での勉強量と質によるものであり、塾での学びは大きな影響力を持っていました。そんな中で、公教育は何の役を果たせていたのでしょう。何を教え育て、何をテストし評価していたのでしょうか。
    学校と塾の役割は何なのでしょう?どう変わっていくのでしょう。

  4. 『PISAの問題解決能力とは、「ゆとり教育」が強化しようとした創造的で批判的な思考スキルを引き出すものだったのです』とありました。ゆとり教育がどのようなものを目指して行われたのかということは確かに、多くの人が理解していない部分ですね。ただただ授業数を減らして、子どもにゆとりというか、ともすれば楽をさせているものだなんて乱暴な認識が広まってしまっているように思います。今思えば当時の先生方もその方向性を理解していなかったのかなということは感じます。総合的学習の時間はありましたが、これどういう意味でやっているんだろうと思いながらやっていたなと中学生の頃のそんな記憶がいまだに染み付いています。自ら考えること、創造的で批判的な思考スキルを引き出すものということを具体的な考え方、実践を例に大人も理解し、そしてそれを子どもたちにもうまく伝えられていたらよかったのかもしれません。何か新しい方向性が示された時に内容はよくても具体例や実践例がなかなか示されずに進んでいかないということがあるかもしれません。そう思うと藤森メソッドが支持されるのはやはりしっかりと具体例、実践があるからなだと改めて思います。

  5. 〝PISAの問題解決能力とは、「ゆとり教育」が強化しようとした創造的で批判的な思考スキルを引き出すものだった〟という意図がゆとり教育にはあったということをその当時は知りませんでした。ただ、詰め込み教育の見直し程度だと思っていました。本当のことはそういうことだという発信がしっかりとこちらに伝わっていなかったことが悔やまれます。そのことがしっかりと伝わっていたのなら〝子どもの教育で不足だと感じたものを埋めるために、これまで以上に塾に関心を持つ〟ということもまた変わっていたのかもしれませんね。なにか新しいことをはじめるときというのはいつも以上に発信やより具体的な情報を分かりやすく伝えていくことが必要なんだと思いました。

  6. 自分の経験を子どもに押し付ける点、虐待のような子育てを受けて育った人が同じことを子どもにしてしまうという例に似ているように感じられてしまいます。新しい時代の新しい価値観を先ずは大人が受け入れないといけないことを改めて思うと同時に、子どもたちはもう既に手に入れていて、むしろ大人側が遅れて学び直さなくてはならない立場にあることを理解しなくてはならないのではないかと思えてきます。

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