全ての生徒

フィンランドでは、全ての総合学校には、毎月2回、2時間の会議をおこなう「生徒のための様々な専門家による支援グループ」があるそうです。グループは、校長、特別教員、学校看護師、学校心理士、ソーシャルワーカー、生徒が所属するクラスの担任で構成され、話し合いをします。話し合いの対象となっている生徒の保護者は誰でも、優先的にグループに連絡をとることができ、会議への参加を求められることもあるそうです。

カナダのオンタリオ州の教育省は、落ちこぼれを防ぐために高等学校で「生徒の成功へのイニシアチブ」プロジェクトを創設しました。教育省は、地域の取り組みをコーディネートするプロジェクトリーダーを雇用するための補助金を設け、戦略を共有できる地域のリーダー会議にも資金を提供しました。各州が資金を提供するプロジェクトの教員を雇用するためのリソースが学校に与えられ、課題を抱える生徒を特定し、適切な支援をおこなうためのプロジェクトチームを作ることが求められました。これらの取り組みの結果、オンタリオ州のシステムは大きく変わり、数年のうちに州の高校生の卒業率は68%から79%に上がったそうです。

多くの国において、ほんの僅かの生徒だけが成功できると信じている状態から、全ての生徒が高い水準に達することができると考えられる状態になるには時間がかかります。その目標を達成するには、協同的で多面的な政策決定と能力開発プログラムが必要です。しかし、高い成果を上げている国に共通する特徴の一つは、生徒が様々なレベルの認知スキルを要求するカリキュラムを有する異なる学校種の中等学校へと振り分けられるシステムから、全ての生徒が同じように要求水準の高いカリキュラムの中等学校へと進級するシステムへの段階的な移行だそうです。

OECD加盟国の中でもフィンランドは、1970年代にこの道筋をたどった最初の国だそうです。また、ポーランドは2000年代に学校改革をおこない、直近でこのような道筋をたどった国です。これらの国では、以前はエリートの生徒のみが期待されていた水準に全ての生徒が到達するところまで「レベルアップ」したのです。落ちこぼれそうな生徒はすぐに特定され、問題点は速やかに正確に診断され、すぐに適切な対応がおこなわれます。これは必然的に、一部の生徒が他の生徒よりも多くの支援を受けることを意味します。しかし、このことはまた最もニーズのある生徒が最大の恩恵を受けることでもあります。

このような改革に保護者を巻き込んでいくためには、強いリーダーシップと思慮深く持続的なコミュニケーションが必要だと言います。選抜されることで恩恵を受けてきた保護者の場合、なおさらです。シュライヒャーは故郷のハンプルクで2010年に教訓を得たそうです。2009年10月に政治家たちは、学校システムの階層を減らし、その影響を少なくするという政治の壁を超えた学校改革に合意しました。政治家は、これがより質が高く、より公平な学習機会を提供する最も効果的な方法だと理解していたそうです。しかし、保護者がそのメリットを納得するだけの努力がなされなかったため、エリートコースで学ぶ生徒の保護者を中心とする改革反対派のロビー活動家がすぐに登場したそうです。そして、包括的な学校制度への懸念が示され、この改革は最終的には2010年6月住民投票によって覆されたのでした。

全ての生徒” への8件のコメント

  1. 21世紀というミレニアムは、従来の寡頭エリートによるスキームがほぼ意味をなさない時代、と言われます。なぜなら、従来と将来との決定的な差異は、そのエリートの一部が作成したAIの存在です。エリートの産物を凌ぐすべは、一人でも多くのホモサピエンスが自らの能力によっていろいろ様々なことを考え出し、一つでも可能性のあることを選び出し、これから将来に渡って地球上の生物の危機となり得ることを取り除く作業に従事すること、です。「ほんの僅かの生徒だけが成功できると信じている状態から、全ての生徒が高い水準に達すること」の意味はここにあります。アメリカンのシリコンバレーではこのことに気づいてすでに実践に入っています。シンガポールやポーランド、そしてカナダのオンタリオ州も気づき始めているのでしょう。この「全ての生徒」というところがポイントです。国連が提唱したSDGsのモットーはNo one left behind誰も置き去りにはしない、です。頭の悪い子はいないのです。どの子も存在意義をもってこの世に生まれてきた。教育に携わる人々は常にこのことを忘れてはならないでしょう。「子どもの存在を丸ごと信じただろうか」とはそういう意味です。

  2. 本当の意味での平等とは何かということを考えさせれます。日本では全ての人に同じもの(時間や具体物など)を与えることが平等だと思っている雰囲気があるのではないでしょうか。そうではなく、個々人それぞれに応じた対応、ここに応じて与えられるものが違うというのが本当の平等ですね。そのような意識が定していないと「しかし、保護者がそのメリットを納得するだけの努力がなされなかったため、エリートコースで学ぶ生徒の保護者を中心とする改革反対派のロビー活動家がすぐに登場したそうです」というようなことが起こってしまいそうですね。これは日本でも十分に起こり得ることだなと思います。「これは必然的に、一部の生徒が他の生徒よりも多くの支援を受けることを意味します」とあるように、一見すると一部の生徒だけがと思ってしまいますが、必要な子に必要な時間が割かれているという認識を持たなければいけませんね。特に公教育というのはできる子に力を注ぐのではなく、方法は異なれど、全ての子に、同じように提供されるべきですね。

  3. 「これは必然的に、一部の生徒が他の生徒よりも多くの支援を受けることを意味します。しかし、このことはまた最もニーズのある生徒が最大の恩恵を受けることでもあります。」このマインドセットで、皆が納得できるように、関係性を築いていけるリーダーが不可欠でありますね。
    ハンプルクとはドイツのハンブルクのことでしょうか。見守る保育が、手本の一つとする国の教育改革でも、このようなことが起きるのかと少し驚きました。
    これまで恩恵を受けてきた人たち、学歴から職歴へ、ある種の既得権益化してとなっているのでしょう。
    最近、障害のことを学んでいますが、どうしても人は分類(分断)してしまうものなようです。社会が変われば、障害も変わり、新たな障害が生まれる…。教育はどう進んでいけるでしょうか。

  4. フィンランドやカナダやポーランドなど、各国様々な教育の質を高める方法を生み出し、実践していました。共通するのは、目の前の子どもたちを救いたいという思いが感じられます。専門家による支援チーム・落ちこぼれを救うなど、ボトムアップするための教育の形を模索しするため、教師だけでなく保護者や専門家など、外部の人材をうまく活用しているところがポイントでもあるように感じました。

  5. フィンランドで行われている落ちこぼれを救う会議のメンバーをみていると、一人の子どもを救うためにみんなで考えていくことの必要を感じました。大切なことは一人をみんなでみていくこと、多面的な角度から支援をしていくことなんだろうと思いました。一人担任であれば、一人で対処しようとしすぎるあまり、他に頼る暇もないくらいの忙しさになってしまうこともあるのではないでしょうか。そうなれば、できる子ばかりに目がいき、落ちこぼれの子がおざなりになる負の連鎖が生まれていくのかもしれません。いろんな方面から一人の子をみていくことの重要性を感じます。

  6. 一部の生徒がより多くの支援を受けることは、すなわちもっともニーズのある生徒が恩恵を受けることになる、これはとても理想的な環境ですね。生徒が自立していて、恩恵を受ける必要のない生徒は、自らの力で少ない支援で目標に向かっていくわけです。見守る保育にも、助けをも止められたら必ず支援しなさい、という考え方がありますが、全員が甘えて助けを求めたらクラスが成り立ちません。この政策の理想的な姿は、なんだか見守る保育の完成形に近いものがあるようにも思えます。

  7. 保護者が参加できるというシステムを興味深く思います。仕事が忙しく、緊急事態宣言の最中でも子どもたちを園に預けて仕事に向かう現状では、とても対応できるシステムではないように思えてしまうのは、日本という国の仕事の在り方、家族との時間を創出することの難しさがそこにあるからではないかと思えてきます。園が遅くとも17時には閉まり、家族は当然のように家族の時間を過ごすことができる、というような社会的雰囲気が可能にするであろう教育形態にとても興味が湧きます。

  8. どうすることが子どもたちにとって良いのか。そんなことが継続的に、また関わる全ての人で話ができるというのはいいですね。考えてみると当たり前のような気もしますが、日本の様にこれまで行ってきた教育の形というものを重視すると、自由な話し合いというものも難しくなってしまうのでしょうね。改革に求められる強いリーダーシップ、コミュケーションをしっかりと身に着けていきたいと思います。

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