ロシアの改革

テスト文化を変えることについて、最もシュライヒャーを驚かせた国の一つがロシアだったそうです。不正行為が横行してきた結果、ロシアでは長期間にわたり、テストの得点やテストに基づいた順位が信頼を失っていました。しかし、ロシアは10年以上にわたってこの問題に取り組んできました。州で統一されたテストは、今や生徒の学習成果を評価する進歩的で透明性のあるものになっているそうです。

まず、ロシアは、多くのテスト制度に見られる効率性のために有効性を、妥当性のために信頼性を犠牲にするという罠に陥りませんでした。マークシートを用いず、多肢選択式の問題もほとんど設けませんでした。代わりに、オープン形式の課題を与え、しばしば小論文テストもおこないました。発展的な知識や複雑な高次思考スキル、さらにはスキルを現実世界の問題解決に活用することに焦点を当てたのです。

しかし、州で統一されたテストの最大の成果は、教育やテストへの信頼を取り戻したことだそうです。信頼は法律で定められるものではなく、すぐに生まれるものでもありません。信頼は少なくとも、それがテストを実施するための前提条件であると同様に、テストのデザインのもたらした結果なのです。

では、ロシアはどのようにそれを実現したのでしょうか?まず、ロシアは今でも国中で用いられている最先端のセキュリティを導人しました。受験票は、納品時も教室でも生徒と試験官の目の前で印刷され、テストの全プロセスは360度のカメラで監督され、記録されるのです。

最終的に、生徒が見ている前で解答用紙はスキャンされ、データ化され、匿名化されます。小論文のように機械で採点できない複雑な答案は、特別な訓練を受けた専門家によって一元的に採点されます。彼らの信頼性は徹底的にチェックされます。もちろん、小論文の評価には常に何らかの判断が含まれます。では、どのようにして生徒は公平に採点されたと信頼するのでしょうか?採点が終わった解答用紙はネットに掲示され、全ての生徒は自分の結果を確認できます。納得しない場合、生徒は採点に異議を唱えられます。学校もまた、テストの結果を確認し、追跡調査をおこなうことができます。こうして、ロシアの生徒、教員、学校管理職、雇用主は、学校教育やテストについて以前よりもずっと自信を持つようになりました。これは偶然に起きたことではないとシュライヒャーは言うのです。

このロシアの取り組みをみると、なぜ日本でなかなか改革ができないのかと思ってしまいます。小論文のテストも提案されていますが、いざテストとなると、採点をどうしたらよいか、その公平性を保障するためにどうしたらよいかという壁にぶち当たり、実行が遅くなっています。これらの各国の実例を知ることは、とても有効的なことです。

テストのあと、一部の国では新聞が問題を公表し、教育省は最高得点の回答例を発表しています。日本でも確かに新聞に高校のテストの問題は掲載されています。しかし、その結果について意見を言ったということはあまり聞いていません。どこか公表する意図が違うような気がします。世界では、このようにして、生徒、保護者、教員の全員が、質の高い仕事とみなされるものを学び、生徒は自身の成果と標準的な成果を比較できるのです。

ロシアの改革” への6件のコメント

  1. ロシアのテスト改革について今回知ることができました。ロシアは日本より人口も多く、多民族によって構成されている広大な国家であり、ソ連からの系譜をいまだに引きずっている、ソ連とは別の独裁制国家になる可能性がある国、という認識を私は持っていましたが、この改革を見ると、どうもヤバいのはロシアではなく、日本だぞ、と直観しました。誰も何も決められない日本の教育界。そのくせ、教育課程編成の何とストリクトなことか。時間で全カリキュラムを規定しています。柔軟性も臨機応変さもない。「小論文のテストも提案されていますが、いざテストとなると、採点をどうしたらよいか、その公平性を保障するためにどうしたらよいかという壁にぶち当たり」・・・なら、ロシアや他国を見ならえばいいのに。それもできない。真似することもできない。力のない証拠です。まぁ、嘆いていても仕方がないことです。私自身、やれることをやるまでのことですね。

  2. グローバルな時代になったからこそ、世界の情報は比較的早く、確実に得ることができますね。だからこそ、各国の実践を知り、学び、活かしていくことで、実際に自国の様々な問題に取り組んでいかなければいけないのかもしれません。それが本当の意味でのグローバル化でもあるのかもしれませんね。「納得しない場合、生徒は採点に異議を唱えられます」とありました。このようなことは日本ではなかなか考えられないことですね。異議を唱えるというのは自分の回答を理解しつつ、採点の内容も理解していないとできないことだと思うと、このような仕組みがあることで生徒はさらに学びを深くしていけることに繋がっているように感じました。慎重な姿勢も確かに大切ですが、考えすぎてやらないというか行動が遅いというパターンが日本なのかもしれません。そうではなく、まずやってみる。そして、そこから修正していけばいい。そんな姿勢に変えていかなければいけないのかもしれません。

  3. テクノロジーの発展によってテストの質も改善されているんですね。信頼とは、常にあって無いようなものと言えそうです。それが人と人の関係性であれば尚更、信頼というのは一瞬で消え去ることもあります。それは、政策や法律、制度を超えた何かのようにも感じます。
    しかし、ことテストへの信頼ということであればテクノロジーを用いることで、ここまで信頼性が高められるのですね。それによって、人と人の関係性にも良い影響を与えることは確かなようです。
    テクノロジーが社会経済的背景のハードルをも大きく下げてくれそうです。

  4. カンニングが多いという問題から、テストの内容を見直したというのは面白い過程だなと思いました。確かに、カンニングしても自らの考えなしには回答できない仕組みにしてしまうことで、カンニングする意味を失わせる試みは新しいですね。また、小論文の採点についても「納得しない場合、生徒は採点に異議を唱えられます」という点に衝撃でした。しかし、そうすることによって、採点者の公平性や能力の有無が問われ、必然的に質の高い採点システムになるでしょうし、何よりも、生徒自身の納得感を最優先している点が合理的だなと感じました。目的は社会性のある人材育成であるのであれば、その回答から「学び」にかえるプロセスに重きを置けますね。

  5. 最近のテストはそんな風になっているんだということを感じました。あれこれといろんなものが変わっていくこと嬉しくも少し寂しい気持ちにもなります。〝採点が終わった解答用紙はネットに掲示され、全ての生徒は自分の結果を確認できます。納得しない場合、生徒は採点に異議を唱えられます〟というのは最近のテクノロジーがあるからこそできるものである気がしました。意義を唱えるのならば、テストの時よりもさらに深く考えたから意義を唱えられるのではないかと思います。そして、自分の答案をネットでいつでも見れる状態だからこそ、意義を唱えられるんだと思います。学生一人にタブレット一台という流れになる中で、そのタブレットの使い道がこのように意味のあることなら使われることを期待します。

  6. このような取り組みが行われている国があることを知って、驚きと喜びとが湧き上がる思いです。日本の速度は、世界で見ると比較的ゆっくりであることを常に念頭に置きつつ、この国民性を愛する気持ちは忘れずにいたいと改めて思えてきます。何百年前からすれば日本も確実によくなっていることでしょう。時代は確実に良くなっていく、そのエンジンたろう志の持ち主は学ぶことを忘れないように、新しい情報に触れる機会を大切にするように、と声が聞こえてくるかのようです。

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