カリキュラム設計

教員や教科書会社の仕事を導くように考え抜かれたカリキュラムの枠組みに、知の規準をどのように取り込むかが非常に重要であるとシュライヒャーは言います。厳密なテストは、複雑な思考スキルの評価、すなわち生徒がコアカリキュラム全体で到達目標に達しているかどうかに焦点を当てるべきだと言うのです。また、テストに基づいた選抜制度は、成熟した資格制度の一部として機能すべきであるとも言います。

教育制度が、それぞれの学問分野だけではなく、生徒の学びと発達について知見を培ってきた学習科学を拠り所にして構築されることも非常に重要だとも言います。例えば、シンガポールはカリキュラム開発において、学習の段階であるラーニングプログレッションを明示したのです。小学校から中学校へ、中学校から高等学校へと進むにつれて、生徒は間違ったことと正しいことを区別する段階から、道徳的な誠実さの理解を経て、何が正しいかを示す道徳的な勇気を持つ段階へと進むことが期待されています。教員には、生徒の成長の支援、すなわち生徒が自身の強みと弱みを知る段階から、自身の能力を信じ、変化に適応し、逆境に直面してもめげない段階まで支援することが期待されるのです。また、生徒は、チームで活動し、他者に共感したり、文化を超えて協同したり、社会的な責任を負うことで、他者との協力や共有から成長していくことを期待されます。彼らは、小学校で活発かつ好奇心旺盛な段階から始まり、中学校では創造的かつ探究心を持つ段階を経て、高等学ではイノベーティブでに起業家情神を持つことを期待されます。教員には、生徒が自ら考え自信を持って表現できるようになる段階から始まり、異なる見方を尊重して効果的にコミュニケーションをとれる段階を経て、批判的に考え説得力のあるコミュニケーションができるように導くことが期待されます。特に、生徒は自らの取り組みに自信を持つ段階から始まり、自らの学習に責任を持つ段階を経て、卓越性を追求するように成長することが期待されるのです。

この10年間に、多くの国でカリキュラムの設計方法がより計画的で組織的になったのは驚くべきことだとシュライヒャーは言います。このような動きの多くは、チャールズ・フアデル氏やハーバード大学にある彼のカリキュラム・リデザイン・センターで働く人々の業績の影響を受けました。この変化は、2 016年に開始したOECDのEducation 2030のカリキュラムデザインのプロジェクトにも反映されているそうです。国際的な観点からカリキュラムを議論することを何年にもわたって拒否してきた国々、それは、各国はカリキュラムを国内政策の領域とみなす傾向があるためですが、これらの国々も、カリキュラム設計のためのイノベーティブな国際的な枠組みの開発をOECDに任せたのです。彼らは、社会が教育に期待することと現在の教育制度が提供することのギャップが拡大しており、そのギャップを減らすためには国際協働が必要であると認識したのです。

次の課題は、質の高い教員を採用し定着させることです。私たちは、教員に多くのことを要求します。教員が知っていること、気にかけていることが、生徒の学びに違いをもたらすために、私たちは教員が何を教えているか、誰に教えているかについて、深く、そして広く理解することを教員に期待します。それは、学習成果につながる学習環境を作り出すことができるような専門的な知識、例えば、学間的な知識、その学問のカリキュラムに関する知識、その学問を生徒がどのように学ぶかに関する知識などですが、専門家としての実践についての知識を必然的に伴います。それはまた、生涯学習者として彼らの職業的な専門性を伸ばすための探究や研究のスキルも含みます。教員が生涯学習者にならないかぎり、生徒もそのようにはならないとシュライヒャーは言うのです。

カリキュラム設計” への6件のコメント

  1. 「小学校で活発かつ好奇心旺盛な段階から始まり、中学校では創造的かつ探究心を持つ段階を経て、高等学ではイノベーティブでに起業家情神を持つことを期待されます」とありました。「生徒が自ら考え自信を持って表現できるようになる段階から始まり、異なる見方を尊重して効果的にコミュニケーションをとれる段階を経て、批判的に考え説得力のあるコミュニケーションができるように導くことが期待されます」ということもそうですが、このように段階があること、それぞれの時期で最善の方法があるという視点は保育にも重なる部分で大切にしなければいけないポイントですね。早く仕込んでできるようになることが大切ではなく、その時期、その時の発達の時期に必要なことがあるということは常に意識していきたいことです。発達には順序がある。連続性があるという話も藤森先生がよくされますが、まさにそれと同じで、やはり飛ばしてはいけないと思います。そして、その時の発達が理解できれば関わり方、アプローチの仕方も見えてくるはずですね。最後の「教員が生涯学習者にならないかぎり、生徒もそのようにはならないとシュライヒャーは言うのです」というのもまさにです。共に学ぶ存在であるという大人の姿勢はかなり子どもに影響していくということを実感します。それになんだか、大人はなんでも知っているという感じ、感動してくれない姿勢をもたれていると子どもも冷めてしまって、なんだかせっかくの好奇心も高まるというより、しぼんでいくように感じてしまいます。

  2. 障害について考えることが増えており、ついそれと結びつけしまいますが、教育は子どもたちの「当たり前」を作っていくことでもあると思います。
    例えば、シンガポールでは人種差別は無いに等しいと聞きます。それは、住んでいる人の多くが外国人であることが影響しているようです。違うことが当たり前、なのです。
    障害理解も同じです。身近にそうした人がいなければ、どこか他人事で、触れにくい話題で、自分たちの当たり前や普通が通じない世界観になってしまいます。しかし、当事者からしたら、それは当たり前の日常であります。
    話を教育に戻します。私たちにとっては、受けてきた教育が、当たり前のことであったわけです。授業のやり方、教科書の内容、テストの方式とそれによる評価。一方通行型の授業、炎天下の中での組体操、ゆとり教育も受けてきました。起業意識なんて持つきっかけは無かったですね。
    そういう当たり前の中で価値観が築かれてきました。その価値観は、今後どのような知見を得ても自分の思考に少なくない影響をもたらすことでしょう。

    だからこそカリキュラムの編成が、大変重要なことでありますね。何をどう教えるということは、学力以上に、その人の人格に関わる「当たり前」という価値観を築いていく。努力すること、支援が必要な人を助け合うこと、違いを認め合いながら協働すること、科学的数学的に思考すること、社会の課題に目を向け起業意識を持つこと、それらが当たり前である社会を築く為に、教育カリキュラムの編成が必要です。
    社会にある一つ一つの問題を取り上げて議論する際には、必ず「教育」という言葉が出てくるものです。

    最後に「教員が生涯学習者にならないかぎり、生徒もそのようにはならない」とありました。自分の受けてきた教育が、今理想とされるものとはかけ離れたものである中で、その価値観を変えていく、自分自身を改善していくには、まず知ることであると思います。教員の質も少しずつ変わっていくことと思います。これからも柔軟に、前向きに、そして素直に学び続けていきたいです。

  3. カリキュラムをどうデザインするか、とても難しいことでしょう。それでも、困難さによって進歩を停滞させることなく、より良い教育制度の開発を試みている、例えば、今回のブログで紹介されているシンガポールのケースもあります。とても参考になるのではないでしょうか。「教員には、生徒の成長の支援、・・・逆境に直面してもめげない段階まで支援することが期待される」ということです。教員には指導ではなく支援することが求められています。日本では「学習指導要領」とか「指導計画」など「指導」という二字熟語がなかなか消えてなくなりませんね。そうそう「生徒指導」とも言いますね。生徒が主体的に学ばないわけです。そして先生たちも生徒を指導するという考えに縛られます。よって「生涯学習者」にはならないでしょう。生徒指導者ととして任を全うするよう仕向けられているのでしょう。いつか小中学校の教員の皆さんとこうした問題について話し合ってみたいですね。

  4. 「生徒の学びと発達について知見を培ってきた学習科学を拠り所にして構築されることも非常に重要」とあり、行動科学・発達心理学の世界的権威のキャシー氏らだからこその見方であり、教育制度も政治家だけでなく、そのような専門家の見解を柔軟に採用していく横断的繋がりが、21世期の形でもあると何となく感じました。そこには、しっかりと子どもがどのように学んでいくのかを根拠に心理学と合わせて教育プログラムやカリキュラムの構築提案があるかと思います。やはり、核となる部分、押さえるところは押さえた上での柔軟的で流動的カリキュラムが望ましいとは思いますが、それを言語化する人がどのような人になるのかで、その国の未来は決まっていくようにも感じました。

  5. シンガポールのカリキュラムには今回の内容のようにしっかりとした目安のようなものがあるんですね。それぞれの時期での大切な抑えなければならないポイントのようなものがしっかりと明示してあることはを分かりやすさ」につながるものであることを感じます。ポイントを抑えることなく、早い段階から先回りしようと考えるのではなく、その時のその姿を大切にしていきたいですね。高校生までもそうした段階的なものがあることに驚きます。日本ではどうなんでしょうか。

  6. 起業家精神が育まれる環境、素晴らしいと思います。平均台の上から落ちないように落ちないように、というのが大きく言えば現況の教育、と聞いたことがありますが、落ちてみればそれは地面であり、大地であり、広々としています。点数の低い子を叱っても、自信をなくすばかりで、ただでさえ勉強に困難を感じているのに、更にそこに追い討ちをかけるようなことが教育の中に、本当はあってはならないことだと改めて思えてきます。

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