教員の自己効力感

TALISが示すのは、教員の教育実践に影響を与える専門能力開発は学校内でおこなわれ、教員が協同的な集団で働けるようにしていることです。専門家として高度な自律性を持ち、高度な協調性と教育的なリーダーシップによって特徴づけられる協同的文化で働く教員は、学校内の専門能力開発に頻繁に参加しており、その活動が彼らの教育実践に大きなインパクトを与えているそうです。

これを実際におこなうことは容易ではありません。ボトムアップ型の教員主導の協同と、誰かがリードする体系的な改善プロセスの間には緊張関係が生じます。多くの学校において教員は、一緒に働く機会を尊重しますが、その時間を最大限に活用しようとすることはないようです。一方、教員どうしの協同を一気に進めようとすると教員は反発します。

事実、学校に協同的文化を構築することは、口で言うほど簡単ではないとシュライヒャーは言います。ボストン大学リンチ教育学部のトーマス・モア・ブレナン委員会の委員長であるアンディ・ハーグリーブス教授は、学校で協同的文化を構築すること、そしてその文化を少数のリーダーシップが優れた熱心な学校や学区を超えて普及させていくことの難しさに注目してきたそうです。彼は、幾つかの学校制度が採用する方法が「仕組まれた同僚性」につながると論じています。それは、何をすべきか、誰とすべきかといった要件をあらかじめ定めた押し付けられた協同であり、ボトムアップ型による専門的で自発的な取り組みや真の協同を妨げます。

しかし、学習コミュニティを創造し、維持するリーダーシップ開発戦略を確立することで真の協同を促すためには、政策が大いに役立ちます。例えば、学校監査や認証評価に専門家との協同で作成した指標を組み込む、専門的な学習コミュニティへの参加を業績給や教員の能力評価と関連づける、校内または学校間での自己学習のための資金補助等です。集団で一緒に学ぶ時間や機会が含まれるような教員の協同を促す仕組みやプロセスは、教員集団としての自己効力感を高めるために不可欠だとシュライヒャーは考えています。このような活動には、教員主導の研究プロジェクト、教員ネットワーク、授業見学、メンタリングやコーチングを含む。効果的な専門能力開発に最も関係する条件や活動を支援することで、生徒もまた好影響を受ける可能性が高まるというのです。

フィンランドの教員は、職業人生を通して効果的な教育実践にかかわる研究に貢献することを期待されます。中国の教員養成制度もまた研究の重要性を強調しており、教員が取り組んだ研究に基づいて教育制度が改善されます。シュライヒャーは、中国の教員主導でおこなわれる研究の量の多さや、教員が研究のために政府の助成金を容易に獲得できる仕組みに驚いたそうです。成功の基準は、教員の研究成果を他校の教員の手で再現できるかどうかです。上海の実験校の元理事で、後に上海トップクラスの教員養成大学の学長になったツァン・ミンシャン氏は、学校がいかにして新しいプログラムや政策を施行したり、他校での適用可能性を実証するための政府助成金を獲得するかを彼に説明してくれたそうです。これらの学校の最も経験豊富な教員は、新しい研究の成果を評価するために共同研究者として参加するのです。

教員のスキルアップ

上海では、全教員に5年以内に240時間の専門能力開発を取り組むことを要求しているそうです。中国において上海は例外ではないようです。シュライヒャーは中国でトップの教員養成機関である北京師範大学で客員教授を務めています。そこで講義をする際にはいつも、教員の専門性の高さや継続的な改善への努力、そして彼らが他国の教育実践に強い関心を持っていることに深い感銘を受けるそうです。

効果的な専門能力開発には、継続的な教育・実践・フィードバックが含まれており、フォローアップのための適切な時間が必要です。成功したプログラムは、現職教員が実際におこなっている授業に受講者を巻き込むものだとシュライヒャーは考えています。

しかし、鍵となるのは、現職教員の授業に参加する機会の多さだけではないと言います。キャリアの根底にある構造、すなわち他者とは異なる新しい知識やスキルが求められ、提供していく社会的組織の中で、教員どうしが一緒に働く時間とかかわります。成功したプログラムは、教員が専門知識や経験を共有できる学習コミュニティの形成を促すというのです。研究と実践のつながりを強化し、学校を学習する集団として発展させることで、教員全体で知識を累積していくことへの関心が高まっていくのだというのです。

シンガポール国立教育研究所のデヴィット・ハング氏は、教員の考え方を変えることが教育改革の最も重要なポイントだと考えました。彼は自らの挑戦を「知識の伝達から知識の共創」「教科書による抽象的な知識の習得から経験に基づく学習」「総括的評価から形成的評価」への移行であると語っています。これらの提案は、いいですね。まさに現在日本でも抱えている課題です。しかしこれは、失敗する恐怖を挑戦への意欲に変えていくことを必要とします。自己効力感が非常に高い教員、あるいは低い教員は学んだ新しいスキルをあまり使いません。しかし、自身の能力に中程度の自信を持つ教員は、最も新しいスキルを使う傾向があると言います。自己効力感は、組織のあり方にも関係しています。授業を見学したり、協同で専門能力開発に取り組んだり、協同で授業をおこなうほど、教員は自分のことを有能な教員であると考えているようです。このデータもとても興味深いですね。これはOECDが行ったTALIS 2013 Databaseによるものですが、さらにこのデータでは、教員としての役立ち感は、同僚との協同に関係することが示されています。私は教員を少し体験したことがありますが、日本の教員は、どうも「授業を見学したり、協同で専門能力開発に取り組んだり、協同で授業をおこなう」ということが苦手な人が多い気がします。それは、力のある人は、何も教員だけでなくビジネスにおいても、チームプレイよりもスタンドプレイをしたがる傾向にあるのかもしれません。しかし、これからの時代は、チーム力に価値がある時代だと思っています。特に一クラス一人担任という形式を持つ学校教育では、深い専門的な協同が必要だと思っているのです。

しかしながら、教員が生涯にわたって学び続ける方法はほとんど知られていないようです。ですからシュライヒャーはOECD国際教員指導環境調査(TALIS)を通して、教員に意見を述べようと思ったそうです。2009年の最初の調査結果で明らかになったことは、一般的に最も効果的だと考えられる専門能力開発に参加していると回答した教員がいかに少ないかであったそうです。続いて、2013年のTALISからは、教員による協同やインフォーマルな情報交換は頻繁にありますが、一方で教員の自己効力感に最も関係する授業見学や授業研究のような専門能力開発は、未だに少ないことが示されています。

教員の能力開発

教員の能力開発では、教員養成の初期段階、すなわち教員として仕事を始める前に教員が身につける知識やスキルに焦点を当てる傾向があります。同様に、教員の能力開発のためのリソースの大半は、就業前教育に割り当てられる傾向があります。しかし、教育の急速な変化と多くの教員の長いキャリアを考えると、教員の成長は、生涯学習の観点からとらえなければならないのです。しかし、教育の急速な変化と多くの教員の長いキャリアを考えると、教員の成長は、生涯学習の観点からとらえなければならないというのです。つまり、教員養成の初期段階は継続的な学習の基盤であり、専門家としての成長の頂点ではないのだというのです。シュライヒャーは、技術革新や新しいメディアによって教員が直面する課題について考えています。あるいは、近年の移民の流人によってヨーロッパの教員が直面する課題を考えてみています。今日の教員が教育を受けた数十年前の教員養成では、これらの課題を予測することはできなかったのです。

オンタリオ州のダルトン・マクガインティー前知事は、2010年にシュライヒャーに「新世代の教員を待つよりもむしろ、既存の学校や教員に投資し、彼らが改革に取り組むようにしたり、彼らの改善への取り組みを支援することが大切だ」と話したそうです。その取り組みには、学校における広範囲の能力開発や年4回の会議の開催が含まれていました。会議には行政のリーダー、教員組合、教育長による組織、学校管理職の委員会が集まり、改革戦略を実行する方法を議論したそうです。

他の国々もまた、教員の専門性の開発に多大な投資をしてきました。シンガポールの教員は、年間10時間を専門性の開発に費やし、常に自分の専門性を最新のものにして実践の改善に努めています。教員のネットワークや学習の専門家コミュニティは、教員どうしの学び合いを奨励しているそうです。2010年9月には、教員による継続的なベストプラクティスの共有をさらに進めていくために、シンガポール教員アカデミーを設立しました。教育養成の初期段階で現実の生徒や教室を経験する機会がないという、教員養成へのよくある不満はシンガポールでは耳にしないそうです。とはいえ、年間2000人もの教員候補を教室に入れることは、混乱を招き、非常にコストがかかるために難しいようです。

では、どうすればいいのでしょうか?自らの判断が与える影響を理解していない地方自治体が意思決定するアメリカやヨーロッパの一部の事例を参考にするのでしょうか?あるいはナショナル・スタンダードが機能せず、少数の選抜された集団への教員養成をおこなう有名大学の取り組みを参考にするのでしょうか?シンガポールは、非常に異なる方法を試みてきたようです。10週間から22週間の学校での教育実習に加えて、デジタル技術を用いて国が選んだ教室にリアルタイムでアクセスできるようにして、シンガポール国立教育研究所は教員養成に教室を取り込んでいるそうです。彼らはまた、教室を核とした実証研究も推進しており、教員が学習経験を自分のものにしたり、教室での多様性の増加や学習スタイルの違いに対応し、カリキュラムや教授法、デジタル教材の発展に追いつけるように支援しているのです。

国際的ネットワーク

20年以上前にティーチ・フォー・アメリカを設立したウェンディ・コップ氏は、2007年に彼女が共同設立したティーチ・フォー・オールの進化について詳しく語っています。教育の公平性をめざす一部の国の社会起業家の小さな集団として始まったものが、今や47の独立した関連組織を有する国際的なネットワークとなりました。そして、最も弱い立場の子どもたちに教育を提供するために、組織としてのリーダーシップを発揮するために活動しているそうです。ティーチ・フォー・オールの最も成熟したパートナーであるティーチ・フォー・アメリカは、現在5万人以上の現職教員および退職教員の同窓会組織を持ちます。その80%以上は教育あるいは教育資源が不足するコミュニティで働いているそうです。現在そのうち6500人以上のメンバーが、アメリカ国内のほぼ40万人の生徒にかかわっているそうです。そして、その同窓会メンバーは、教員、校長、学区のリーダー、政策立案者、社会起業家として変化を持続するために活動しているそうです。ティーチ・フォー・オールが二番目に長く連携するパートナーであるティーチ・ファーストは、現在、イギリスで2500人以上の教員と共に、16万5000人以上の生徒にかかわっているそうです。ティーチ・ファーストの7000人の卒業生のほぼ70%は教育にかかわり続けており、ロンドンの公立学校を変えるうえで重要な役割を果たしているそうです。ティーチ・フォー・オールのネットワーク組織は世界中のあらゆる地域で生まれ、発展しており、5000人以上の教員と6000人以上の卒業生が、アメリカやイギリス以外で働いているのです。

これらの組織に対する批判者は、大学の学部課程での学び、教員養成課程、教室の中での経験という伝統的な方法に代わるものはないと主張しています。これは一面の真実ではあります。しかし、批判者は、才能、情熱、経験の結合が意味する教育分野の創造性の可能性を過小評価しているかもしれないとシュライヒャーは言います。

これらのプログラムが非常に魅力的であるために、専門職としての教員の地位が低下しているにもかかわらず、最も有望な人材を集めているという事実が物語っています。これらの組織は、優れた学業成果と教員が協力して優れた実践を生み出すための仕組みを組み合わせています。そして、教員として、学校や行政のリーダーとして、あるいは政策立案や社会起業等の異分野においてさえも、キャリアで成長していくための知的な道筋を示しているのです。シュライヒャーが最も心を打たれたのは、これら全ての仕事の背景にある「教員のリーダーシップからコミュニティの組織へ」という社会変革のビジョンだそうです。ティーチ・フォー・オールは伝統的な教員養成への代替案を提供していません。しかし、その教員の多くは、教育の専門職として大いに必要とされるルールメーカーやイノベーターになったのです。

生徒の学びをより効果的に支援したいと思うならば、私たちは教員がより強力に学べる機会を提供することをもっと真剣に考えなければならないとシュライヒャーは提案します。しかし、良い教員は、一貫性があり、学校を超えて普及可能な方法でどのようにして優れた教員になっていくのでしょうか?

フィンランドの教員

フィンランドでは、教員養成機関への入学のハードルを上げることと、教員に自律性と教室や労働環境を管理するための権限を認めることの組み合わせが、教職の地位を上げるのに役立ちました。教員は、今やフィンランドの若者の中で、最も望ましいキャリアの一つです。フィンランドの教員は、全ての生徒が成功する学習者になることを支援できると示し、保護者や広く社会からの信頼を獲得したのです。

ワールドクラスの教育制度でもまた、初期の教員養成課程を学問的な教育よりも教育実践の場での専門性を身につけるものへと移行しているようです。日本でも、この意向をしているのでしょうか?少なくとも保育者に対しては、まだまだ学問的な教育が中心になっているように思えます。しかし、移行することで、教員はより早い段階で学校に入り、そこで多くの時間を過ごし、その中で多くの良い支援を受けられます。これらのプログラムは、教員が課題を抱える生徒をより早く正確に診断し、それにふさわしい指導をおこなうスキルを伸ばすことを重視しているのです。見込みのある教員が、経験豊富で、参加型で、イメージ豊かで、探究型のイノベーティブな教授法を幅広く使いこなし、自信を持つことが期待されているのです。

幾つかの国では、教員養成の初期段階に研究スキルを指導します。教員は、生涯学習者としてこれらのスキルを使うこと、すなわち現代社会に定着している知識を疑ったり、専門家の実践を改善することが期待されているのです。研究は、専門職としての教員の重要な要素です。フィンランドでは、全教員が教員養成課程の初期段階を終える際に修士論文を執筆して学位をとります。フィンランドは、創造性やイノベーションを支援するカリキュラム設計の最前線にいるのです。そのため、教員の仕事は研究、開発、設計を含む専門職の魅力にあふれているのです。

今後の最大の課題の一つは、教員になった方法ではなく、自らが何を知っており、何ができるかについて、教員が理解を深めることです。シュライヒャーは、ティーチ・フォー・オール運動についてしばらくの間、大きな関心を持っていたそうです。彼らがめざすのは、少なくとも2年間は特別な支援が必要な学校で教え、教育の質と公平性を生涯かけて増進していく学問分野や職業を超えた有望なリーダーを集めることです。

その理事会メンバーになると、すぐにシュライヒャーは2012年にロンドンで開催された第1回の年次総会に参加して「いかにして1万の教室を変えていくか」という講演をおこなったそうです。彼は、成功したキャリアを捨てて、恵まれない子どもの人生を変えるために教育団体に参加した人々の話を聞いたそうです。ナイジェリアで年間400名の教員のための集中的な教員養成プログラムを企画・実施している若い参加者の話は非常に印象的だったそうです。その国ではもともと、教員養成のためのインフラが存在しませんでした。また中国の参加者は、地方の農村地域に緊急に必要とされる教育力を築くために、どのように自治体と協力したかを共有してくれたそうです。

質の高い教員を育てる

国際成人力調査(PIAAC)によると、最も優秀な大卒成人の上位3分の1から教員が集まっている国はありません。実際、教員は大卒の平均的な労働者と驚くほどよく似ていると言います。さらに興味深いことに、教員のスキルを他国と比べても、平均的な大卒者と比べても良くない一部の国(ポーランドがその一つである)が、最も急速な進歩を遂げたことだとシュライヒャーは言います。つまり、優秀な卒業生の採用は教育改革の一要素にすぎないと彼は言うのです。各国が教員の継続的な専門能力開発のために投資することも、少なくとも同程度に重要であるとも言います。

では、「質の高い教員を育てる」にはどうしたらいいのでしょうか?まず、優れた教員の特徴は何でしょうか?教育研究者のトーマス・L・グッド氏とアリソン・ラピーネ氏は、印象的な特徴をまとめています。例えば、優れた教員は、生徒には学ぶ能力があり、自身にも教える能力があると信じていることです。彼らは教室にいる時間の大半を授業に費やし、教室を組織化して生徒の学習時間を最大化します。彼らは小さな一歩を踏まえながら早いペースでカリキュラムをこなし、アクティブな教授法を用います。そして、生徒が習得するまで教えるのです。

しかし、私たちはどのようにしてこのような教員を育てるのでしょうか?シュライヒャーは、自然から学んだ比喩で説明しています。カエルは、非常にたくさんの卵を産み、その中から何匹かのオタマジャクシが生き残り、最終的には次の世代のカエルへと成長していくことに希望を託します。アヒルは数個の卵しか産みませんが、それが孵化するまで守り温め、その後は命を懸けて雛を守ります。ある意味、これらの繁殖に関する多様な哲学は、各国の教員養成課程の多様性を示していると言います。幾つかの国では、教員養成課程の門戸は誰にでも開かれています。しかし、それは最後の手段であり、中退率の高い選択肢だというのです。他の国では、教員養成課程は非常に選抜されたものになっているそうです。これらの国では、政府が投下するリソースは、教員として成功すると認められた人に集中するのです。

ワールドクラスの教育制度の多くは、入学難度が比較的低い大多数の教員養成系の単科大学から、入学難度が高く序列が高い少数の総合大学の教員養成学科へと教員採用の対象を変えました。教員になるためのハードルを上げることで、これらの国は能力の低い若者が教員になることを防ぎます。他の高い地位の職業につくことができる優秀な若者は、容易になることができる職業に就く可能性は低いのです。そこで、より需要の高い専門職に就けなかった優秀な若者を教職にひきつけるというのです。

フィンランドでは、教員養成課程は最も人々が尊敬する学問的なプログラムの一つとされています。フィンランドの教員養成機関には、毎年どこでも9人以上の応募があるそうです。選抜されなかった人は、代わりに弁護士や医者になることもできます。応募者は高等学校の成績や大学入学試験の得点に基づいて評価されます。しかし、より厳密な選抜はこの後です。まず、応募者は学業資格の最初の選考を乗り越えると、授業実践の様子を観察され、面接を受けます。卓越した学業成績に加えて、教育に対する明確な適性を持つ応募者のみが選抜されるのです。

教員の地位

多くの企業は、最も優れた専門家を最大限に活用できるようにキャリア構造を利用します。では、企業が専門家を選び出す人材プールを作るものは何なのでしょうか?一般的には、それは仕事と社会的地位との結びつき、仕事に貢献できそうな度合い、仕事の経済的および知的な報酬の組み合わせだと言います。

ある国の教員の地位は、誰がその職業になりたいと希望するかに極めて大きな影響を与えます。フィンランドでは、教職は非常に選抜された仕事であり、高い技術を持った高学歴の教員が全国に広がっています。フィンランドでは、教員よりも高く評価される仕事はほとんどありません。一方、伝統的に儒教文化圏では、長い間教員の社会的地位がヨーロッパのほとんどの教員よりも高かったのです。東アジアの一部では、教員が全公務員の中で最も高い給与を得られるように、教員の給与を法律で定めているそうです。

イギリスではトニー・ブレア氏の労働党政権が誕生した時に、歴史上、最悪の教員不足に直面しました。5年後には、毎年8倍の応募者が集まるようになりましたが、初任給を上げたり、教員の労働環境を大きく変える必要がありました。しかし、方向転換の際には、洗練された強力な募集広報プログラムが重要な役割を果たしたのです。

シンガポールは、教員養成課程の志望者を選抜する仕組みの質を高める優れた方法で知られています。政府は志望者を丁寧に選び、教員養成課程を受けている間にも月給を与えます。これは、他の職業の新卒者に月給で劣らないようにするためです。その代わりに教員養成課程を修了後、少なくとも3年間は教職につかなければなりません。シンガポールは初任給にも注意を払っており、新規採用する教員の給与を調整しています。その結果、シンガポールでは、最も資格のある候補者にとって、教職は他の職業と同じくらい経済的に魅力的なのです。PISAのデータによると、シンガポールの学校は、雇用面では限られた裁量しか与えられていません。しかし、教員養成課程で学んでいる教員が所属する学校の校長は、教員採用の審査に参加し、意思決定のための議論に加わります。教員採用に失敗すると、40年にわたって教育を貧弱にする可能性があるのです。つまり一つの学校だけでなく、システム全体の成功にかかわるのです。

教えることを経済的に魅力的にするのは比較的容易ですが、一方で、教えることを知的で魅力的にするのは、はるかに困難です。しかし、非常に才能がある個人を教職に引き付けるための鍵となるのは後者です。特に、教育にかかわる人々が、自分たちの社会に変化をもたらしたい時はそうです。けれども、それは教員の仕事がどのように組戯されているか、職業上の成長機会があるかどうか、仕事が専門家および社会の中でどうみなされるかに依存するので難しいのです。このような条件が満たされても、教員の専門性が国際的に卓越性を認められ、表彰されることは少ないのです。このあたりの事情は、保育者にも言えることですね。そんな中、2016年に映画産業は、第88回のアカデミー賞を発表しました。しかし、同年はグローバル・ティーチャー・プライズがおこなわれた最初の年でした。

教員への期待

私たちは教員に対して、彼らの仕事として定義された以上のことを期待しています。私たちは教員にまた、情熱的で思いやりがあり、思慮深いことを期待しています。すなわち、生徒が何かに参加し責任を持つように促したり、異なる背景と多様なニーズを持つ生徒に対して、寛容さや社会的結束を促すこと、さらに生徒への継続的な評価とフィードバックをおこない、生徒が自尊感情と仲間意識を感じられるようにし、協同学習を促すことです。そして、私たちは教員自身がチームとなり、他校や保護者と一緒に共通目標を設定し、目標達成のための計画を立てて行動することを期待します。

これらは、教員の仕事を他の専門職に比べて、より高度で特別なものにする側面の一つであると考えられます。シンガポールの権威ある国立教育研究所のウン・セン・タン局長は、教員は同時に様々な学習者のニーズに応えるため、マルチタスクの専門家である必要があると述べています。教員は、常に予想不可能で、どのように反応するかを考える時間がない教室の中で働いています。教員がすることは何でも、たった一人の生徒と一緒であっても、全ての生徒に見られており、その日からその教員が学校でどのように見られるかを決定づけます。ほとんどの人が、少なくとも一人くらいは、自分の人生や希望に深く関心を持ち、自分が誰かを理解し打ち込むことを見つけるのを支えてくれた、学ぶことの喜びを教えてくれた恩師を覚えているものです。

教育システムの質が決して教員の質を超えることがないことは、すでに明らかです。そのため、教育システムが立ち向かうべき最大の課題は、優秀な教員を引きつけ、育成し、確保し続けることだとシュライヒャーは考えています。その課題を解決するために、政府は企業がチームを構築する方法から学べることがあると言います。企業は社員を採用し、選抜するための人材プールの重要性を理解しています。すなわち、新入社員が採用前に受ける初期教育、新入社員を指導して業務を担当できるようにする導入教育、継続的な社員教育、報酬体系、成績優秀者を評価する方法、課題を抱える社員のパフォーマンスを改善する方法、昇進や昇格を目指して高いパフォーマンスを発揮する機会を与える方法等です。

教員採用を研究したときにシュライヒャーが最初に学んだことの一つは、ワールドクラスの教育システムは、教育の専門家を排他的にし、教育を包括的にすることだったそうです。

どんな業界や組織も専門家を採用する際、最も高い成果を見込める層から人々を集めるためにあらゆる努力を尽くすでしょう。ほとんどの業界や企業は、その選抜のために学校や大学、テスト制度に大きく依存しています。それは、日本のトップ省庁が東京大学から採用する際、ウォール街のトップ企業が主にハーバード大学、イェール大学、スタンフォード大学の卒業生から採用する際におこなっていることと同じだというのです。彼らがこれらの機関をターゲットにするのは、卒業生が何か特別な知識やスキルを持つからではなく、最も才能のある若者がそこに集まっていると信じるからです。一方、卒業生の中でも最も高い能力を示す層から全ての専門家を採用する余裕はないので、企業は最も優れた人を鍵となるポジションに配置し、それほど優秀でない人を補助的なポジションに配置する仕組みも作っています。多くの場合、企業は最も優れた専門家を最大限に活用できるようにキャリア構造を利用するのです。

カリキュラム設計

教員や教科書会社の仕事を導くように考え抜かれたカリキュラムの枠組みに、知の規準をどのように取り込むかが非常に重要であるとシュライヒャーは言います。厳密なテストは、複雑な思考スキルの評価、すなわち生徒がコアカリキュラム全体で到達目標に達しているかどうかに焦点を当てるべきだと言うのです。また、テストに基づいた選抜制度は、成熟した資格制度の一部として機能すべきであるとも言います。

教育制度が、それぞれの学問分野だけではなく、生徒の学びと発達について知見を培ってきた学習科学を拠り所にして構築されることも非常に重要だとも言います。例えば、シンガポールはカリキュラム開発において、学習の段階であるラーニングプログレッションを明示したのです。小学校から中学校へ、中学校から高等学校へと進むにつれて、生徒は間違ったことと正しいことを区別する段階から、道徳的な誠実さの理解を経て、何が正しいかを示す道徳的な勇気を持つ段階へと進むことが期待されています。教員には、生徒の成長の支援、すなわち生徒が自身の強みと弱みを知る段階から、自身の能力を信じ、変化に適応し、逆境に直面してもめげない段階まで支援することが期待されるのです。また、生徒は、チームで活動し、他者に共感したり、文化を超えて協同したり、社会的な責任を負うことで、他者との協力や共有から成長していくことを期待されます。彼らは、小学校で活発かつ好奇心旺盛な段階から始まり、中学校では創造的かつ探究心を持つ段階を経て、高等学ではイノベーティブでに起業家情神を持つことを期待されます。教員には、生徒が自ら考え自信を持って表現できるようになる段階から始まり、異なる見方を尊重して効果的にコミュニケーションをとれる段階を経て、批判的に考え説得力のあるコミュニケーションができるように導くことが期待されます。特に、生徒は自らの取り組みに自信を持つ段階から始まり、自らの学習に責任を持つ段階を経て、卓越性を追求するように成長することが期待されるのです。

この10年間に、多くの国でカリキュラムの設計方法がより計画的で組織的になったのは驚くべきことだとシュライヒャーは言います。このような動きの多くは、チャールズ・フアデル氏やハーバード大学にある彼のカリキュラム・リデザイン・センターで働く人々の業績の影響を受けました。この変化は、2 016年に開始したOECDのEducation 2030のカリキュラムデザインのプロジェクトにも反映されているそうです。国際的な観点からカリキュラムを議論することを何年にもわたって拒否してきた国々、それは、各国はカリキュラムを国内政策の領域とみなす傾向があるためですが、これらの国々も、カリキュラム設計のためのイノベーティブな国際的な枠組みの開発をOECDに任せたのです。彼らは、社会が教育に期待することと現在の教育制度が提供することのギャップが拡大しており、そのギャップを減らすためには国際協働が必要であると認識したのです。

次の課題は、質の高い教員を採用し定着させることです。私たちは、教員に多くのことを要求します。教員が知っていること、気にかけていることが、生徒の学びに違いをもたらすために、私たちは教員が何を教えているか、誰に教えているかについて、深く、そして広く理解することを教員に期待します。それは、学習成果につながる学習環境を作り出すことができるような専門的な知識、例えば、学間的な知識、その学問のカリキュラムに関する知識、その学問を生徒がどのように学ぶかに関する知識などですが、専門家としての実践についての知識を必然的に伴います。それはまた、生涯学習者として彼らの職業的な専門性を伸ばすための探究や研究のスキルも含みます。教員が生涯学習者にならないかぎり、生徒もそのようにはならないとシュライヒャーは言うのです。

多くの工夫

1990年代の終わりに、日本では「ゆとり教育」を進め、教員はこの目標に賛成していましたが、彼らがこの目標を教室で実践するための十分な支援を政府や地方の教育行政から受けることはありませんでした。また、特に中学校の教員は、過去に効果的であると証明され、日本のテスト制度によって評価されてきた実践から逸脱することに消極的でした。

そして、2003年のPISAで数学的リテラシーの低下が明らかになったとき、保護者は、「ゆとり教育」という新しい学習指導要領が子どもたちの前途に横たわる問題を解決するために用意されたものだと信しられなくなったのです。彼らは、子どもの教育で不足だと感じたものを埋めるために、これまで以上に塾に関心を持つようになったのです。多くの人々は、2006年から2009年の間にPISAのような構造化されていない、オープン形式の問題解決の能力において、日本が他のどの国よりも早く改善に取り組んだことに気付いていなかったとシュライヒャーは見ています。PISAの問題解決能力とは、「ゆとり教育」が強化しようとした創造的で批判的な思考スキルを引き出すものだったのです。しかし、改革は揺り戻しの方向に進み、この数年で学習指導要領の内容量が再び重視されるようになっていってしまったのです。

他の国々では、カリキュラムにより多くの内容を加えることで、生徒が何を学ぶべきかという新たなニーズに応えてきました。その結果、教員は教科の大量の内容をほとんど深めることなく突き進んでいくことになったのです。教育内容の増加は、教育制度が新たに生じたニーズに応える簡単な方法ですが、その一方で教育内容の削減は難しくなります。

保護者は自身が学んだことを子どもも学ふことを期待しており、教育内容の削減は教育水準を下げるものだとみなすでしょう。カリキュラムが緻密でなく、規範的でない場合、教員の仕事はより難しくなります。生徒の理解を深めるために、より多くの工夫が必要になるのです。

シュライヒャーはPISAを通して、このことを直接学んだそうです。2008年の金融危機後、政治家は学校での金融教育を強化するために、これらのスキルをPISAに盛り込むことを求めました。それは、金融教育を増やせば、生徒の金融リテラシーが向上するという仮説に基づくものです。しかし、2014年に最初の結果が報告されたとき、生徒の金融リテラシーと彼らがどれくらい金融教育を学んでいるかとの間には関係はありませんでした。PISAの金融リテラシーでトップの成果を示したのは上海ですが、上海は金融教育を多くおこなっていたわけではないそうです。上海が金融リテラシーの評価で成功した秘訣は、上海の学校が、数学教育で深い概念的理解と複雑な推論を育てていたことにあるようです。なぜなら、上海の生徒は数学者のように考え、確率、変化、リスクのような概念の意味を理解しており、これらの知識を馴染みがなかった金融の文脈に難なく転移させ、活用できたからです。

これは、どの分野をどの学年でどの順序で教えるかを決定し、定期的に再検討するには、最良の知を結集することが重要であることを示していると言います。その分野の一流の専門家だけでなく、生徒の学び方を理解している人、知識やスキルの需要と現実社会での活用法を理解している人々が必要なのです。