大人自らモデル

自分はできないと初めから思ってしまうと、その予想通りに悪い結果しか得られないということを述べキャシーは以前に述べていました。この記事のような母親の傍にいる子どもはまるで風邪が伝染するように、数学苦手病になってしまうでしょう。私達は子孫に対して疑念と恐怖の心ではなく自信を育てる環境を作ってゆかなければならないとキャシーは言うのです。

家の外で子どもが自信と粘り強さを育てる機会は沢山あります。子どもはどんな家の仕事ができるようになったでしょうか。週末何か仕事をすることはできないでしょうか。病気の隣人や親類の面倒を見ることやボランティアに参加することもできます。子どもができることを活かして誰かを助ける活動に関わる機会を作るといいと言います。こうした活動を通じて、子どもは他者を助けることが自分の喜びに繋がることを学ぶでしょう。

「心配するな。次はきっとうまくいくぞ」というように子どもを盛り立てる素晴らしい教師もいますし、残念ながらそうではない教師もいます。教師が失敗しないようにプレッシャーをかけているように思えたら、子どもとじっくり話し合い、学びは一筋縄ではいかず失敗しながら身につけてゆくものだから安心しろというメッセージを送るといいと言います。学校や教師と共に家庭まで浮き足だってはいけないと言います。これもまた私達がグリットを発揮すべき試練と捉えればいいのです。

きつい仕事を取り越え、たゆまぬ努力を重ね、グリットを発揮することしか、自分の希望を手にする道はありません。どんなことも簡単に手に入らないものだということを、子どもが理解するには大人自らがそのモデルになる覚悟が必要なのだとキャシーは言うのです。

カルラ・リナルディは明確なビジョンを持った人です。リナルディは、ボローニャとミラノの間にあるイタリアの小さな町で始まったレッジョ・エミリアの教育晢学を体現しています。彼女は、こんな言葉を言っています。「子どもは将来、市民となる存在ではなく、生まれた瞬間から市民であり、最も重要な市民であるとも言える。なぜなら今ここにある権利、価値観、文化の担い手になることができるからである。」

レッジョ・エミリアは子どもを教育する方法であるだけでなく、生き方そのものだとキャシーは言います。子どもは自分の関心に突き動かされて、自ら学びを構成できる存在と見なされます。大人は指導者ではなくコーチの役割を果たします。そして子どもは絵画や工作、歌、物語、ダンスといったものを通じて、「100の言葉」を話す存在なのだと言います。

レッジョでは子ども達が机の前にじっと座って情報を与えられるのを待つことはありません。活発に世界を探索し、常に他者や対象と交流し、何かを発見し、作り、試してみます。親や教師は子どもに何を教えるかではなく、子どもがどのように学ぶかを大事にします。こうした環境で育った子どもは強い好奇心を持って深く考える人になり、思いやりの心を持って他者と共に働く人に成長するだろうと言います。

リナルディは熱く語っています。レッジョという共同体で生活することで、子どもの中に権利、価値観、文化が浸透していきます。そして共同体、更には世界全体において優れた市民になることを学ぶというのです。大人が見いだせていない可能性を子どもが見せてくれるのだというのです。

大人自らモデル” への9件のコメント

  1. 「きつい仕事を取り越え、たゆまぬ努力を重ね、グリットを発揮することしか、自分の希望を手にする道はありません。どんなことも簡単に手に入らないものだということを、子どもが理解するには大人自らがそのモデルになる覚悟が必要なのだとキャシーは言うのです」という言葉は非常に心に響きました。教育者としてというより、親として、また大人として、さらには一個人としてどのように社会と向き合うのか、生きていくのかということを教えられたように思います。そんな自分の生き方はそのまま子どもにも伝わっていくのかと思うと、いい意味で引き締まります。まさに市民意識ということを感じる後半でした。社会の一員としてどうあるべきか、この意識をどう教育で育てていくかということは重要になってきますね。また「子どもは自分の関心に突き動かされて、自ら学びを構成できる存在と見なされます。大人は指導者ではなくコーチの役割を果たします」ということも本来の教育のあり方を感じます。子どもに何かを教え込むのではなく、引き出していく。あくまでも主体は子どもなんだということを忘れてはいけませんね。

  2. 「きつい仕事を取り越え、たゆまぬ努力を重ね、グリットを発揮することしか、自分の希望を手にする道はありません。どんなことも簡単に手に入らないものだということを、子どもが理解するには大人自らがそのモデルになる覚悟が必要なのだとキャシーは言うのです。」
    連日のブログの内容から、さらにこのように迫られた時には、そんな覚悟を持っていると自信を持って言えない自分に気付かされます。
    今日も1日ほのぼのと、のびのびと過ごし、子どもたちと笑い合い、美味しいご飯を食べて、安らかに眠りにつくことが私の希望。たゆまぬ努力なんて…と思ってしまいますが、毎日をそんな風に過ごすことは簡単ではない気もします。

    気持ちを惑わし、思考を掻き乱すものは沢山あります。たくさんの人と関わって生きています。自分自身も、望む希望へむけて無意識の中で努力していたのかもしれません。

    コロナウィルスにおける、人のストレスをあまく見てはいけないという話を聞きました。この期間に、芸能人の自殺のニュースもいくつか目にしています。

    子どもも含め、努力していない人なんていないのではないでしょうか。人はどこまで有能になれば良いのでしょうか。どんな成功を目指せば良いのでしょう。希望とはなんだろう。

    生まれたばかりの赤ん坊でも誰でも、その人なりの努力を認めることができたら良いのかな〜と理解しました。

    • 保育士として、子どもたち、保護者の方々、共に働く仲間の、当人たちも気づいていないかもしれない努力を見逃さず、賞賛と共に知らせていきたいです。

  3. レッジョの考えは面白いですね。大人の刷り込みが、いかに子どもの生きる力や想像力や創造力などを妨げているかが伝わってきます。カルラ・リナルディの「子どもは将来、市民となる存在ではなく、生まれた瞬間から市民であり、最も重要な市民であるとも言える」という言葉も胸に響きました。子どもは生まれた瞬間から、社会の形成者の一員であると感じさせてくれました。そして、それらは、子ども自身ができることを通して貢献するところに生まれるように、「子どもはどんな家の仕事ができるようになったでしょうか」と常に考えたり、「子どもができることを活かして誰かを助ける活動に関わる機会を作る」ということが大事であると知りました。他児の助けとなることを率先して行った子どもに「どうして助けてくれたの?」と聞きました。すると「なんか嬉しいから」と言っていました。他者を助けることが、自分の喜びにつながることを感じてくれているようです。

  4. 今回のブログを読みながら、大人である私は、子どもの考えや行動を受容し、応答する、ところから始めることの重要さをあらためて認識したところです。「心配するな。次はきっとうまくいくぞ」という励ましを声に出さず、私自身の気持ちの中でいっしょうけんめいに思う。このことの大切さを強く感じる今日この頃です。子どもはその気になると、自分から黙々と淡々とやるべきことをやり遂げる、ということを教えてもらっています。逆に、子どものため、と親が勝手にあれこれやると、実はそれがその子の不必要な負担であった、ということも思い知らされます。わかったら、子どものことを丸ごと信じて、大人の務めを果たす。屁理屈抜きでそうする必要を感じます。子どもというものは、親をそっちのけで、ぐんぐん成長していくものですね。かく言う私も、かつてはそうでした。子どもとはそうした生き物である、ということをわからせてもらっています。

  5. 〝どんなことも簡単に手に入らないものだということを、子どもが理解するには大人自らがそのモデルになる覚悟が必要なのだ〟とありました。自分自身、そのことは承知していたはずでしたが、そのことを伝えることができていたのかは疑問に思います。というより、モデルになっているということを考えた時に、自分の普段の生活を振り返ることが必要だということですね。そして、反省し、次に同じ失敗をしないようにする。モデルになっているということは、まず自分たち大人が失敗を恐れずに挑戦し、失敗した時にはそれを活かすことをしなければならないことを感じました。

  6. 大人というのはどうしてもかっこいい姿を見せたくなりますから、努力は影に隠しさも、なんの努力もせずとも、もともとこれだけの力は持っていたんだ、と言わんばかりに披露してきたことを自分の親の姿を見て思い出しました。粘り強く、簡単には思いどおりにいかないことのモデルになるには、失敗すらも子どもと共有しながら、成長していかなくてはならないわけですから、私には今より更にもう一歩覚悟が必要です。

  7. 「『心配するな。次はきっとうまくいくぞ』というように子どもを盛り立てる素晴らしい教師もいます。」とあります。自分自身もそういった豪快というか、大きな大人でいたいなと純粋に思います。こういったポジティブさは次への原動力になるのではないでしょうか。最近では、物事をネガティブに取ら得ることが多いように思います。何事にもネガティブさはリスクヘッジという面ではある程度必要ですし、能天気なポジティブさもそれはそれでどうかと思います。しかし、根底に自信があることで次につながるポジティブさは持っていたいものです。「きつい仕事を乗り越え、たゆまぬ努力を重ねる」そういった粘り強さをもつためには子どもたちにそういった失敗を次にいかすための原動力に変える言葉がけをしなければいけないのだと思います。大切なのは「ないものでなりではなく、あるもの探し」なのでしょうね。

  8. 家での手伝いがそのような大きな意味を持っていることを改めて知ります。小学校へ通う長男の冬休みの宿題にもなっていて、それはそういう機会を与えられないと取り組ませようとしないことだったりして、そういった課題は的を得た内容であることを再確認させられる思いです。
    園の子どもたちも大人の手伝いをすることが好きで、昨年すいすい組(5歳児クラス)を担任していた時は、何かあると手伝いたがって、むしろ子ども同士で遊んでいてほしいのに、と思う場面がいくつもありました。それは、ただその思いを汲んであげればよかったということを改めて知りました。

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