スキルの発達の順序

歴史の授業は本来、事実を教えるのではなく歴史の流れを理解するものであるはずです。教科書や資料に書かれた事実を多様なストーリーで読み換えてみることを子どもに学んでもらいたいのです。キャシーらの研究室にベルリンからの留学生がやってきて、彼にベルリンの壁が崩壊した時代をどう生き抜いたか語ってもらったことがあったそうです。その時彼が最も印象に残ったこととして口にしたのは、壁崩壊の後、歴史の本で述べられた事実が全く変わってしまったことだったのです。東欧の「事実」が西欧の「事実」に塗り替えられ、あっという間にレーニンって一体誰?というような状態になってしまったのです。このエピソードが象徴するように事実は見方によって変わるものだと言います。だからこそクリティカルシンキングが大事になってくるのです。

6Csは何十年もの心理学研究の蓄積によって明らかになりました。スキルの発達には順序があり、あるスキルが基礎となって次のスキルが芽生えます。それは子どもが発達に応じて自然に見せる姿と重なっています。コミュニケーション能力はコラボレーションできないと高まらないのです。コミュニケーションは言葉にならない声を上げている発達の初期段階であっても、自分の周囲にいる他者とコラボレーションしたいと認識することから生まれるのです。

ロビンソン・クルーソーの無人島での生活を思い浮かべてみれば解るように、自分以外に誰もいなければコミュニケーションをとる必然性は生まれません。自分に向けてのみ語りかける作家は個人的な日記は書けるでしょうが、自分の文章を読んでくれる人をイメージしなければ相手に伝わるような文章を書くことはできないのです。

コミュニケーションできるからこそ知識というコンテンツを得ることができるのです。幼児は自分で探索しながら世界について学びますが、それより遙かに多くのコンテンツを周囲の大人との言語を介したコミュニケーションによって身につけるのです。もし大人の話を聴くことができず、テキストをすらすら読むことができなかったら知識を獲得できません。学年相当の読解力を身につけようというキャンペーンが最近盛んになってきたのは、まさにこのことを憂慮しているからだそうです。このキャンペーンはケイシー財団によって始められましたが、今では多くの州において、小学3年生段階の読解力を3年生までに身につけられるように支援することを法律で義務づけているそうです。

学年相当の読解力がなく、学ぶために読むことかできない子どもは、正式の学校教育を終えることができずにドロップアウトしてしまうという事実を政治家達は認識しているそうです。小学3年生の読解力はこの政策を実現するためのカギとなる学年です。コンテンツを学ぶには読んだり、語ったり、書いたりするコミュニケーションスキルが不可欠なのだとキャシーは言うのです。

クリティカルシンキングの力が知識というコンテンツに依存しているということは驚くべきことではないと言います。コンテンツの信頼性はクリティカルシンキングの力によって左右されるので、どちらが先とも言えない部分はあると言います。しかし最初に何らかの情報を手にしていなかったら、判断のしようがありません。弁護士やディベート大会の選手は意見・立場の正当性を明らかにするために証拠を集めます。起業家はある企業を買収する前に財政状況を「精査」しなければなりません。研究者は先行研究を調べ、見落としかないか確かめた上で新しい研究に着手するのです。

スキルの発達の順序” への8件のコメント

  1. 「スキルの発達には順序があり、あるスキルが基礎となって次のスキルが芽生えます。それは子どもが発達に応じて自然に見せる姿と重なっています」とありました。やはりこうなっていくのですね。大人に制限されすぎてしまっている子どもというのは試したり、失敗したりという経験が乏しかったり、とにかく闇雲に何かするということが少ないように思います。制限されてしまっていると、それが解除された時にどうしても出てしまいますね。その時に、その時に必要な発達がある。まさに今をより良く生きるということが大切であるかということが分かります。「クリティカルシンキングの力が知識というコンテンツに依存しているということは驚くべきことではないと言います」とありました。だからこそ知識、技能の習得という言葉が入ってきたのかもしれませんが、乳幼児教育とはまた違うのだろうと思いますね。

  2. ベルリンの話、クリティカルシンキングの必要性と共に、できる限りの情報を集めてどんなに批判的に考えても、それは自分から見た物事でしかないことを感じます。ベルリンの壁が壊された頃からは時代は大きく進み、情報の量と速度は増しています。自分の考えを確かに持つことと、それを柔軟に変えていくことを両立させることが重要であり、ある意味相反する難しさがあるなと考えました。

    コミュニケーションが全ての根源であることからも、保育者の関わり方、子ども同士の関係性の保障によって子どもの育ちが大きく変わることが分かりました。

  3. 真実はどこかねじ曲げれてしまうのは、誰がどのように真実だと思うことを伝えるのかに関連している印象があります。各国の教科書は、きっと自国から見た歴史を語りますが、他国からの見方はほとんど記載されないイメージがあります。「だからこそクリティカルシンキングが大事になってくる」ということを忘れてはいけませんね。そして、昨日の表が発達の順序になっていることは理解していませんでした。ということは、最初にあるコラボレーションをいかにさせるかが、我々が取り掛かる最初の事項であることがわかりました。乳児からのコラボレーションでは、根底に蔓延っている“乳児同士は関わり合えない”という刷り込みがあってはいけません。寝返りをする前から、乳児同士や他児と触れあれる環境を構築し、関わり合いたいと自ら思わせることで、コミュニケーションスキルにスイッチが入るということなのですね。6Csの根底にも、やはり「主体性」が大事であることを感じました。

  4. 私は、6Csの並びをCommunication, Collaboration, Contents,・・・としていましたが、間違いであることがよくわかりました。Collaboration, Communication・・・。「コミュニケーション能力はコラボレーションできないと高まらない」ということです。まずは、コラボ。相手がいて、その相手と何かをすることがコラボでしょう。そのコラボからコミュニケーションが生まれ出る。藤森平司先生が「関わり」ということを重視される意味が分かったような気がします。つまり、関わりはコラボ。その関わりとしてのコラボから始めてコミュニケーションが生まれ、コンテンツが登場し、クリティカルシンキングやクリエイティブイノベーション、そしてコンフィデンスが次々と生まれ出てくるという流れに気付けるのです。現実はまさにその通りです。少なくとも、ある出来事は、この6Csの順序の流れの中から出てくるのでしょう。関わることの大切さを今回のブログから了解したところです。

  5. 〝スキルの発達には順序があり、あるスキルが基礎となって次のスキルが芽生えます〟とあり、6Csには順序があるんですね。というより、あの並びに意味があるということに驚きました。細かなところに深い意味合いは現れるんですね。
    ということは、はじめはコラボレーションを子ども同士で行わせることが大人が最初にすることであるということになります。子どもが自ら「関わりたい」と思うような環境を用意していくことがはじめの一歩であることを感じました。このことは、乳児は他者と関わろうとしていることが前提であり、関わりを持とうとしないということでは生まれない発想です。ここでも、明らかに間違っていたということが理解できますね。

  6. 社会科の授業は暗記科目と言われがちですが、その考え方がそもそも間違っているのでしょうね。好きな漫画であれば、登場人物も、話の流れも、どんな理由でその事件が起きたかも、余すことなく他者に伝えられるのに、歴史という分野に変わっただけで、取っつきずらくなってしまうのは残念としかいえません。知識を付け、背景を知るということはいっけん学問においてのみ活用されると思いがちですが、普段の人間関係にも応用できそうですね。

  7. 「事実は見方によって変わる」確かにその通りです。特にこれからの多様な社会において、こういった視点を持つことはより重要なスキルになってくるのだろうと思います。クリティカルシンキングを持っていないとなかなか、偏見が邪魔をしてしまうことになりかねません。特に今の時代、凝り固まった固定概念や先入観が邪魔をすることは多いように思います。SNSや今回のコロナの自粛警察などもまさに一方向ばかりの見方が起こした問題であるように思います。個を尊重することも大事です。しかし、それは集団を否定することではなく、良い個が良い集団を作るということを忘れてはいけないのだと思うのです。コミュニケーション能力というのを一言で言っても、なかなかその本質はよく見えてきませんでしたが、今回の内容を見ていくと、その本質が少しずつ見えてくるように思います。コミュニケーションとは単に相手とのやり取りのことをいうのではなく、思いやりや共感を基にした関わりのことをさすということを改めて感じました。

  8. 歴史とはこうも多様な解釈の生まれるものかということを、学校教育を出て、大人になってから知りました。多くは司馬遼太郎氏の著書からそれを学ぶのですが、しかしそれも、例えば豊臣秀吉の描き方においては司馬遼太郎氏が秀吉をとても好んで描いていることが文面からも伝わってきますし、それはまた違う著者が描けばまた違った解釈になるだろうことを想像させます。そのような、ある意味では大人になってか知るのかもわからないような学びの世界に、子どもの内から触れることが出来たなら、世界は広がっていくだろうことを容易に想像させます。

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