変革

教育システムの変革は、表面的な法令のコンプライアンスをもたらす施政によって義務づけることはできず、まったく何もないところから構築することもできないのが課題だと言います。

政治だけで教室内を革新させることはできませんが、変化のために事例の構築や組織だったコミュニケーション、21世紀の学びに向けた指針を明確にすることには役立つとシュライヒャーは言います。政治は刺激を与えるとともに実行可能となるよう、プラットフォームや橋渡しとして重要な役割を担っています。資源を集中し、政策の情勢を促進し、新しい実践を奨励するよう説明責任や報告を調整することができるのです。

しかし、教育は変化の鍵となる主体をより明確にし、擁護し、イノベーションの拡大と普及のためにより効果的なアプローチを見つける必要があるのです。それは、イノベーターがリスクをとって新しいアイデアを実現するためにありとあらゆることをおこない、成功を認識し、報酬を与えるのにより良い方法を見つけることだというのです。過去においては、公共セクターと民間セクターが対立していましたが、今後は公共セクターと民間セクターが共に進むことが重要になってきます。

多くの教育システムはこれらの課題にひるむことなく、孤立した地方の事例だけでなく、システム的にも革新的な対応を見つけるための道を切り開いているとシュライヒャーは言うのです。

彼はこんな逸話を紹介しています。

「暗い夜、車に戻った時に車のキーを紛失した運転手の話がある。彼が街灯の下を探し続けていたところ、誰かに「鍵を落とした場所はそこか」と聞かれ、「違うがここしか見えないから」と答えた。」この逸話は、教育にも同じことが言えると彼は言うのです。「最も手にしやすく、見やすいものを見るという根深い本能があるというのです。見るのに最適な場所ではなくても、慣れ親しんだ質問と回答がある。多くの場合、最も重要なことではなく、最も簡単に測定できる方法で教育の進捗状況を確認する。そして、他の所で達成されているものとの比較ではなく、自国や特定の地域の自身の学校内で起こっていることのみに基づいて教育を議論することが多い。」

これが、彼がPISAの調査を始めたきっかけのようです。コロナで翻弄された今年も終わろうとしています。その先行きは未定であり、不安でもあります。しかし、この時期だからこそ、私にとっては、今まで行ってきた教育、特に幼児教育を見直し、新しい時代に向けて歩んでいこうと思った1年でした。今まで行ってきたことは慣れ親しみ、手にしやすく、見えやすいものかもしれません。しかし、それは最も重要なことではなく、新しい時代に向かって、新しい分野を見つけていくことだと思います。しかも、できるだけ具体的に、また、実際に歩みを進める時期だと感じています。どうしても、理念が大切と言いながら、お題目を唱えるだけで終わってしまいがちです。そこには、同意や共感はあるものの、明日からの具体的な道筋は見えてきません。子どもを守ると言いながら、リスクから遠ざけるために家に閉じ込め、行動を規制するようなことだけでは、その影響は後に表れてきます。どうすれば、リスクを減らし、大切なことを行うことができるのかに知恵を絞り、どんな時でも子どもの発達の歩みを止めてはならないのです。

教育の結果の保障

シュライヒャーは、これからの時代に価値あることは、孤立した個人の成績ではなく、より協同的で、多くの人の協同する能力を元に皆の知識を共有、統合していく必要があると言います。そのために、学校は、生徒が現代の生活で多元的共存を自覚して成長することをよりよく促す必要があると説いているのです。私が、乳児期から、子ども同士のかかわりを大切にしていこうと提案することに繋がります。

協同性が大切である時代に向けて、教育は何をしてきたのでしょうか?2015年のPISAによる最初の「協同問題解決能力」の調査結果では、集団力学を意識し、目的達成のための障害を克服し、他者との意見の不一致を解決する行動を必要とする問題解決を完了できたのは、15歳の生徒はOECD加盟国平均で、10人中1人より少なかったそうです。そして、目標を達成し、他者と共に生きて働き、感情をコントロールするのに関係するこの社会情動的スキルには、忍耐、共感、他者の視点、思慮深さ、倫理、勇気、リーダーシップなどの性格が含まれるのです。その育成が、IQからEQ力への移行、非認知能力の獲得への課題と移ってきていることなのです。

様々な考え、観点、価値観の理解、多様な文化的起源の人々との協力、そして、国境を超えた問題により人生に影響を受ける世界で子どもたちが生きてい働くのに役に立つのは、STEMの一つであるテクノロジーによって空間と時間を橋渡しです。テクノロジーによって、世界中の人々がさらに繋がっていくとともに、多様なチーム内での効果的なコミュニケーションと適切な行動が必要になってきます。これは、今までの一人の大人対子どもの関係から、多様な大人のチームによって子どもを支える必要があるということだと思います。

さらに、このような子どもの育ちを保障するために、地域コミュニティの豊富なリソースに対してオープンであり、家庭、地域社会、高等教育、企業、特に他校や異なる学習環境で行われることが必要になります。今までは、どうしても学校は孤立しがちです。すると、潜在的な可能性を制限してしまいかねません。また、内容にしても、今までは教科中心の指導でよって行なわれてきました。今後は、プロジェクト型になり、主題となる教科や分野の境界を超えて生徒が考えるのに役に立つ経験を積み上げる必要があるのです。また、かつては異なる生徒にも似通った方法で教え、標準化が目標とされ、標準的なカリキュラムに従い、年齢層ごとに教育され、全て同時期に同様に評価されてきました。これからは、多様性を受入れ、一人一人が人生のさまざまな段階で異なる方法で学ぶことをより認識する必要あるのです。

従米の政策は、教育を提供することに注力してきました。それが今、教育の結果の保証に変わっているのです。上を見て働く官僚主義から次世代の教員、次世代の学校、そして次世代の教育システムへの移行です。従来の政権は、学校運営を重視していました。今求められるのは、優れた教員を支援、評価、育成し、イノベーティブな学習環境を作り上げる学校管理職の教育的リーダーシップであるとシュライヒャーは言うのです。これからは品質管理ではなく、品質保証が求められるのだというのです。幼児教育の場でも、今後は質が大事と言いますが、保育の質管理ではなく、保育の質を保障することが課題になってくるのです。

学習環境

PISAへの取り組みや、試行錯誤の経緯を知ることは、これからの学力観、新しい時代に求められる子どもの力を考えるうえでとても参考になります。また、その多くは小学校以降の子ども達対象ではありますが、その教育に結びつけるための乳幼児教育を考える上でも参考になります。私たちは、どうしてもその結果だけで右往左往してしまいがちですし、すぐに順位をあげるための手段を考えがちですが、もっと長期的な展望を持つことの大切さも教わります。

効果的な学習環境は、他との専門的、社会的、文化的資本を高めるため、常に相乗効果を創出し新たな手法を見つけ、家庭や地域社会、高等教育、企業、特に他校や異なる学習環境で行われることでまさに革新的なパートナーシップを作ることになると言います。複雑な学習システムにある現代の世界で孤立すると、潜在的な可能性を制限する危険があると危惧しています。

過去の指導は教科中心でした。将来の指導は多くがプロジェクト型になり、主題となる教科や分野の境界を超えて生徒が考えるのに役立つ経験を積み上げる必要があるとシュライヒャーは言います。過去は階層的でもありました。未来は協同的であり、教員と生徒の両者をリソースであり共同制作者だととらえる必要があると彼は言うのです。

過去には、異なる生徒が似通った方法で教えられましたが、現在では多様性を受け入れ異なる学び方を取り入れる学校システムが必要だと言います。以前は標準化とコンプライアンスが目標とされ、標準的なカリキュラムに従い年齢層ごとに教育され、全て同時期に同様に評価されました。今後は生徒の学習や評価が個別化されるよう、生徒の情熱やの能力から指導を組み立て、熱意や才能を育成するため独創性を奨励する必要があるというのです。

学校システムは、一人一人が人生のさまざまな段階で異なる方法を学ぶことをより認識する必要があると言います。生徒が学びに向かい、生徒の成長に最も役立つ教育を提供する新しい方法を創り出す必要があるというのです。学習とは場所ではなく活動なのだからとシュライヒャーは言うのです。

従来の学校は技術的に孤立した島のようであり、既存の実践を支援するテクノロジーに限られていたと言います。そして、生徒は学校以上にテクノロジーを導入し、活用していたのです。今や学校は過去の慣習から学びを開放し、新しく効力のある方法で生徒をつなぎ、知識や源泉や革新的な応用でテクノロジーを使いこなす必要があるとシュライヒャーは主張します。

シュライヒャーの考える今の学校システムと、今後の望ましい学校の在り方の提案は、少し難しいかもしれませんが、重要な内容です。まず、今の学校は生徒が個々に学び、学年末には個々人の成績を評価します。私が、以前指摘したように、学校は、個人間の競争によって成り立っています。そこでは、他に勝つこと、他より抜きんでることが求められます。しかし、現在は、世界がより相互に依存するにつれ、より協同的であり、俯瞰して実務を行うような人が必要になってきています。今や、物事を進めたり、改革したりするためには、孤立した個人の成果ではなく、むしろ知識を動員、共有、統合された成果だというのです。

異なる視点

異なる視点や世界観に従うには、一人ひとりが他の起源や含意や前提を調べる必要があります。これは他者の現実観や視点に深い敬意と関心を持つということである。私が一昨年出版した「保育の起源」は、そこを意識しています。保育の起源を考える上では、他の起源や合意、前提を知ら得る必要があると思っているのです。もともと保育や教育は、他の分野と違って、人の生き方、生活、文化に関係するものだからです。そこには、当然経済も考慮しなければなりません。決して、他の介入を拒むほど聖域ではなく、広い視点から見ていく必要があるのです。シュライヒャーも、そう考えているようですが、だからといって、他者の立場や信条を認識するとは、必ずしもその立場や信条を受け入れることではないというのです。しかし、複数のレンズを通して物事を見る能力は自分自身の視点を深め、より成熟した意思決定を可能とします。そうでなければ、教育システムは砂上の楼閣になってしまいます。たとえ境界を主張しても、相互依存している現実では境界を維持できないというのです。

これらの認知的、社会情動的スキルを育成するには、学習と教育のための非常に異なるアプローチや教員の能力が必要となります。前もって準備された知識を授けるような教育では教員の質は低くなります。そして教員の質が低いと、政府は望む結果を得るために民間セクターを使って、教員に何をすべきか、どのようにしてほしいのかを正確に伝える傾向があります。現在の課題は、教職というものを高いレベルで自律し協同的な文化で働く進歩的な知識労働者とすることだとシュライヒャーは言うのです。教員は有能な専門家、倫理的教育者、協同学習者、革新的な設計者、変化に富むリーダー、社会の構成員として働いているのです。

しかしそのような人々は、主に行政上の説明責任体制、職務を指示する官僚的な指揮命令系統、科学的管理主義で組織された学校の交換可能な大量生産品としては機能しません。現代の学校システムに必要な人々にとって魅力的であるためには、学校の専門的な統制基準、官僚的で管理的な職業基準を変える必要があると言います。過去とは社会通念であり、未来とは私たちが創り出す知恵なのだというのです。このことから、彼は、「過去に学ぶのではなく、子ども達の将来のために備える」ことが大事だというのでしょう。すなわち、「昔からそうしてきた」とか「今までこうしてきた」ということにとらわれずに、これからどのような社会になるかをよく見極め、今何が必要なのかを考えることが大事であるということだと思うのです。

かつては分断されていました。すなわち生徒を内部に閉じこめるように設計された学校で、教科や将来のキャリアへの期待別に分けられたことにより、教員や教育内容も振り分けられたのです。校内以外は全て外部で、家族とのかかわりや他行とのパートナーシップにも消極的でした。将来は教料や生徒の相互関係に重点を置いて統合していく必要があると言います。また、実社会の文脈と現代の課題に密接に関連づけられ、地域コミュニティの豊富なリソースに対してオープンな学びであらねばならないとシュライヒャーは言うのです。

今後の学校

学校での従来的なアプローチとして、扱いやすいように課題を小さく分割し、解決方法を教えることがよくあります。しかし、現代の社会は様々な知識分野を統合し、以前は関係ないと思われたような考えを結びつけることによって価値を創造するのです。そのためは他分野の知識に精通し、受容する必要があるちうのです。

現在の学校では、通常、生徒が個々に学び、学年末には個々人の成績を評価します。しかし、世界がより相互に依存するにつれ、より協同的であり俯瞰して実務をおこなうような人が必要になると言います。イノベーションとはいまや孤立した個人の成果ではなく、むしろ知識を動員、共有、統合された成果であると考えています。ウェルビーイングは総意に基づいて協同する人々の能力にますます依存しているのです。したがって学校は、生徒が現代の生活で多元的共存性を自覚して成長することをよりよく促す必要があるというのです。つまり、協同を教えその価値を理解するとともに一人ひとりの学業成績を達成し、生徒が自分自身のために考え、他者のために行動できるようにすることを意味するのです。

現実には生徒がほとんどの時間を個々の机で過ごしており協同学習の時間は限られていることが、2015年のPISAによる最初の「協同間題解決能力」の調査結果から驚くほど明らかになったのです。集団力学を意識し続け、目的達成のための障害を克服し、他者との意見の不一致を解決する行動をとる必要があったとはいえ、比較的シンプルな内容の間題解決のタスクを完了することができた15歳の生徒はOECD加盟国平均で10人中1人より少なかったそうです。

より一般的には、要求されるスキルの変化が社会情動的スキルの重要性を高めてきました。目標を達成し、他者と共に生きて働き、感情をコントロールするのに関係するこのスキルには、忍耐、共感、他者の視点、思慮深さ、倫理、勇気、リーダーシップなどの性資が含まれます。実際にシュライヒャーは、そのような性質を育成する際立ったエリート校を見てきたそうですが、幅広い目標を不可欠なものとして掲げてきた教育システムはほとんどなかったそうです。大多数の生徒にとって学校での人間性形成は教員の優先事項であるかどうかによる運の間題だと彼は言うのです。

社会情動的スキルは次々に多様性と重要な形で交差していると言います。様々な考え、観点、価値観を理解し、多様な文化的起源の人々と協力し、テクノロジーによって空間と時間を橋渡しする必要があるという世界、国境を越えた問題により人生に影響を受ける世界で子どもたちが生きて働くのに役立ちます。テクノロジーによって世界中の人々がさらに繋がっていくとともに、多様なチーム内での効果的なコミュニケーソンと適切な行動が多くの職場での成功の鍵となると言います。雇用主は、新たな文脈に自分のスキルや知識を適用したり応用したりし、容易に適応する学習者をますます求めています。相互に関連する世界に求められる社会人として、若者はグローバリゼーションの複雑な動態を理解し、異なる文化的背景を持つ人々にオープンである必要があるというのです。

変化する世界

生厖学習とは、絶えず学び、状況が変化したときに知識を調整し学び直すことであり、振り返り、見通し、行動の連続したプロセスを意味すると言います。振り返りには、意思決定や選択、行動する際に既知のものや想定されているものから一歩引き、異なる点をもって批判的なスタンスを取る必要があります。見通しには、将来何が必要か、今日取った行動が将来の結果に及ぼす影響を見越すため、分析的思考や批判的思考といった認知能力を結集します。情勢を作り変化させるのは私たち全ての人にかかっていると信じるからこそ、振り返り、見通しとともに、責任ある行動を進んでとるようになるのです。こうして主体性が育ちます。現代の学校とは、生徒が絶えず進化、成長し、変化する世界で適切な場所を見つけて順応するための場であるとシュライヒャーは考えています。

まだ存在しない将来の仕事のために学び、想像し得ない社会の課題に取り組み、まだ発明されていない技術を活用する準備のため、学校は生徒がかつてない急速な変化への準備をする場となるというのです。また、生徒が相互につながり合う世界で、異なる視点や世界観を理解し、他者を尊重して互いによくかかわり合い、持続可能で集団的福利のために責任を持って行動する準備の場となるのです。

彼の言う学校の役割、学校がどのような場になるべきかは、その就学前である幼児教育のあるべき場を考えるうえで、きちんと認識する必要があると思います。ここにも子ども同士の関わりの大切さが示されています。「生徒が相互につながり合う世界で、異なる視点や世界観を理解し、他者を尊重して互いによくかかわり合い、持続可能で集団的福利のために責任を持って行動する準備の場」は、どの場でも必要なことです。

私たちは認知的、情動的、社会的レジリエンスを強化する教育により、予期せぬ混乱の中でも人は組織や制度を存続し、おそらく繁栄させることができ、社会や経済の変化にあって第栄するのに必要な柔軟性、知性や敏感さをコミュニティや機関に提供できると言うのです。

もちろん最先端の知識は常に重要であると言います。革新的で創造的な人々は、一般的に知識や実践の分野で専門的なスキルを持っています。学び方を学ぶことが重要で、人は常に何かを学ぶことによって身につけます。しかし、教育での成功はもはや学んだ内容の知識を再現することではなく、主に既知のことから推定し、今までにない状況で創造的に応用することであると言います。このことはIT社会になることで、将来なくなる職業の一覧表を公表して話題になったケンブリッジ大学のオズボーンも、今後労働市場で生き残っていくために必要な力として、「高いcreativity」を挙げています。それは、「複数の一般的なアイデアを、一般的ではない方法で組み合わせることで新しいアイデアやものを作り上げる能力」であるとしています。全く同じことを言っています。

シュライヒャーは、例えば、科学者、哲学者、数学のように考える認識論的知識は、特定の公式、名前、場所を知ることよりも優先されると言います。ですから今日の学校教育に特に必要なのは、創造性、批判的思考、課題解決や判断を含む考え方、コミュニケーンヨンやコラボレーションを含む活動方法、新しい技術の可能性を理解し活用する能力を含む活動のためのツール、能動的かつ賢明な市民として多面的な世界に生きる能力であるというのです。

繁栄の決定要因

PISA型の達成日標に向けて多くの国がメキシコ同様の対策をとったそうです。各国は、もはや過去の調査結果と学習到達度を比較するだけで自国の教育制度を検証するのではなく、今や世界最高レベルの教育システムが達成した得点をもとに目標を設定し、その目標への到達度を測っているのです。

社会がどのように人々の知識や技能を使い発展するかは、繁栄の決定要因の一つです。PISAに端を発したOECD国際成人力調査(PIAAC)によると、スキルの低い人はより良い報酬や報われる仕事に従事することが非常に難しいことがわかりました。新しい産業の登場に伴い他の産業が衰退するように、デジタル化はこの傾向を拡散しています。この衝撃をやわらげるのが教育に他ならないとシュライヒャーは言うのです。2016年5月にスウェーデンのステファン・ロヴェーン首相にシュライヒャーが会ったとき、彼はこのことを踏まえ、今後自分の仕事が消えるかもしれないことを人々が受け入れるためには、知識やスキルを持って新しいものを創造するという自信を持つことの重要性を何度も強調したそうです。

スキルの低い成人人口が多い場合、生産性を向させ技術を活用することが困難になり、収入や雇用以上に生活水準を上げる障壁となります。PISAによると、スキルの低い人は変化する雇用市場では脆弱なだけでなく、社会から遮断され政治的なプロセスにおいて無力だと感じることが多いということがわかったのです。

また同じくPIAACによると、スキルが低いほど他者や制度に不信感を持っているようです。一方、教育、アイデンティティ、信頼の関係性の根源は複雑ですが、これらは現代の社会どうしを結びつけるのに重要です。人や公共機関、十分に規制や整備された市場への信頼なくして、特に短期的な犠牲があり長期的なメリットが直ちに明らかにならない場合、革新的な政策のための公的支援の結集は困難となると言います。

教育者は元来、道徳的な見地から教育を主張することを好みますが、教育の質と経済実績との関連性は強いとシュライヒャーは言うのです。この指摘は、重要ですね。しかし、それは単なる仮説ではなく測定可能なものだと言います。経済学者でスタンフォード大学のフーバー研究所のエリック・ハヌシェク上級研究員は、工業世界の教育システムが最高の状態ではないため、OECD加盟国では今年生まれた世代が生涯にわたり経済生産高260兆米ドルを失う可能性があると指摘しているのです。言い換えれば、教育システムの欠陥は大きな景気後退と同等の影響を永久的に持つことになるというのです。

彼は、教育について大切なことを言っています。それは、「過去に学ぶのではなく、子どもたちの将来のために備える」というのです。孔子とソクラテス以来、教育者は二つの目的を認識してきたと言います。それは、過去の意義や重要性を伝えるとともに、若者が未来の課題に備えられるようにすることです。学校で学んだことが生涯にわたり長持ちするとされた時代には、知識や型どおりの認知能力を教えることがまさに教育の中心でした。検索エンジンを介してコンテンツにアクセスし、定型的な認知課題がデジタル化されてアウトソーシングされる今日、生涯学習者となれるように焦点を当てる必要があるというのです。

ブラジル政府

シュライヒャーは、ドイツ、イタリア、日本、メキンコ、ノルウェー、スウェーデン、イギリス、アメリカ、欧州議会の議会公聴会に出席しただけでなく、様々な組織や企業の経営者たちとも会ってきたそうですが、これらの人々は、教育を単に自分たちの会社の将来の働き手を生産する工場としてではなく、自分たちが暮らし働く社会を形成するにあたり重要な役割を果たすものであることを理解していたのです。教育には、様々な組織や企業が身近な問題として考えるだけでなく、長い目で、また、広い目で社会を考えることが必要ですね。私は、日本にはそこが足りない気がしています。そして、その対策には、当然国家がどれだけ予算を計上するかだけでなく、企業が投資するかにもかかってきます。これも日本では、なかなか教育に対して投資することが少ないように思えます。

シュライヒャーらが19 9 7年にPISA開発に取りかかったとき、プラジルの大統領からPISAに参加したいとの電話を受けたそうです。プラジルはOECD加盟国以外でPISA.への参加意向を表明した最初の国で、ある意味驚きだったそうです。当時のフェルナンド・エンリケ・カルドーゾ大統領は、プラジルが国際結果一覧の下位になるだろうと予想していたでしょう。しかし、後にこのことをシュライヒャーが彼と話した際、彼は当時のプラジルの教育制度改革における最大の障壁は資源や能力の欠如ではなく、「低レベルの教育水準の中でも生徒が良い点数をとっていることなだ」と語っていたそうです。誰も改革が必要だとも、可能だとも思っていなかったそうです。カルドーゾ大統領は国民に真実を理解してもらうことが大切だと考えたのです。そこでプラジルは、自国のPISAの得点を公表しただけでなく、2021年までにPISAのOECD平均得点に到達するためにはどれだけの成績向上が必要かをすべての中等学校に向けて説明したそうです。この大統領の取った行動も見習うべきですね。ただ得点が高いことお国民に示すことではなく、改革お国民に理解してもらうことが、長期的に必要だということを理解していたのですね。どうしても、中途半端に高い得点を取ってしまうと、次第に低下してくることには目をつぶってしまいかねません。

当然、それ以降のブラジルのPISAにおける進歩は目覚ましかったそうです。初めてPISAに参加してから9年後、ブラジルは読解力で2000年のPISA開始以来、最大の得点アップを記録したのです。

メキシコも同様だったそうです。2006年のPISA調査によると、メキシコの15歳のほぼ半数がPISA到達度基準の最低ればる以下の学校に通っていたというデータがあったにもかかわらず、2007年のメキシコの調査では保護者の77%が、子ども達が受けている教育の質について良いまたは大変良いと回答していたそうです。一般に受け止められている教育の質と、国際比較の結果との齟齬には多くの理由が考えられます。例えば、現在メキシコの子どもたちが通っている学校は、保護者が通っていた時代のものよりも質が高いのかもしれません。

しかし、ここで大事なのは、世論からの要求がない事項への公的投資の正当化は容易ではないということです。2008年2月にメキシコの当時のフェリペ・カルデロン大統領にシュライヒャーが会った時、彼は国内の中学校に対してPISA型の国際水準達成を目標に設定するよう検討していたそうです。この達成目標によって、国内の成績と国際水準とのギャップが際立ち、教員の動機づけや能力開発の機会提供などを含むギャップ解消に向けた改善について詳細な話し合いがおこなわれたのです。

アメリカ政府

PISAの関心はますます盛り上がっていきました。2009年8月にシュライヒャーが外部専門家として出席したアメリ下院教育労働姿員会のリトリート会議では、世界の教育リーダーからアメリカが学び得る政策上の教訓について活発な議論が行われたそうです。その一月後、彼は全米州教育長協議会主催リトリートの一環で、州政府教育部門リーダーたちのフィンランド視察に随行したそうです。抽象的な議論はその時点ですでに終わっていたのです。アメリカのリーダーたちは世界最高の成果をあげた教育システムを持つ国の教育リーダーたちに直接会うべく視察に向かっていたのです。この頃の熱と行動力ははすごいですね。その取り組みは、単に成績を上げるためではなく、将来の国家のため、今後の社会を見据えてのことだったのでしょう。

しかしアメリカ政府が調査結果に本気で注目したのは、続く2009年のPISA調査後、2009年から2 015年までアメリカ教育長官を務めたアーン・ダンカン氏の主導によってだったそうです。彼の「トップへの竸争」の取り組みはアメリカ各州間の競争を推進するだけでなく、ワールドクラスの教育ンステ.ムに注目し、外部へ目を向けるよう各州に促したのです。シュライヒャーはアメリカで一般的に教育のイメージキャラクターとみなされるマサチューセッツ州でこの取り組みの諮問委員を務めました。諮間委員会は、マサチューセッツ州が、州の結果と世界で指折りの教育ンステムとの依然として大きなギャップをいかにして埋めることができるかに正面から取り組んでいたのです。

彼が、各学年の履修内容の枠組み設定を目指して制定されたコモンコア教育スタンダードの検証委員を務めたときは、アメリカの子どもたちが21世紀に習得するべき日標を設定するにあたり、世界最高レベルの教育システムとの比較が大きく影響していたのを見たそうです。

当然のことですが、メディアが幅広く取り上げてので、PISAの影響は世界中に広まっていったのです。ドイツではPISAに関するテレビ番組が作成され、かなり人気となったそうです。そして、教育という特定分野の議論が、教育、社会、経済の関連性という国民的論へと変容していったのです。

政府がPISAの結果を、同様の課題を持ちながら成功している他国と比較し、政策と実行を検証するピアレビューの開始点として利川してきた国もありました。改善に向けた一連の具体的な政策アドバイスを引き出すこうしたピアレビューは、OECDにおけるシュライヒャーらの業績を裏付けるものとなったのです。

PISAにより、政策立案者や研究者同士のピアラーニングが促されていきます。しかし、おそらく最も意味があったのは、教員の組職や組合を含む現場の教員たちのピアラーニングも活発になったことではないかとシュライヒャーは言っています。

ここで、最後に彼は、PISAの重要な貢献として忘れてはならないのが、一般国民がより良い教育サービスを求めて声を上げるようになったことではないかと言います。多くの国の保護者組織が積極的な役割を果たしたのです。

各国の改善

シンガポールは今や教育機関の質においても、革新的な教育政策の立案や実施における教育者の関与の深さについても一歩先を進んでいると言われています。そんなシンガポールが幼児教育にも力を入れ始めています。シンガポールと言えば、幼児期から現地のマレー語だけでなく、英語、中国語の三ヵ国で保育をしており、ほとんどの幼児が三ヵ国語を話すことができます。しかし、今後のIT社会になると、語学力だけでは意味がなくなるということで、いち早くSTEMという科学を取り組み始めています。そして、私が提案するFUJIMORI METHODを多くの園が取り入れ、実践しはじめています。それは、子どもは生まれながら有能な学習者であるということと、乳児から子ども同士の関わりから刺激を受けるという考え方です。

では、日本についてシュライヒャーは、どう評価しているのでしょうか?日本はこれまで一貫してPISA最上位国の一つです。しかし、各教科の履修内容の再現を要求する間題には強くても、習得した知識を未知の状況に応用する自由記述形式での成績は芳しくないことが判明したと言っています。この結果について多肢選択式の大学人試に慣れている親世代や世論の理解を得るのは容易ではなかったようです。日本は全国学力調査に「PISA型」の自由記述形式を取り入れるという政策で対応しました。この改訂により指導方法にも変化が見受けられたと言います。2006年から2009年の間に日本は、加盟国の中で、自由記述形式において最も足早の改善を見せたのです。この改善は、弱点に対応するための公共政策の変化が、いかにして教室の現場での変化をもたらせるかを示している点で大きな意義があるとシュライヒャーは言っています。

国民の生活向上のために東アジアがどれだけ教育に力を注いでいるか、未だに西欧諸国は低く見積もりがちだというのです。シュライヒャーが2012年9月ロシアのウラジオストックでAPEC首脳会議で講演した際、彼は、これが教育関係者だけでなく、政府のトップレベルにおける強い関心事となってきていると実感したそうです。

アメリカでは最初のPISAはそれほど注目を集めなかったそうです。2006年の調査結果発表と共に風向きが変わっていきました。ウェストバージニア州の前知事で、卓越した教育連盟のボブ・ワイズ会長の呼びかけで、全米知事協会、全米州教育長協議会、ビジネスラウンドテープル、アジアソサエティが調査結果を聞くために2007年12月4日にナショナルプレスクラブで一堂に会しました。

数か月後の2008年2月、シュライヒャーは全米知事協会冬期会議でPISAについて講演し、国際比較に向けられた州知事たちからの大きな関心を目の当たりにしたそうです。その月に故エドワード・ケネディ上院議員とワシントンのオフィスで会い、ポーランドがいかにして6年間で成績不振の生徒の数を半減させたか説明したそうです。ケネディの瞳は輝き、当初20分の予定だったシュライヒャーのアポイントはほぼ3時間に及んだそうです。その年の5月、当時の上院多数党院内総務のハリー・リード上院議員とケネディ上院議員によって特別なランチョンミーティングが手配され、シュライヒャーは20名の上院議員と共にPISAの結果について議論したそうです。