知ったかぶり

とにかくやってみようとする自信は生涯、消えることはなく、今自分が本当にできること以上に知っているという思い込みを強く持たせることになるとキャシーは言います。水洗トイレの仕組みについてあなたはどの程度知っているでしょうか。毎日使っていて、構造や機能は単純に思えます。従ってトイレの水を流す仕組みをどのぐらい知っているかについて7段階で評価してもらうと、殆どの人が「よく知っている」ことを表す「7」をチェックしたそうです。しかし水をどう流し、どう貯めるかという構造について記述できるかどうか尋ねると、先程とは正反対で殆どの人が低い得点をチェックし「できない」と答えたのです。

本当はよく解っていないことをどうして初めは知っていると思ってしまったのでしょうか。この理由についてイェール大学のローゼンベルトとカイルは、「解っている」と過信することが私達に役立つからだと説明しているそうです。私達はとても複雑な世界に生きていて物事の全ての働きについて因果関係を説明するのは不可能です。そこで私達は全て理解しているという幻想を持ち、多くのことを考えるのをやめ、自分達が重点的に考えなければいけないことだけに集中します。「私達が実際に理解している以上に知っているという幻想を持つことで状況への適応力は増し、自分達に必要十分な範囲内で満足できる」のだというのです。

ただ闇雲に挑み続けることは大きな問題を引き起こすことがあると言います。なぜなら知ったかぶりが蔓延するからです。実際手当たり次第にやってみるだけの人がCEOやCFOに就任したら、その会社は悲劇に見舞われるだろうとキャシーは言います。2008年のリーマンショックの時、至るところにそんな尊大な経営者が溢れていました。殆どの企業トップが極めて深刻な経済状況に陥っていることを見抜くことができなかったのです。皮肉なことに多くの企業は健全経営を目指そうとする慎重なリーダーよりも自信に満ち溢れたトップを選び、更に泥沼にはまっていったのでした。それはマーク・トウェインの警告通りでした。彼は、「問題なのは知らないことではない。知りもしないことを知っていると思い込むことだ」。と言ったのです。

次のレベルであるレベル2は、「自分の実力を相対的に見極める」で、人と比べることの功罪とキャシーは言います。私達が他者と自分を比べ始める時「一体私はどのあたりにいるのだろう?」と問います。心理学者はこれを社会的比較と呼んでいます。小学校の時「私はあの子より頭がいいけどあの子ほどではない。私はあの子より足が速いけどあの子よりは遅い」というように、他者との比較にとてつもないエネルギーを費やしていたのを覚えている人もいるのではないかと言います。他者との比較は、自分は何が得意で、何が得意でないか現実的に評価する練習になると言います。自信はある特徴について他者と比べた時、自分がどの位置にいるかを確認することで形成されます。数学が得意かどうか判断する場合、子どもは決して上級生でも下級生でもなく同じ学年の子と比べます。これは子どもに限ったことではありません。大人も社会的比較を行う時は自分と似たような人々を選ぶのです。そして大抵の場合、相手の方が自分よりもできるように思ってしまいます。

知ったかぶり” への7件のコメント

  1. 人はあらゆることで悩みます。私自身もそうです。ですが、その悩みはある意味では人間として自然なことであるということをブログを読んでいて感じました。そんなことを受け入れることができたらいいのかもしれませんね。そして、同時にバランスの重要性を感じるような内容でした。知ったかぶりであるが故に自分がやらなければいけないことに集中することができる。しかし、同時にそれが過ぎてしまうのも問題であるということですね。何に対してもやはり過ぎてしまうのはよくありませんね。人と比べるのもまた必要なことでありながらも、やはり比べ過ぎてはよくないような気もします。このほどほどの感覚、バランスを保つということ、どうすればうまくできるのでしょうか。どうやったらそれができるのか自分自身、常に考えながら過ごしていきたいと思います。それは、周りの人の声にしっかり耳を傾けることでもあるのかもしれませんし、状況に合わせて対応していくということでもあるのかもしれません。いろいろ考えられそうです。

  2. 「「解っている」と過信することが私達に役立つ」という見解はとても面白いですね。そうすることで、「自分達が重点的に考えなければいけないことだけに集中」できるようにしていたのですね。多くの情報がある中で、自分が本当に理解しているというのはわずかです。自分はなにも知らない存在であると認識することよりも、知っていると幻想を抱く方が世の中を渡り歩いていけるというのは、なんだか深いなぁとも感じます。芸能界に限らず、日本では多くの人が自死という選択をしている現状があります。良いか悪いかではなく、たまにはそういった幻想に自分を惑わせることができるスキルを持ち合わせているというのが、自死から身を守る手段でもあるのかも知れません。

  3. 他者との比較ではなく、その人自身を見ようという話は保育業界でよく聞きます。その一方で、他者と比較することが人の本能に機能的に備わっているのだと分かりました。だからこそ、気をつけて意識して、その人すら気づいていないその人だけの魅力を伝える存在が必要なのだろうと感じました。
    また、改めて人は集団の中で育っていくことを知りました。周りの存在と比較した時にどうであるか、自分が1番だと思っていたら、別の集団に入ると自分よりも遥かにできる人がいたり、自分には力が無いと思っていたら、自分の力を必要としてくれる人がいることに気づけたり、だからこそ異年齢保育が必要なんですね。
    集団の質を高める為に保育者がどのように振る舞うべきか、考えていきたいです。

  4. 園の子どもたちの何人かはよく「知っている。知っている。」を連呼することがあります。一次的答えは確かに知っているのでしょうが、今回のブログで紹介されているような水洗トイレの仕組みを知っているかと同様に、子どもたちに更なる問いを出すとだいたい答えられなくなります。その「知っている」の発言にはどんな背景があるのでしょうか。知っていることで褒められたり、高く評価されたり、そうした体験を積んだ結果なのでしょうか。まぁ、問いを発する方もややもすると「これ知っている?」的な問いを発してしまいます。その答えとして「知っている!」もっとも、知ったかぶりは当のご本人の姿勢に関わりますが、決して否定されるべきことではないでしょう。知ったかぶりをすることによって実はよくわかっていない自分に気づく場合もあるでしょう。そして、そこから物事を本当に知ろう、と来るならいいですね。化けの皮が剝がされていくことによってもっと知る必要がある、ということはありそうです。ギリシャの古代哲学者ソクラテスの「無知の知」出すまでもなく、知らないことを素直に知らない、という姿勢こそが尊ばれるのかもしれません。

  5. 子どもに何か質問した時によく「知ってる」と答えることがあります。ですが、本当のところは怪しいことが多くあることがあります。何でも「知ってる」というのは単に見栄を張っているだけではなく、これまでを生きてきた人間の術であったんですね。そして、それだけでは難しいと判断した時に「知ったかぶり」からの脱却することで、さらに上を目指そうとするということになるんでしょうか。「知ったかぶり」をすることで、自分が本当はよく知らないことがその時の感情も含めてありありと記憶されるのかもしれません。そんな体験を繰り返していくことで次のレベルへと押し上げていくのではないかと感じました。やはり、集団での生活や人との関わりが人にとって大切であることが理解できました。

  6. 知ったかぶるという性質が人間社会で生きていくための処世術になり得ているという解釈は新鮮です。そう考えると知ったかぶっていることは平均値で、そこから頭ひとつ抜き出たいと考えるなら知ったかぶってしまう脳の構造を意識して変革しようと企む必要がありそうです。知ったかぶらず、奢らず、知ろうとすること、知りたいと思う気持ちを大切にすること、知りたいと思うものを知っておくこと、自然作り上げている各々独自のフィルターがあるかのようです。

  7. 人は知ったかぶりをすることで「全て理解しているという幻想を持ち、多くのことを考えるのをやめ、自分達が重点的に考えなければいけないことだけに集中」するのですね。その反面で「問題なのは知らないことではない。知りもしないことを知っていると思い込むことだ」と多くのCEOやCFOが失敗したようなことにも繋がる。「知らなければいけないこと」と「知っていなくてもいいこと」の取捨選択は必要なのでしょう。そして、そこにおける探求心というものも必要なのでしょうね。最近、これと似たようなことを私も体験しました。「ゆとり教育」や「アクティブラーニング」について、これまである程度知っているつもりで話していたのですが、ある本を読んでその内容を改めてみると、知らないことが多くあり、自分自身も知ったかぶりをしている部分があったなと思う反面、新たな側面を知りワクワクしている自分もいました。まさに「知りもしないことを知っていると思いこむ」状態でした。そう思うと「知ってるつもり」のものはたくさん世の中にあるのだと思います。そして、それを知るのは意外と面白いものでした。こうして人は探求をやめないんだろうなと改めて思います。

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