努力と練習

努力と練習の価値を知ることは持続して取り組むように動機づけることに関係しているようです。別の言い方をすれば学びは瞬間的なものではなく、真剣に取り組む必要がありグリットを発揮することが求められ、生まれながらの素質だけでは不十分であることを子どもが理解すると、締めず難題に立ち向かい成功することができるようになるのだとキャシーは言います。

学習科学のどの研究者にインタビューしても一斉学力テストの点数や学業成績を上げるという、今まさにアメリカがやろうとしているアプローチは、これまでの研究が見出したことと相反するやり方だと断言しています。子どもがじっくりと取り組める余地を作ることが大事なのでというのです。すぐに理解できなかったら諦めるというマインドセットを育ててはいけないのです。「教師と親は成績やテストの点数ではなく、子どもの学びのプロセスに目を向けるべきである。学びには時間がかかるのであり、一つ一つのプロセスをじっくり進んでゆくことを認めよう。特に学びの初期の段階では学習者は必ず失敗するが、むしろそれは学びの種になると励まそう」とオーティンは言っています。

キャロル・ドゥエックはこれを別の言い方で言っているそうです。学習者が脳も筋肉と同じように練習によって鍛えられると理解すれば、学びの途中で障害にぶつかっても、諦めずに取り組み続けるようになるでしょう。学びに努力はつきものだと実感することで自信が生まれます。失敗は学びのプロセスにおいて避けられない部分であるという理解を学習者が持つように支えることで、強い意志を持ち、粘り強く取り組む姿勢が育つのだというのです。とはいえ学習科学の研究者が明らかにしているように、自信の形成は家庭環境、学校環境といった要因に左右されます。私達は親として、教師として、学びの傍に寄り添う者として、成果ではなくプロセスが大事であるということを強く心に銘じておかなければならないとキャシーは助言しています。

自信によってパフォーマンスは大きく変わります。失敗することが予想される状況に人々が置かれた時、パフォーマンスは大幅に低下し別人のようになります。思考停止に陥り、予想通り、良い結果を出せずに終わってしまいます。しかしうまくいくと予想される状況に置かれると良い結果を出すのです。

モエとパッツァグリアは、基準として提示された立体と同じものを心の中で回転させて、どのような形になるのかを四つの図から選ぶ課題に取り組む時に、事前に与える「期待」の違いがパフォーマンスに影響を与えるかどうか調べました。そこで男女のグループを二つに分け、一方には男性の方がこの課題が得意であると伝え、もう一方には女性の方が得意であると伝えた後、課題に取り組んでもらいました。結果は男性が得意と言われた場合、女性のパフォーマンスは落ち、女性が得意と言われた場合、男性のパフォーマンスが落ちたのです。自信は人為的な操作の影響を受けやすいことが明らかになったのです。どんなグループであれ、あるグループのメンバーはうまくできないということを信じてしまうと、自己達成的予言のメカニズムによって実際にそのメンバーのパフォーマンスは悪くなります。逆にあるグループのメンバーはうまくやれると信じれば、良い成果を出してしまうのです。これはグッドニュースだとキャシーは言います。それは、子どもに正しいメッセージを伝えれば、自信を伸ばすことができるという結果だからです。

努力と練習” への8件のコメント

  1. 「失敗は学びのプロセスにおいて避けられない部分であるという理解を学習者が持つように支えることで、強い意志を持ち、粘り強く取り組む姿勢が育つのだというのです」このように思えるとかなり強くなれるようなそんな気がしてきます。学びのプロセスにおいては避けられないというのがいいですね。失敗があってこその学びなのだということを感じます。そう思えると、失敗した時の対処も全然違いますし、子どもに対しても失敗は肯定的なものであるということを伝えていけるように思います。「自信によってパフォーマンスは大きく変わります」「自信は人為的な操作の影響を受けやすいことが明らかになったのです」とありました。このあたりは他者と関わる際には注意しなければいけない点ですね。他者の力を引き出すような関わり方を意識するのであれば、これらは気をつけなければいけません。また、自分としても自信を持つことの大切さを教えられました。

  2. 「子どもに正しいメッセージを伝えれば、自信を伸ばすことができるという結果だからです。」1つの言葉、関わりが良くも悪くも影響力を持つということですね。ある意味オートマチックに、プロセスを見守ること、努力や練習する姿を褒めることができるように、常に意識し続けていきたいと思います。

    また、失敗というのは、学習のみならず、人間関係においても非常に重要であると考えます。2歳児は、人間関係における失敗を毎日繰り返します。
    その時に保育者は、どれだけ中立的にいられるでしょうか、どれだけ、子どもたち自身の気持ちで伝え合えるでしょうか、大人の価値観はどのように伝えたら良いでしょうか。
    自信を持って人間関係を築ける人になって欲しいなと思います。その為には、喧嘩という失敗がとても重要なのでしょう。
    子どもたちが安心して喧嘩できる環境を作っていきたいです。

  3. ある事柄において、ある程度の安心感、すなわち、自信、を持てるようになるためには、「努力と練習」が必要なことは言うまでもありません。そこには「グリッド粘り強さ」がまた必要になるでしょう。「理解できなかったら諦めるというマインドセット」から離れていたいものです。親心の中には「無理しなくていいよ。諦めも肝心」とわが子に思いを馳せることがあります。これは決して非難されたり否定されたりすることではないでしょう。しかし、このことを親が子の前で口に出して言うことはどうかと考えます。逆に、「がんばれ、がんばれ」と口に出して叱咤激励するのもどうかと思います。大人として安易な言葉かけを子どもにしてはならないのではないでしょうか。私たち大人は心の中で湧き出ずる思いを思いとしていればいいでしょう。好きこそものの上手、です。好きであれば、努力も練習も惜しみません。子どもたちに求められるのは自分の好きを見つけ出し、集中没頭するという体験の積み重ねでしょう。

  4. 努力と練習の価値を自ら知ることで、社会に出たときであってもレベルの高い「コンフィデンス」を携え、ありとあらゆる問題に対してもしっかり向き合える気質を発揮することができるでしょうね。そのためにも、私達は子どもたちの努力や練習といった「過程」を把握しておくことが前提としてあるわけで、それが発達を良く見るという視点でもあるように感じました。その子がどのように発達を遂げていったのかを言葉で伝えるというのが、「この前はここまでできたけど、今日はここまでできたね!」とか「何度も練習してたもんね!」などのような言葉がけになるのでしょうかね。

  5. 学生の頃、「テストや試験で解らない問題があったら、それは飛ばして解ける問題から解きなさい」のように教わったことを覚えています。その解き方はそのテストの点数は上がるかもしれませんが、長期的にみた場合はあまり良い効果は得られないのかもしれないと読みながら思いました。〝すぐに理解できなかったら諦めるというマインドセットを育ててはいけない〟とあるからです。息子の宿題を見ている時に、その言葉をそのまま言ってしまっています。変えようと思います。
    努力と練習の価値を自らが知ることで、勉強以外のたくさんの問題にも働きかけることができますね。自分も部活動を必死になってしていた経験から、今、困難な問題に直面しても「その時の辛さに比べたら今の問題は簡単なものだ」と思えます。その背景には、よく自分のことをみててくれた大人たちがいたということを知り、顧問の先生などなど、改めて感謝です。

  6. たしかにテストや学業成績を重視するといったやり方は、今の時代にはそぐわないかもしれません。しかし、このやり方の唯一のメリットとして、突出した人材を育成するといったものがあるのかもしれません。常にトップに立ち続ける上位数パーセントは、学びに対する自信や能力がぐんと延びるような気がします。逆にいえば、それ以外は切り捨てるという、貧富の差の拡大や能力の二極化に繋がりますから、もしアメリカやこのやり方を取り入れる国々が、それを目的としていたならば怖い話ですね。

  7. 「初期の段階では学習者は必ず失敗するが、むしろそれは学びの種になる」とありました。この文章を見た時に、せいがで働いていた時にいただいた様々な金言を思い出します。人間関係で困ったときは「その人は今の君の課題だね。出会えてよかったね」と言われたことや「天は乗り越えられない壁を与えないよ」と言われたこと。様々な言葉がリフレインして今の自分のポジティブな考えに変換させてくれる力を与えてくれます。「うまくやれると信じれば、良い成果を出せてしまう」とキャシー氏は言っています。まさに人のモチベーションというのは思い込みの力というは非常に大きいのかもしれません。そんな自分も周りにいる人に力を与えれる人になりたいと常々思います。自信は人為的な操作の影響を受けやすいというのはリーダーとなるべき人は心に留めておかなければいけないように思います。自分自身も胆に銘じなければいけない言葉がここにもあったと思いました。

  8. クリエイティブな発想でこの度のコロナ禍を乗り越えられるなら、どんな発想があるものなのだろう、と思えてきます。現況の教育を存分に受け、またその中で首席たる成績をもって大人へとなっていったであろう方々が、国を動かす要所に就いていることでしょう。それを思うと、この現状も何となく理解できるかのようです。
    若者の意見が政治に反映されるには、選挙の投票数に若者の投票が無ければそこに政治家は目を向けない、と耳にしました。自然投票数の多い年代へ向けて政策はとられていくことでしょう。この国の変化を望むなら、先ずは選挙に足を運ぶことからかもわかりません。

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