子どもの関心

トーマス・エジソンが電球や蓄音機を発明するまで、何度も失敗し、困難の連続だったことはよく知られています。図書館に行き、何冊かエジソンの本を借りて、子どもと一緒に読んでみるといいと言います。きっと成功は簡単には手に入らないと理解するはずです。我が子がきつい仕事を乗り越え、たゆまぬ努力を重ね、グリットを発揮する人になることをあなたは望んでいるでしょう。学ぶこと、発明すること、成功すること、いずれも一朝一夕に成し遂げられることではありません。徒竸走で勝ち、歴史のプロジェクトでいい作品を作るというようなことでさえ、一生懸命に努力することが必要です。子どもがこのことを理解するように、大人は関わっていかなければならないとキャシーは言うのです。

子どもが自信を育てたいと考えるなら、まず子どもがどんなことに関心を持っているのか知ることです。そのうえでもし本人がやりたいと思っていることがあるなら、とことん取り組める機会を作るといいと言います。もし子どもがアイススケートに強い関心を持っていることが分かったら、一緒にスケートに行く機会を頻繁に作るといいと言います。たまにレッスンを受けてみるのもよいだろうと言います。ここで大事なことは子どもが努力によって能力を高める原体験を積み重ねることだと言います。この原体験がどんな場面においても自信を発挿するための礎となるのです。別の場面で子どもが何かに対して「できない」と口にしたら、アイススケートの時の原体験を振り返り、うまくなるためにどんな努力をしたか、どれだけ時間がかかったかということを思い出すようにするといいと言います。こうしてどんな場合も、うまくなるためには粘り強く取り組む心要があり、すぐにできる・できないという結論は下せないという認識を育ててゆくべきだというのです。

子どもがやろうとしていることは最初から良いとか悪いとか決めずに、どんなことをしているのか尋ねるといいと言います。問いかける場合もただ何でも質問すればよいというわけではありません。もし子どもが絵を描いている時、「犬の絵を描いているの?」と質問してはいけないとキャシーは言います。。それは自分の意見の押しつけであり、子どもが何を考えているのか知ろうとする問いかけではありません。子どもが「何でこの犬の毛は緑色かって言うとね」と自ら語ろうとするのを促さなければならないというのです。評価・尋問するのではなく、楽しく語り合うのだというのです。自分の思いを子どもが素直に語ることが自信を形成し、積極的に試行錯誤してみようという粘り強さを育むのです。ここまで何度も繰り返しキャシーが言ってきたのは、大事なのはプロセスであって結果ではないということです。結果の評価ばかり気にして、自分に自信を持てない子どもを育てるようなことがあってはならないのです。

始まりは家庭であることは間違いありませんが、それだけではありません。最近「ニューヨークタイムズ」の記事で数学への苦手意識がどのように何世代にもわたって受け継がれてゆくのかということが取りあげられていたそうです。もちろん数学遺云子などありません。子どもが算数の宿題に手こずっているので親は助けようとしますが、親自身も解き方が解らず、顔をしかめ、苦しみの声を上げてしまいます。まだ子どもは小学3年生なのにこの有様です。この記事の中である母親は子どもに親が数学で苦しんでいる顔を見せるのがよくないと思い、目の前にいる子どもから自分の顔が見えないように宿題の用紙で隠しました。しかしこれは無駄な努力です。なぜならどんなに顔を隠しても「全くこの教師は何考えてるのかしら。馬鹿じゃないかしら」などという暴言を吐いてしまうからです。

子どもの関心” への7件のコメント

  1. 昨日の中山先生のコメントに「わが子を信じる」という言葉がありました。様々に理論立てて、大人の関わり方について語られてきましたが、子どもを信じるということに集約されているように感じました。
    子どもたちは、自分を信じてもらった分だけ、自信を得ることができるのだろうと思います。
    子どもたちの関心ごとへの取り組みを信じ、問いかけ返ってくる答えを信じて、大いに語り合いたいものです。

  2. 「子どもが自信を育てたいと考えるなら、まず子どもがどんなことに関心を持っているのか知ることです。そのうえでもし本人がやりたいと思っていることがあるなら、とことん取り組める機会を作るといいと言います」とありましたが、このことが何より大切ですね。まさに私たちの関わり方で大切な引き出すということだと感じました。そのためには子どもが好きなものを見つけられるような環境は用意してあげなければいけないのかもしれません。興味のあるもの、関心のあるものを見つけることができるというのが何より大切ですね。それが見つかったら、そのことへの取り組みは全力でサポートしていきたいなと思いました。まさに子どもの主体性を大切にするということでもあると思います。「評価・尋問するのではなく、楽しく語り合うのだというのです。自分の思いを子どもが素直に語ることが自信を形成し、積極的に試行錯誤してみようという粘り強さを育むのです」ということもまた、子どもを主体として捉えているからこその関わり方だと思います。大人の思いを押し付けるのではないということ、しっかり意識して関わっていきたいと思います。

  3. 子どもの関心に関心を持つということが大切ですね。大人から、いかにこれが面白いよと促したとしても、その子の興味関心にハマらなければ意味がありません。それが、発達を理解するということでもあると思いますが、その子の気質なども考慮しなくてはいけませんね。その子どもの興味の中に「自信」があるとすれば、そこを掘り下げながら伸ばしていく促しが必要です。それが、「犬の絵を描いているの?」ではなく、最初から良いとか悪いとか決めずにどんなことをしているのか尋ねるということなのですね。大人はどうしてもはじめに善悪基準を持ってしまいます。それも大事だと思いますが、それを子ども自身で理解しようとする機会や時間を与える重要さを学びました。

  4. 今思い出すことがあります。父母の寝室の棚に「努力」という二字を額装した小さな置物がありました。おそらく、今もあると思います。以来、「努力」は私の座右の銘になってきたと思います。考えてみれば、努力とは、努める力。その努める力とは、その都度その都度、異なるでしょう。他人に言うことではありません。自分自身に言い聞かせる言葉です。努力に優る力はない。この努力こそ「プロセス」において発揮されている力でしょう。何かをいっしょうけんめいやっている時、私は、努力しているな、とか、がんばっているな、などとは基本、思いません。何だか一生懸命やっている。おそらく、それが努力していることなのでしょう。わが子は今、年明けの試験のために努力しています。ストレスがマックスになりかけています。親としては、何も言わず、ただその努力を心の内で賞賛しているだけです。がんばれ。

  5. 子どもが自分で選んだ好きなことに没頭できる環境を用意してあげること、そのことが何より大切なことなんですね。子どもはこちらからけしかけても案外なびかないものなんだということを今までの経験から感じています。息子は自分が子どもの頃していた野球にはなびかず、サッカーをはじめましたし、園の子どもを誘導しようとしてもなかなか上手くいきません。大人は子どもの後ろについていくくらいの感じでいる方がうまくいくのでしょう。その上で大人の刷り込みを入れることのない「問いかけ」として、〝「犬の絵を描いているの?」〟ではなく、子ども自身が考えていることをすくいあげれるような「問いかけ」をしていく必要性を感じました。

  6. 「習い事」の取り組みは努力によって能力を高める原体験を積み重ねることを目的としなければいけませんね。逆に自分の意見の押し付けで「習い事」をさせることの意味も同時に考えてしまいます。そう考えると、習い事や課外での活動の大人として子どもに対する姿勢も変わってきますね。「楽しく語り合う」という言葉が紹介されていました。まさにその通りなのでしょうね。「語り合う」というのは相手があってのことで、相手とのキャッチボールが成り立っていた初めて成立することです。そして、その内容は結果の評価ではなく、過程が話題に上がることにつながらざるを得ない気がします。子どもの何を見るかは、「子どもを楽しむ」ことから始まるのかもしれません。自分も人の親になり、その気持ちは持っていたいと思います。

  7. エジソンについては、私は一度も失敗をしたことがない、こうすると上手くいかないということを発見し続けただけだ、つまりは発見という成果の連続だった、という言葉を残したとも聞いたことがあり、なるほど、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康をホトトギスを例にして表したそれのように後世の人の手によって描かれたものなのかもしれませんが、もしそれがそうならば、エジソンは取り組んでいたことが大好きだったのだろう思えてきます。大好きなこと、無性にどうしてもずっと粘り強く取り組んでしまうこと、それを知っていることが大切なことと改めて思います。

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