失敗覚悟

もし失敗覚悟で挑戦するレベル4の自信(Confidence)を育てたいなら、女性は数学が苦手だというような世の中に広まっている根拠の乏しい決めつけに触れさせないようにすべきなのです。そのためには子どもに与えるおもちゃも可能性を狭める恐れのあるものを選ばない配慮が必要です。私達は学びがどんなに大変でも、諦めずに挑戦する学習を支えていかなければならないとキャシーは言うのです。

「失敗覚悟で挑戦する」ことは「勇気を持つ」という意味も含んでいると言います。ピーター・ドラッカーは企業のCEOは落ち目の会社であっても成功に導く力を持っていると確信していました。そのために求められるのは会社の強みと弱みを幅広い視野で捉え、苦難の道が待っていても会社全体で何を目指すのか真剣に問い続ける気持ちだというのです。

レベル4の自信を持ち、失敗覚悟で挑戦した先人の例は数々あります。バラク・オバマはそんな自信の持ち主であろうと言います。だからこそ彼は強い政治基盤を持っていたわけではないのに、有色人種として初めての大統領となることができたのです。

エレノア・ルーズベルトがホワイトハウスに入る以前、大統領夫人の役割は夫である大統領を支える良妻を演じることでした。高級な茶碗を選び、お茶を入れるタイミングを見計らうことが仕事だったのです。しかし彼女はそんな因習を打ち破り、市民権と女性の権利を拡大し、第二次世界大戦中時代、女性が工場で仕事を得られるように活動しました。当時多くの人々が関心を抱いていなかったことに対して献身的に取り組もうとする自信はどこから生まれたのでしょうか。彼女はこう書いているそうです。

「目の前の恐怖に立ち向かう経験をするたび、あなたは強さと勇気と自信を身につけることができる。そして「こんな恐ろしいことを切り抜けられたのだから、次にどんなことが起きても大丈夫だ」と言えるようになる。自分にはできないと思うことをやってみなさい。」

ルーズベルト夫人は、私達そして子ども達に対して、目の前の問題にどう真剣に立ち向かうべきか教えてくれるモデルと言えるとキャシーは言います。私達も全ての人が自分達の努力を認めてくれるわけではないということを心に留めて、それでもなお前進する自信を持ち続けなければならないというのです。

1957年、デラウェア州ニューアークの地下室でボプ・ゴアと彼の息子、ロバートの二人によってゴアテックスは発明されました。その時父はデュポン社で働いて、この発明を社内で発表し製品化することを提案しましたが却下されてしまったのです。そこで彼は起業したのです。今では年商320億ドルの大企業となり、世界初の通気性防水素材は医療機器から靴まで幅広く利用されています。ゴアは次のような企業理念を掲げているそうです。

「私達は従業員=アソシエーツが最大服の自由を感じて仕事ができる場を作りたいと考えている。何かをしようと思えば失敗するのは当たり前で、恐れることはない。多くのことを達成しようと焦らず、着実に進んでいこう。」

人工心臟を発明し心臟病の治療法を変えたマイケル・デバキーのことを紹介しています。彼は世界で初めて心臟バイパス手術を行いました。彼の早熟ぶりは群を抜いていて、医学生時代に人工心肺装置の主要部分を発明していました。医学的、更には倫理的観点からもかなりリスクの高いことに彼は果敢に挑んだのです。

失敗覚悟” への7件のコメント

  1. いわゆる「失敗」が我が身に大打撃となるのは、結果として「失敗」となった事柄に対して甘い観かたを持っていた場合のような気がします。私自身の経験から、そのことが言えます。「失敗覚悟」のチャレンジは、仮にうまくいかなかったとしても、さほどダメージとはならないでしょう。むしろ、次のチャレンジに向かわせるエネルギーに転換される可能性があります。やったことがないことをやろうとする、その時に求められる気持ちが勇気ですね。はたしてやれるのだろうかという不安を抱えながら、そのことにチャレンジする。無我夢中でやります。うまくできたかどうか。怖くて振り返ることができません。但し、やった、という事実だけを噛みしめます。これからもそうした機会が訪れるのだろうなと思います。振り返ってみれば、子どもの頃からチャレンジだけはしてきたような。うまくいったこともそうではなかったこともあったでしょう。しかし、やった、という事実だけは厳然としてあり、次のステップへのエネルギーになっていたということだけは変わっていないなと感じているところです。

  2. 「女性は数学が苦手だというような世の中に広まっている根拠の乏しい決めつけに触れさせないようにすべきなのです」これは非常に意識していきたいことです。こうやって刷り込まれてしまっていること、たくさんあるのでしょうね。女性は虫嫌いということもその一つであるかもしれません。小さい頃は女の子も男の子も虫には興味があるように思います。しかし、徐々に女の子を虫嫌いにさせていくのは、大人である女性のリアクションでもあるのかもしれません。なるほど、女性はこうあるべきなのかと刷り込まれているのかもしれませんね。「自分にはできないと思うことをやってみなさい」という言葉からはとても勇気をもらえます。ついついそういうことを避けてしまいがちですが、そんなことにチャンスが転がっているということはありそうですね。失敗してもいい、またやり直せばいいんだからと思える気持ちがあることが、いかに人を強くするのかということを学ばせてもらいました。才能というのはこういうことでもあるのかもしれませんね。

  3. こうした例に出てくる人たちは、並外れた自信と勇気を持っているのだろうと思います。そして、それらを持ち合わせていることで、弛まぬ努力を自らに課せるのでしょう。
    しかし、おおよそ一般的な人にとって、それらは等身大ではないのだろうと感じます。また、子どもたち、特に保育園に通う時期の人にとっては、それらの例はあまり参考にならなそうです。
    その反面、例に出てきた偉人たちも、当たり前に乳幼児期を経て、大きなことを成し遂げるようになったのですね。

    私たち保育者は、壮大なビジョンを持ちながらも、それらをうまくスケールダウンさせて、子どもたちの「失敗覚悟の挑戦」を真に応援していくことが求められているようです。

    新しい遊びに挑戦するその様は、いつか社会を変える何かに繋がっているのだと本当に思えるかどうかで、関わり方やかける言葉一つの質が変わる気がします。

    いくつか前のブログで「成功」についての話がありました。失敗や成功にスケールは関係ないとも考えます。
    その人なりの、成功があって、その過程で挑戦と失敗、試行錯誤を繰り返します。
    社会課題へ懸命に取り組むことと、家内安全に人生を捧げることを比較することはできません。
    生物学的に考えれば、失敗を恐れない人と失敗を恐れる人とがいて、多様性であるとも言えそうです。それでバランスが図られているようにも思います。

    子どもたちに「求めないこと」≒「最大限の自由」を保障すること、失敗とか成功とかを問わない、その人を臆病だとか勇気があるとか評価しない、その先に、その人なりの「自信」が身につくのかなと考えました。

  4. ルーズベルト夫人の言葉には、とても感動しました。「目の前の恐怖に立ち向かう経験をするたび、あなたは強さと勇気と自信を身につけることができる」「自分にはできないと思うことをやってみなさい」これほどまで、背中を押される言葉がないのではと思うくらい、力強い言葉だと感じます。例え結果がうまくいかなかったとしても、得られるものはあるという見方は、それをしないことはもったいないことのようにも感じられます。また、自分にはできないことへのチャレンジ精神を育みます。「失敗を覚悟する」というのはなかなかできないことです。できない自分を認めるということであると思うからです。そこを切り抜けられたとき、人は成長の列車に飛び乗ったようにも感じます。

  5. ここに挙げられている人たちというのは、相当な自信を持っていたからこその偉業なんでしょうね。それこそ何度も「覚悟の上の失敗」を繰り返してきているんでしょう。失敗するのが分かっているのに手を出す、というのはなかなかできることではないですね。自分の力を見極めていることの証拠でもあるように感じます。ただ、そこを乗り越えたら、得られるものは大きいんですね。失敗して得られるものと、動かないで守れるものを天秤にかけた時の見極めも大切なように感じました。

  6. 私の妻は「失敗しても自分のできることをしっかり準備しての失敗なら、なんとも思わない。それは納得できるから」といつも言います。その姿にすごく憧れと尊敬を思うのですが、実際今の自分の立場になるとある程度の裁量権を持つことになるので、否応なしに決断を迫られるので時に失敗も起きるのです。しかし、それをどう捉えるかで物事の生かされ方は大きく違ってきたように思います。決断に迷うとき、自分の思いつく限りであったり、もがき苦しみながらの決断は失敗しても、あきらめがつき次の対応に入っている気がします。大体モヤモヤするのは、感情的に決断したときですね。多分、勢いで決断し、あまりものごとをしっかりと考えていなかったからなのだろうと思います。まさに「覚悟」ですね。最近そういった意味では、人の意見を取り入れることの大切さを改めて感じました。覚悟を持って決断する時には時には自分の否を認める「覚悟」も必要ということを最近少し感じれるようになってきました。

  7. 恥をかくことを恐れる文化が江戸時代に徳川家康の手によって構築され、その頃のいわゆる三河者の価値観がそのまま日本人観へとなっていったという説があるようです。あながち間違っていないと思うのは、新しいことをすれば10に9くらいは間違えてしまうもので、その度その間違えを指摘されれば、人は萎縮してしまうでしょう。恥をかくな、という教えを素朴な日本人はある意味では遺伝子レベルで信じ込んでいるようで、それならばどう考えることが豊かなことなのか、新しい価値観の創出が必要なのかもわかりません。

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