自分自身を見つめる

人の書いた文章を批評する場合も同じであると言います。例えば人が書いたレポートを批評する時「行われた実験は不完全だった」と書いて、あとは何も記述しないというのは許されません。レベル4のクリティカルシンキングを発揮して批評するには、書かれていたことのどの部分が「不完全」でそれはなぜかを明確に表現しなければならないのです。自分自身の考えと表現にクリティカルシンキングを働かせることで批評の質は大幅に向上するのです。どこがうまくいき、どこに改善の余地があるかを明らかにし、良い議論を文章で表現する方法を磨いてゆくべきであると言うのです。

自分のクリティカルシンキングスキルを磨き、高めてゆくことはできるとキャシーは言います。日々直面する課題についてクリティカルシンキングを働かせて答えを見つけてゆこうと言います。その時にインターネットの情報は最初のきっかけとしてとても役立つと言うのです。新車を買うかこのまま今の車に乗り続けるかと思った時、保証の期間を比べたらどうなるか?という問いからスタートして、多面的に色々な問いを出して考えてみます。こうして日常場面でクリティカルシンキングのスキルを使いこなしていけるのです

ゲームしたり、愉快な物語を作ったり、本を読んだりする時、なぜ?と尋ねるのをいとわないことです。これこそ子どものクリティカルシンキングスキルを伸ばすために最大の効果を上げる方法だと言うのです。ゲームがクリティカルシンキングを育てるのにとても有効なのは、違反した時にルールの存在に否応なく気づかされるからです。

もちろん、そのためにはルールについて学ぶ必要があります。誰が最初に行くのか、なぜこの動きはカウントされないのか、無数のトラブルが発生し必然的に激しい議論か巻き起こり、自ずとルールの存在が浮かび上がります。見解の不一致が生まれることは悪いことではなく、むしろクリティカルシンキングの力を育てるのです。決して声を荒げたり、暴力を振るったりせず、他者を尊重するやり方で異議を申し立てる能力をゲームによって育てようと言います。そうすれば兄弟姉妹や仲間達との間で問題が起きても、うまく解決できるようになっていくだろうと言います。コミュニケーションする力を発揮して、他者とうまく交渉し、建設的に批判する方法は子どもが学ぶべき重要なスキルなのです。

子どもにただお話を語ることも最近すたれつつあるようですが、面白いお話をしてくれる人のことを子どもは大好きです。親や保育者は自分自身のことについて子どもに語ろうと提案します。特に親達が自分達と同じぐらいの年齢の時、どんなことをしていたか聞きたがります。この時に子ども達は沢山の質問をしてくるでしょう。問いを出すことは自分を取り巻く世界について学ぶために、そして建設的に批判する態度を育てるために必要だと言います。そのうえ全くお金をかけずに、子どもや孫との素晴らしい絆を作り出せると言うのです。

読書はクリティカルシンキングを使う最高の場であるとキャシーは言います。物語の展開が突然変化した時、子どもは本当にこんなこと起きたの?なんで崖から落ちなかったんだろう?なぜ彼らは……したの?というような問いを発しないわけにはいきません。

自分自身を見つめる” への6件のコメント

  1. 「問いを出すことは自分を取り巻く世界について学ぶために、そして建設的に批判する態度を育てるために必要だと言います」とありました。いい対談にするためには相手を好きになることである。また、相手に興味を持つことであるということを誰かが言っていました。そのことがどこかいつも頭にあり、誰かとじっくり話をするとき、まだあまり知らない人と話す時などには相手に興味を持ち、いろいろとその人を知るために、自分のことを一方的に話すのではなく、質問をたくさんしようとなんとなく意識しています。自分のことを話してしまうことも往々にしてあるのですが、このような姿勢は人と関わる上でも大切だったりするのでしょうか。様々なことに問いを持つというのはやはりしっかり話を聞いているからだと思います。相手をしっかり受け入れているとも言えるのかもしれません。そんな姿勢が問いにもつながっていくように思いました。

  2. 今回の内容を読んでいて、やはり身を置くコミュニティの価値観に大きな影響を受けることを感じます。そのコミュニティ、身近な人間関係次第で、思考する機会や情報量とその質、それらの捉え方が大きくことなります。
    2歳児の子どもたちは冗談が大好きなようです。今日も何人かの子どもたちと、会話しているだけで夕方の時間が過ぎていきそうでした。
    クリティカルシンキングやクリティカルイノベーションなど理論は大切なのでしょうが、人間関係の中で身近な人に響くのは、格好よさ、可愛らしさ、美しさ、面白さといったことじゃないでしょうか。
    真に楽しい、面白い会話をしていきたいなと思います。

  3. 昨日、年長児が筑波山登山に行ってきました。その後、ある男児が「山を降りたら声が低くなったんだよ。不思議でしょ!」と言っていました。声が低くなる…どういうことかなぁと思いましたが、話を聞いていくと気圧が関係していると気付きました。「どうしてそうなったと思う?」と聞いてみましたが、「ん〜わからない。」と言っていました。「わからない」という単語がクリティカルシンキングを阻む要素になっていることに気がつきました。大人でも、何気なく「わからない」と言ってしまいますね。その言葉を発する前に、時間をかけても、自分なりの答えを導き出す習慣をつけていきたいと感じました。そして、「見解の不一致が生まれることは悪いことではなく、むしろクリティカルシンキングの力を育てるのです」とあるように、上記の答えが他者と違ったとしても、そう思った理由などを伝え合い、情報を共有することで、クリティカルシンキングは深まっていくのだろうなと思いました。

  4. クリティカルシンキング自体は必要ですが、その結果を他者と共有する際、往々にして生じるのが、見解の不一致ですね。その見解の不一致を埋めていくためにも、クリティカルシンキング癖を私たちは持つ必要があると思います。まぁ、そこには「決して声を荒げたり、暴力を振るったりせず、他者を尊重するやり方で異議を申し立てる能力」が必要となってくるのでしょう。子どもたちのやりとりを見るにつけ、自己主張を徹底しています。相手の話に耳を傾けるようになるには、実は相当な時間がかかります。ピーステーブルで話し合う子どもたちはとても根気強くやりとりしているなと思えます。私たち日本人はこのクリティカルシンキングがあまり得意でなないのかもしれません。一人で考えている分には問題ないのですが、他者が現れた時、見解が一致していれば問題ないのですが、そうでない時は、議論、やりとりが途中で打ち切られることがあります。説得がやがて折伏になってしまう場合もあります。今にして思うのは、話のやりとりのしかたを10代20代でしっかりとやっておくべきだな、ということです。

  5. 新しいものを買う時というのは、すごく考えます。新車購入の例えであるように、あれこれと考え、途中で考えるのをやめてしまいたくなる場合もありますが、その考えている時間がクリティカルシンキングを高めている時間ということになるんですね。〝見解の不一致が生まれることは悪いことではなく、むしろクリティカルシンキングの力を育てる〟とあり、高額の新しいものの購入時というのは、夫婦間で揉めることが多々ありますが、その時間は貴重なクリティカルシンキングを深めている時間だと捉えていくと、チャンスであり、お互いを高めていくための時間だということに繋がりますね。そんな風にして夫婦間の仲というのは築いていくものなのかもしれないなと思いました。

  6. 「日々直面する課題についてクリティカルシンキングを働かせて答えを見つけてゆこうと言います。その時にインターネットの情報は最初のきっかけとしてとても役立つ」自分の欲しい情報だけをふんだんに手に入れられる時代に鳴らされる警鐘についてばかり視点を当てていたことを知ります。すぐに何でも調べる、それはクリティカルシンキングへ続いている道だったということがわかれば、調べることはむしろ過程であり、そういうことでもって調べるという行動をとろう、という気持ちが湧いてきます。何かを思いつき、始めようとする、その過程で知りたいことがあるから調べる、その一連の流れの中に調べる、という行動があるようです。

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