背後にある理由

読書はまた日常とは別の「現実」を見せてくれます。そこではわけの解らないことが突然起こりますが、だからこそ面白いとキャシーは言うのです。そんな時に「もし……だったら」と話をどんどん勝手に広げていくともっと面白くなると言います。もしお姫様だったら退屈かな?王冠を投げてしまうだろうか?物語の結末を変えてしまうことも創造性、コミュニケーション力、そしてクリティカルシンキングの力を育てます。こういう遊びを通じて子どもは、物事は一通りではなく、様々な可能性があることを知るのだと言うのです。

現実の生活場面で子どもは人々の振る舞いの背後にある理由について質問してくることが多いです。「何でA君はBさんを『馬鹿』とか『間抜け』などと呼ぶのか?」。そこで「A君は悪い子だからよ」と言ってしまったら会話はそこで終わってしまい、子どもにこれ以上考える機会を与えません。子どもは人々をある行動に駆り立てる動機について、理解したいという強い気持ちを持っているのです。もし人々がなぜびっくりするような普通でないことをするのかを理解できれば、社会的な関係で予想不能なことに出くわすことはなくなると言うのです。相手を傷つけるような言い方をした時その子はどんなことを感したのだろうか?彼女に対してどんな振る舞いをすればよかったのか?子どもと一緒に頭を悩ませ、クリティカルシンキングスキルを駆使して考えるといいと言います。

このようなプロセスを経て、子ども達は表面的行動をそのまま受けとめる必要はないことを学び、全ての人が怒ると悪態をつくわけではないことを理解します。私達にできることは子どもが自ら「なぜ」と考え、もっと良いやリ方を考えることを促すことであると言うのです。

いつでもどこでもクリティカルシンキングするチャンスは転がっているとキャシーは言います。しかしながら生徒が異議を唱える質問を教師が許さなかったり、親が子どもの質問を一切受けつけなかったりするような環境で育った場合、どうやってクリティカルシンキングの力を養えばよいのでしょうか。そんな場合、芸術に取り組むことが助けになるとキャシーは考えています。

音楽でも絵画でも、自分の中にあることや自分が見たもの、感じたことを正確に表現したいという欲求に駆られます。しかし中々思った通りにいかず「どうしたらもっと良くなるのか?」と自分に問い続け、創作に打ち込むのです。この場合の「もっと良く」は「もっと良い演奏」「もっと良い解釈」ということでもあるし、様々な視点からの解釈という意味でもあるでしょう。作品を作るプロセス自体がクリティカルシンキングを働かせる場になっているのだとキャシーは言うのです。

これは演劇にも当てはまると言います。誰かの役を演じると自分以外の他者の気持ちや考えを自分のこととして提えざるを得ません。自分の演じるキャラクターが車に飛び乗ってすぐに走り去ったとします。なぜそんなことをしたか、どんな気持ちだったか。他者から自分とは異なる見方をフィードパックしてもらい、議論を深めながら役柄を作ってゆけるのです。

背後にある理由” への7件のコメント

  1. 大人による子どもへの声かけのポイントがあります。一つは、応答的、ということです。簡単に言うと、子どもが「ねぇねぇ」と訊いてきたら、大人はまず「なぁ~に?」と答える、ということですね。もう一つは、子どもへの問いかけのしかたですね。「知っている?」とか「わかった?」という質問形式ではなく、「なぜ?」とか「どうして?」とか、あるいは「それで?」「その後どうなった?」というストーリーを引き出す問いかけ。「相手を傷つけるような言い方をした時その子はどんなことを感したのだろうか?彼女に対してどんな振る舞いをすればよかったのか?子どもと一緒に頭を悩ませ」・・・この姿勢は大事ですね。やはりやってはいけない声かけは「生徒が異議を唱える質問を教師が許さなかったり、親が子どもの質問を一切受けつけなかったりする」、これでは負の再生産を引き起こします。言われた子たちが大人になると、同じことを子どもたちにやると思います。まぁ、中には、そうした教師や親を反面教師とする子どもたちもいるでしょう。自分の主張をにべもなく遮られたり妨げられたりしたら、言う気を失います。まして、暴力によって子どもの主張を抑え込む。最低の大人の行為ですね。

  2. 「物語の結末を変えてしまうことも創造性、コミュニケーション力、そしてクリティカルシンキングの力を育てます」ということ、そして、表現することがクリティカルシンキングを育むことになるということ。まさにごっこ遊びが重要になってきますね。相手がいることで調整しながら遊びを深めていくことで実行機能も育むことができ、演じることでクリティカルシンキングも育まれる。ごっこ遊びの中でも物語要素のある劇遊びがいいということとまさに関連していきますね。とてもおもしろいです。また『私達にできることは子どもが自ら「なぜ」と考え、もっと良いやリ方を考えることを促すことであると言うのです』ということ、質問を大切にする姿勢などはまさに子どもが主体となり活動する場、自発的に遊び込める場を作ろうという見守る保育の姿勢とも合致しますね。いかに子どもの自発性が重要であるか、この当然の事実をもっと共有していかなければなりませんね。

  3. 芸術、アートと言う時、絵や音楽のことを指すことが多いようです。しかし、今言われているアート思考とは、アートに線引きは無いということです。子どもたちの遊びと生活、一挙手一投足がアートと言えます。
    食器をスプーンで叩き、音を感じている子どもの姿、避難用のヘルメットを被り避難訓練ごっこをする様子、私はアートだなと思います。行動を改める際にも、かかわりの入り口が受容的であることは大変重要なことです。

    食育でダシの味見をして、「ふくらんだ味がする」というコメントも良いですね。
    どんぐりを水できれいに洗い嬉しそうに見せてくる笑顔も素敵です。

  4. 解答がない「芸術」という枠組みには、人々をクリティカルシンキングへと導く力があることを知りました。「私達にできることは子どもが自ら「なぜ」と考え、もっと良いやリ方を考えることを促す」には、芸術という入り口は非常にやりやすいのかもしれませんね。「自分の中にあることや自分が見たもの、感じたことを正確に表現したいという欲求」は、誰にでもあります。大人は、その欲求を簡単に奪える立場にもありますね。子どもたちの中にある、そのような自然の欲求をいつでも行動に移せる保育環境というのが、主体性や自発性を促す自己選択遊びなのだということを改めて感じることができました。

  5. 〝私達にできることは子どもが自ら「なぜ」と考え、もっと良いやリ方を考えることを促すことである〟ということで、自分たち大人が子どもに向かう大切な姿勢が書かれてあるのではないかと思います。やはり、応答的であるということではないかと感じます。「はい」や「いいえ」で答えられる応答ではなく、「なんで?」や「どうして?」のような応答であることがより育つものがあるということが理解できます。
    芸術な面でも「答えが一つでない」という共通点があるのではないかと考えます。世の中答えは一つではなく、たくさんあることの方が多いということを知る機会が乳幼児期であり、子どもを取り巻く大人たちが気づかせてあげるものであることが理解できました。

  6. 芸術は没入していけるような側面があり、それは言い換えればゾーン体験であり、その中で試行錯誤することや、わからなくて聞いたり、調べたり、そういう行動なしにその先へは進めなかったりします。日常生活の中でそのような体験を得ることは確かに難しく、まして現代社会に生きる保護者は子どものことばかりを考えることはとても難しい場合が少なくないように思えます。だからこそ園という専門機関が重要であるのですし、また専門機関が専門機関足る専門性をもつことも重要だと思えてきます。

  7. ここまでの内容を紡いでいくと、こどもに大切なのはやはりごっこ遊びであるのとが読み解けますね。さらにいうなれば、子どもだけでお話を作って発表する機会があればなお良いのではないでしようか。それこそ一から作るのは難しくとも、誰もが知っているような作品、もしくはそのために事前に読み聞かせを繰り返しておいた作品をオマージュして作る、ということも出来そうです。やはり見守る保育というのは大人の仕掛けが重要なのだと再認識します。

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