繋げる力

シェフは材料を考えるだけでなく、実際に作ってみてよりおいしくできる作り方を研究し続けないと新しいレシピは作れません。そのためにはピジネスでも、医学でも、エンジニアリングでも、どんな領域でもその領域の中で、しっかりと批判的に考え、向上し続けようとする心が必要だとガードナーは言っています。そのうえで関連しそうな知識を他の様々な分野から学びとり繁げてゆく。だから、優れたシェフはただ料理を作っているだけでなく、化学や農学の知識をどんどん学んでいるのです。

学際的な研究が当たり前になり知識領域の境界線は曖味になってきています。例えば医学において健康に影響を与える要因として心の状態がますます注目されるようになってきています。また教育においては現場の教師、管理職、政策立案者が協力し、飢餓を始めとする子どもの貧困について意識を高め、対策を講じていく必要に迫られています。なぜならこうした問題が子どもの不安傾向を強め、学習に欠かせない実行機能を司る脳の部位に過重な負荷をかけることが解ってきたからです。

レベル4の人々は「上手に疑う」ことができると言います。私達は問題を解くのに役立つ情報を集めるために全力を尽くします。しかし情報を集めるだけでは不十分です。スタンフォード大学のリンダ・ダーリング=ハモンドは、アメリカの全ての学校が「理解することを教える学校」になるべきだと主張し続けているそうです。知識コンテンツを記憶することは子どもがすべきことの一部に過ぎないと言うのです。理解せず、ただ広く浅い知識だけ覚えても、クリティカルシンキングの面から見ればレベル2に留まり、分析し統合する力を要するレベル4に到達することはないのです。

ダーリング=ハモンドは2008年に書いた著書『パワフル・ラーニング』(北大路書房)の中で『ニューヨークタイムズ』に掲載された二つの手紙について述べています。1通はヨーロッパ生まれの学生からのもので、もう1通はアメリカ人からでした。ヨーロッパ生まれの学生は高校までヨーロッパで学び、アメリカの大学に進学しました。彼は手紙にアメリカの学生は「学校で事実や統計データを記憶するように追い込まれている…ヨーロッパでも同じ教科を学んだが、記憶するのではなく理解することを求められた。クリティカルシンキング、分析…調査の技法はヨーロッパでは高校時代に教わったが、アメリカでは大学で初めて扱う」と書いていました。興味深いのはアメリカの学生もこの意見に同意したことです。「アメリカが国際的に見て教育レベルが低迷しているのは、日本でいうと高校1年生である10年生、高校2年生にあたる11年生まで記憶することを主眼とする授業ばかり行っているからだ。11年生になってようやく論理的に考え、課題を解決する学びが始まった」とアメリカの学生は嘆いていたのです。

「課題をどのように分析するか。その方法を知らずに私達は現実世界を生き抜くことはできない。私達がこれから直面する問題の答えは教科書には書かれていない。」

クリティカルシンキングを学ぶのに高校まで待つ必要は全くないとキャシーは言います。ある先生は小学3年生の子ども達に公園のデザインについて書かれた文章を読ませたそうです。その後読んだ内容について質問しました。公園をデザインした人の名前は?どんな気候だとこの公園は役立つ?しかしこの先生は読解した内容を問うだけで終わりにしませんでした。子ども達がもっと活発にもっと批判的に考えるようにさらに問い続けたのです。

繋げる力” への7件のコメント

  1. 私もこの「理解すること」の重要性を痛感している一人です。PCが登場し、多種多様なアプリケーションが開発され利用されるようになると、もはや、テストのために記憶しておくことの意味はなくなりつつあると言えるのでしょう。記憶は重要です。しかし、テストのために記憶しておくことがどれほどのものだったのか。あれほど記憶してテストでいい点数を取ったはずなのに、年年歳歳、学校で習ったことは忘れていきます。何とももったいないことですね。ところが、何かを理解することに主眼が置かれると、記憶したことも無駄にはなりません。むしろ、ある事柄を深く理解していこうとすると、記憶している事項を関連付けながら、つまり、クリティカルシンキングをしながら、理解が深まっていくようです。「関連付ける」学びこそは、まさにこのクリティカルシンキングによる、といえるでしょう。

  2. 情報は知識は必要ないものでは当然ありませんが、それらを集めるだけでは不十分ですね。当然、何かを考える際には様々なことを知っているというのは有利になることはよくあります。しかし、本質は知識を得ることだけではなく、物事を理解するということにあるのですね。理解しようとする姿勢はまさに、ただ、覚えるだけではないですね。そして、理解しようとすると物事はあらゆることと関連しているということに気がつくのではないでしょうか。私も藤森先生の元で保育を学ぶことで、あらゆることがつながっていること、本質とはどういうことなのかということを考えることが多くなりました。これは学びとして非常に楽しいことだなと思います。「私達がこれから直面する問題の答えは教科書には書かれていない」とありました。まさに、これがこれからやってくる時代の課題ですね。そんな問題に対応する子どもたちを育てるためにどんな教育が必要か、明確になってきているからこそ、やはりそれを現場で実践していかなければならないと感じます。

  3. 公園のデザインについての文章を取り扱うよりも、実際に子どもたちと身近にある公園のデザインを考える方が学びになりそうです。
    デザインを考え、それを実現するためにはなにが必要なのか考える。それこそ横断的な学びになります。
    保育園の中でも、幼児組では、園生活を一緒に築いていくことが、実生活と結びつく1番の学びになるだろうと考えました。
    ゾーンや週案(活動)、給食、午睡、掃除や片付け、集まりなど園生活の営みの一つ一つを、それに関心のある子どもたちと一緒に考え実践する。全てのことは難しくとも、できる限りをそうできるように尽くす。これまで保育者から伝えていたことを、子ども同士で伝え合う関係を築いていく。

    その際には社会資源を生かすことも重要です。保育士はもっと外へ、地域へ出て行かなくてはならないと思います。そういう意味では営業力も必要でしょう。
    長い目で地域の拠点となれるように、園に集ってもらえるように、まず私たちが地域へ顔を出すことが大切です。
    お墓を作る話を提案したことから、こんど近所の墓石屋さんへ行ってみようと考えています。
    情報を結びつけることも重要ですが、地域と結びつき、人との関係を結ぶことも見逃してはならないと思います。そこから、インターネットや書籍からは得られない、熱のある生きた情報が得られる気がするのです。
    なんの根拠もない感覚的な話ですが…。

  4. クリティカルシンキングを用いて、学び続ける人の特徴が書かれていました。専門家と言われる方々の中でも、優れた人はたくさんいるでしょうが、その中でも超一流と言われる人々は、別分野であっても詳しく、その中から精通している点を見出し、それを現場で活用したり新しい価値観を創造しているということを、以前藤森先生から学びました。本文にもあったように、「関連しそうな知識を他の様々な分野から学びとり繁げてゆく」「優れたシェフはただ料理を作っているだけでなく、化学や農学の知識をどんどん学んでいる」というように、他へのアンテナを常に立てているだけでなく、学びそのものを楽しんでいる姿勢が大切なのでしょうね。「繋げる」というよりも、「繋がっちゃった」という感覚でもあるのでしょうか。

  5. 優れたシェフの例えにあったように、その道の一流や超一流の人たちというのは自分の専門分野だけでなく、いろんなことを知っていることを感じていました。藤森先生もその中の一人だと思います。その人たちというのは学ぶことを楽しんでいる印象です。一つのことを深く理解しようとすると、いろんな分野が関連してきて、その分野についてまた理解しようと深く考える、というのを繰り返していくことでいろんな分野と繋がることに結果的になってしまう。そのような学びというのはすごくワクワクしますね。

  6. 小学2年生になる息子が今九九の真っ最中です。それが終わると何が始まるのか、割り算でしょうか、思い出せず子どもの教科書のその先を覗いてみようと思うのですが、社会に出て、その応用力の乏しさから九九や割り算より先の算数を必要とした経験があまりないようにすら思えてきます。小学校2年生で覚えたそれで社会に十分通用していけるなら、それから先にはもっともっと必要なことを学ぶべきではないかと思えてきてしまいます。
    先日、保育士試験が行われたようで、その2次試験の内容を聞くと、まるで現場とかけ離れているような気がしてしまい、驚いてしまいました。運転免許証をとる時は、教習所内はおよそ公道にはないような道路のつくりの連続で、それをクリアするから公道に出られるというのはわかる気がするのですが、こと教育に関しては、そんなにかけ離れたことを課題化する習慣から抜け出せないものかと思います。

  7. 「私達がこれから直面する問題の答えは教科書には書かれていない。」この言葉を見ると、ワクワクしてしまいますね。知識や物事を理解すること、そして理解する手段を持つこと。これからの学びに必要なのは表面的な知識や記憶ではなく、根拠や考え方が大事になってきますね。

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