情報爆発時代

20年程前に心理学者のダイアン・ハルパーンがこの論文が発表してから6年後に携帯電話でテキストメッセージのやりとりができるようになり、グーグルが企業になりました。彼女の予想を遙かに超えて情報は爆発的に増え続けています。

情報爆発時代を生き抜く方法は二つに一つしかないとキャシーは言います。巨大な情報の波をコントロールする生き方を学ぶか、そのまま流されるかのどちらかだと言うのです。あまりにもうますぎる話があった時、改めて問い直そうとするか、それとも「Nursery University」のように思い込みに縛られたまま、多額のお金を支払う道を選ぶかはあなた次第なのだと言うのです。このようなビッグデータの渦の中でうまく生き延びてゆくには、クリティカルシンキングの力が必要なのです。これが学習科学からの答えなのです。そこでここからはクリティカルシンキングとはどういうことか、どのように学んでゆけばよいのかをキャシーは述べています。

クリティカルシンキングとは、端的に言えば「疑わしき時は根拠を求めよ」と考えることだと言います。米国第33代大統領だったハリー・トルーマンは「Show me州」と呼ばれるミズーリ州出身でした。「Show me州」と言うのは、「いつも証拠を見せろと迫る人たちの多い州という意味だそうです。この州がどうしてこう呼ばれるようになったかというと、ミズーリ州出身の下院議員ウィラード・ダンカン・バイダイバーが「私はトウモロコシと綿花とオナモミと民主党を育てている州からやってきました。口で何と言おうと私を納得させることも満足させることもできません。私はミズーリ出身です。さあ証拠を見せてください(You have got to show me)」と1899年に演説したからだと言われています。キャシーらが友達の話を聞いて「本当?」と言う時は、明らかにその話に疑いを持ち「じゃあ証拠見せてよ(Show me)」と言いたい時なのです。何かおかしいと思いスマホを使って調べ始めた時、クリティカルシンキングのプロセスが動き始めているのです。小さいうちから知識を覚えさせることが本当に良い教育なのかと間い直し、違う気持ちが芽生えれば、いい加減なことやゆがめられた事実に騙されなくなるのです。

これからの教育においてクリティカルシンキングを学ぶことが強く求められています。そのために私達は、クリティカルシンキングとはどういうことか知らなければなりません。クリティカルシンキングを一言で言えば「理に適った妥当な判断」ということになるだろうとキャシー言います。そして子どもにクリティカルシンキングを教えるということは、観察・実験・振り返り・推理・コミュニケーションを通じて多面均に情報を集め、それを分析・統合・評価する方法を教えることだと言います。

情報は全て同じような価値を持つわけではなく、吟味も評価もされていない偽の情報が多く流布していることを子どもたちに強く認識させることはとても重要だと言うのです。インターネットにはくだらないゴミのような情報が満ちていると言います。こうした事情を反映して、フェイスブックで流されたオプラ・ウィンフリー自殺説やニューヨークの下水道で生息するワニの話のような根拠のない都市伝説を紹介し、あっという間に広まったおかしな噂の嘘を暴くウェプサイトが存在するのです。

情報爆発時代” への7件のコメント

  1. 今回のコロナにしても、様々な情報が飛び交っていますね。どんな人が感染しやすいのか、重要化しやすいのか、どこ由来のウィルスなのか、はたまたうがい薬など…何が正しくて、何がフェイクなのか、どれくらい根拠があるのかということを冷静に考えていく力がないと、誤った情報で誤った行動を起こしてしまいますね。日本でもそんな状況にもなっていそうですし、私自身もそのことを意識していたいなと思います。「小さいうちから知識を覚えさせることが本当に良い教育なのかと間い直し…」とありました。「知るということは怖いことでもある」と言っている人がいました。それは知ったつもりになり、それ以外のことを信じようとしなくなるからというニュアンスのことだったと思います。そのような知識の獲得ではなく、考える癖を育んでいかなければならないのですね。「観察・実験・振り返り・推理・コミュニケーションを通じて多面均に情報を集め、それを分析・統合・評価する方法を教えることだと言います」このことは、とても大切なことですね。これらは日々、園で子どもたちが行っている姿ですが、ゾーン環境の中で、園の生活の中でさらに育まれるような工夫が必要ですね。

  2. STEMのように、昨今では「理に適った妥当な判断」ができる人材を求めていることがわかります。感情という一瞬のひらめきも大事ですが、物事を正しく把握し、見通しを持って考え、目標に向かって他者と協力しながら試行錯誤し、現代科学を利用して新しい価値を創造する過程が、教育の中心になることを理解しました。それが「観察・実験・振り返り・推理・コミュニケーション」なのだと思います。情報爆発時代という、正しさが見えにくい世の中でありながら、自分で価値ある情報をピックアップできるか。その中から何か有益か判断する。そういったクリティカルシンキングは大事なのですね。

  3. 私自身にはあれこれ考える癖があります。その癖がこうじて大学の学部で哲学を専攻することになりました。ところが、専攻してわかったことは、哲学者たちは、その時代時代の現象に関して様々な思考を巡らし自己の学説とするのですが、結局、だからどうだ、ということでした。特に、現場で行われる実践に関する哲学的思考は、哲学であるがゆえに、現場の人々にはピンとこない、あるいはその思考によって実践を形作れない、ということになってしまいます。もっとも、クリティカルシンキングの練習にはなったかなと思います。ところが、その思考方法はどうしても今、現在、の出来事からはズレる傾向があります。クリティカルシンキングに欠かせないのは、自問自答や他者とのディスカッションです。子どもたちの遊びはこの力を培養に格好なことでしょう。さまざまなクリティカルシンキングを鍛え上げるには人的物的空間的豊富な環境が必要です。

  4. クリティカルシンキングを一言で言えば「理に適った妥当な判断」と記されていました。
    昨日、園長とやりとりした際に「中庸」という言葉があり、なんとなく繋がりを感じました。少しスマホで調べてみると、儒教の教えであることがわかりました。仏教の「中道」、古代ギリシャアリストテレスの説いた「メソテース」という言葉とも近い概念であるようです。古くから世界の各地で語られていたことなのでしょう。

    それは、どれほど科学が進歩しても、時代によらず、人の営みにおいて変わらずに大切なことであり、普遍的なものであるのだろうと思いました。キャシーの語ることも、決して目新しいものではないのだろうと感じます。

    根拠を探求する姿勢の本質は、個人的な豊かさを追求する為のものではないのでしょう。その姿勢の根元には、良い倫理観や哲学が必要であると感じます。そうした思考を尊重することが見直されれば、自ずと情報も精査されていくのではないでしょうか。

  5. 自分でさえも情報をクリティカルシンキングできているのか、と問われると胸を張って「はい」と言えるとは言い難いものです。情報の精査は難しいですね。先日、子どもたちと行事でするラーメン屋さんのメニューを考えました。当日の運営などを自分たちで考え、実際にしてみようという行事なのですが、アニメや戦隊モノの名前がついた「〇〇ラーメン」がたくさん出てきました。そこでそれからどの名前のメニューに絞るのか決めようと持ちかけると、最終的には「どんぐりラーメン」「ひまわりラーメン」「恋ラーメン」の3つになりました。あれだけ楽しそうに言ってたアニメや戦隊モノの名前にならなかったのです。保育園のことや0歳の赤ちゃんもいること、自分たちで実際にできそうなものをということなどなど、いろんなことを考えながら選んだのでしょう。その時の子どもたちの選び方は「理に適った妥当な判断」だったんだな、と読みながら思いました。

  6. 先生がそもそも、と物事の根幹から考えられる御姿勢について改めて学ばされる思いのする内容です。それは大元を辿ろうとする精神だけでなく、疑問を持ち、または批判的な視点からくる第三者的な思考、客観視らを持ち合わせた行為であったことを改めて知りました。そういう視点で構築された考えであったり、企画やその内容であるからこそ多くの人の納得や理解を得られるのでしょう。追求していくことはとても大切なことだと理解できます。

  7. このクリティカルシンキングというものは、ただ疑い続ける、という簡単なものでも無いような気がします。むしろそんなことをしていたら疑心暗鬼になり外に出られませんから、全てを疑ってかかるというよりは、信頼できる何かであり誰かを見つけるということこそが、本当に必要な力とも言える気がします。例えばその信頼できる先をWikipediaに当ててしまう人はクリティカルシンキングがあるとは言えませんが、そうではない本当に信頼できるものを見つけられたら思考が楽にスッキリとまとまりますよね。

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