創造力を教える

キャシーは、イタリアには創造力は特別なものではないという発想が根付いているようだ思っています。ボローニヤとミラノの間にレッジョ・エミリアという小さな町があります。この町は世界から注目される幼児教育カリキュラムによって知られるようになりました。このカリキュラムはローリス・マラグッツィと教師達が実践を通じて作り出したものです。例えば「子どもは(大人も)木と会話する」。これを聞いて奇妙に感じる大人は多いかもしれませんが、子どもは何の問題もなくこの課題に取り組みます。私達大人の固定化された発想とは違って、子どもは想像力を大いに広げて、描き、歌い、木に語りかけるのです。このように創造的な想像を通してそれぞれの子どもの感性を活かして表現する学びを、レッジョのチームは「100の言葉」と呼んでいます。

ロピンソンが指摘した創造性への誤った思い込みの最後の一つは、創造力のある人は孤独で、奇異な外見や服装で、おかしな言動をするというイメージです。しかしこれも99%誤りだというのです。創造力を発揮するには教育が必要ですし、スキルや創造力、自制心を身につけなければなりません。創造力のある人は皆アインシュタインのような髪型でマドンナのような大胆な服装をしているわけではないのです。創造力を発揮する人も私達も全く見かけに変わりはありません。ただマーク・ランコが『創造力』(未邦訳)の中で書いているように「誰もが創造力を発揮できるポテンシャルを持っているか、全員がそのポテンシャルを活かしているわけではない」のです。

では、創造力は教えられるのでしょうか?線をはみ出して書いてもいいとどうしたら思えるのでしょうか?どうしたら我が子は発明家、起業家、そして未来を描く大胆な思考のできる人になるのでしょうか?どうしたら心理学者が言う「機能的固着」を捨て、例えば釘を打つ以外のカナヅチの使い道を思いつくことができるようになるのでしょうか?カナヅチはドアストッパーにも文鎮にも使うことができます。創造的になるには枠の外へ出て考えないといけないのだとキャシーは言うのです。

九つの点が縦に三つずつ横に三つずつ四角形に並んでいるとします。どれか一点から出発して、一筆書きの要領で4本の直線を引いて、九つの点すべてを通るようにします。きっとこれまでどこかでやったことがあるので答えを知っている人も多いと思いますが、正解に辿り着くには、文字通り「枠の外に出る」必要があるのです。しかし多くの人は四角形の中に収まるように線を引こうとするので解けないのです。

線から外れ、枠からはみ出るために重要なことは何なのでしょうか?シドニー大学のアラン・スナイダーは世界中のスポーツ選手、政治家を調べ、どの分野においても「チャンピオンとなる人は現状のまま物事を提えないことを見出したそうです。彼らは他面的な方法で物事を見ようとしているのです。地球温暖化、貧困、抗生物質の枯渇といった様々な問題を考える時に分野を横断して考える必要があります。そのためには今、どんなことが起きているのか、目に見えて明らかなことだけにとらわれず、どんな可能性があるのかイメージを膨らませる必要があるというのです。チャンピオンはこうした心の働きによって成果を出しているのです。本物と変わらない義手・義足を作るには…耳の聞こえない赤ちゃんの張力を取り戻すには…普通の人が当たり前に月に行けるようになるには…こうした課題に対して取り組んだ人は皆チャンピオンのマインドセットを抱いていたというのです。

創造力を教える” への6件のコメント

  1. どう考えても人に危害を加えるとか、他者の存在を危うくする、等以外のさまざま行為、特に若い人たちが実践する行為を、私たち大人たちがどれだけ許容できるか。このことは、とても重要な気がします。ということは、これからの時代を生き抜いていく若者たちに対して、私たち大人は、余計なお節介、というか、余計な口出しをせずに、まずは見守っていくことが肝要でしょう。「やってみたらいい」という許容ではなく、若い人たちを信じて、私たちはそのことに協力していく。子どもたちの行為は、その時は悪ふざけ、として大人たちにはみられるのでしょうが、冒頭に記した状況になければ、そういうこともするんだ、くらいの度量の広さで見守っていきたいですね。「現状のまま物事を提えないことを見出」す。まぁ、このことがわからない大人たちは子どもたちに任せることですね。

  2. 創造力について、勝手に作り上げているイメージというものはあるかもしれません。「創造力のある人は皆アインシュタインのような髪型でマドンナのような大胆な服装をしているわけではないのです」とあるように、このようなイメージを持ってしまっている人は私をはじめ少なくはないのではないでしょうか。そういった意味でもぼんやりとしているものを明確にしていくということは大切ですね。まず、何がぼんやりしているのかということを理解する力も必要かもしれませんが、このプロセスは何においても重要であるように思います。また「目に見えて明らかなことだけにとらわれず、どんな可能性があるのかイメージを膨らませる必要があるというのです」とありました。創造性のためにはあらゆることを想像することも大切になってくるということでしょうか。私自身、とても乏しい分野ではあるのですが、想像するということは癖のように意識をしておくことで何か変化があったりするのでしょうか。

  3. 創造力とは線から外れ、枠からはみ出ることである。最高に気持ち良い表現ですね。

    私が受けてきた教育、実習先やバイトした園、以前勤めていた園で行われていた保育は、枠の中に収まることを教えていたように感じます。創造力というワードは、少し情報を得ようとすれば、多くの保育者も見聞きしているはずです。
    それでも、枠に収めようとする実践の方が多いのではないかと感じます。絵を描くなどの表現に限らず、横割りの園では自クラスにいなければならない、自クラスにいられない子は否定的に「はみ出た子」という見方をされます。そのはみ出そうとする姿こそ、創造的であるにも関わらず。(高月齢や興味関心が高い子どもが上のクラスへ行きたがるような姿)

    教えられるかどうか、というよりも、誰しもが持っている創造力を発揮する機会やその表現そのものを、「保障」できるかどうかであると考えます。
    その為の、異年齢保育、選択制、習熟度別であるのですね。考えを深めて実践に結びつけることで、中身の質を高めていきたいです。

  4. 「創造力を教える」ことはできるのでしょうか。そもそも、正解がないことを人は教えることはできるのでしょうか。想像力を発揮している人の姿や行動を見て、それを自分なりに試して、失敗して、また創造する。言うなれば、それを生み出しやすいマインドを伝えることはできるかもしれません。また、「横断」という言葉があったように、一分野に固執することなく、興味がある異なる分野からの知識や知恵を活用した研究や思考が発揮しやすいように、乳幼児期からの多様な経験という「横断」的体験が重要であると感じました。

  5. まず、タイトルにある「創造力を教える」ということができるのかというところに違和感を持ってしまいました。その時点で自分が枠からはみ出すことができないのでしょうね。課題や問題を横断して考える必要があるということが書かれてありましたが、現状の教育というのが細かく区切りを設ける授業の形をとっていますね。創造性ということで言えば、そのような形態での教育では育てることが難しいのかもしれないことを読みながら考えました。創造性を育むためにはより広い視野で考えるということが、枠からはみ出すことが必要であることが理解できました。

  6. 平均台の上を歩くように、間違えてはいけない、英語は将来必要になる、こんな簡単な問題もできないのか、と間接的に、また、直接的に言われ続けていくような学校教育を受けてきたように思えてきます。面白く思うのは、その教育にピタリときた人が教育者となっている点で、それは図らずも同じ教育を踏襲することになるだろうことは想像できますし、また、それで都合がいいことも沢山あるのだと思います。しかし、その教育では子どもたちをこれからの時代たる人間に育てるにはどうも合わないとなれば、変えるべきは教育形態は勿論のこと、その伝道者たる大人側の変革というものが付き物になってきはしないかと思えてきます。

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