どんな環境?

一緒にどこかへ出かけることがあったら、子どもがなぜ?どうして?と問いを発し、考えを広げる機会を作るのがあなたの役目だとキャシーは言います。難しく考える必要はありません。今、目にしている状況がなぜ生じたのか、子どもが考えるように仕向けさえすればよいのです。例えば赤信号で停止した時、子どもがなぜ信号は必要なの?と聞いてきたら、信号はどんな働きをするのか考えるように促してみましょう。こうした日々の何気ない問答の積み重ねこそクリティカルシンキングの力を育てるための必要条件なのだと言うのです。あなたが関わりのある所を見つめることです。

では、クリティカルシンキングを育てる環境をどう作ればいいのでしょうか?まず大事なことは子どもを尊重すること。子どもが尊重され、彼らの発する素直な問いを真剣に受けとめれば、子どもは安心して問い続け、目の前の情報に囚われずに広く深く考えようとするでしょう。たとえ2、3歳児であっても彼らの興味や疑問を尊重する必要があります。親を含め、子どもの周囲にいる大人の感性と反応の仕方が試されていると言ってもよいと言っています。それは子どもの見方を面白がる感性であり、子どもの理解を促すようなやり方での反応なのです。

あなたがこうした関わりを子どもと積み重ねるのを厭わなければ、子どもはあなたの知恵と指導を素直に受け入れることの大事さを学ぶでしょう。もちろん、クリティカルシンキングする力も同時に育つのです。

私達は、そして私達の子どもは画期的な考えを生み出す発明家、起業家、科学者、技術者になる可能性を特っています。イノベーションを引き起こす人達は、他者には見えない問題に気づくためにクリティカルシンキングの力を働かせます。こうして誰よりも先に流れをつかむ人々をビジョナリー・フューチャリストと呼ぶそうです。アマゾンのような企業にはそんな社員かいるそうです。創業者のジェフ・べゾスが重んじた企業理念は「異議を唱える勇気を持ち、一度決定したことには全力で取り組む」ということだそうです。彼は多くの職場が調和を重んじ過ぎていることに違和感を抱き、素晴らしい製品やアイデアを生み出したいなら、多少の軋轢があっても、率直なフィードバックをやりとりすることに価値を置くべきだと考えたのです。

私達はクリティカルシンキングの力を働かせて問題を発見します。どんな問題も発見されない限り解けません。とはいえ発見された問題にどう取り組むかという大問題はまだ残されています。そこでキャシーらは、次に、クリティカルシンキングによって見つけた問題を解くために必要なクリエイテイプイノベーションについて考えていきます。

ここで、キャシーはソフィア・ローレンの言葉を引用しています。「若さは、あなたの心、才能、創造性、そしてあなたが愛する人々との生活の中から生まれるものてある。このことさえ学べばあなたは老いることはない。」

しかし、どうも今は、創造性の危機が叫ばれています。本当に創造力は失われてきているのでしょうか?

どんな環境?” への6件のコメント

  1. たとえ2、3歳児であっても彼らの興味や疑問を尊重する必要があります。親を含め、子どもの周囲にいる大人の感性と反応の仕方が試されていると言ってもよいと言っています。

    この部分について、2歳児担任をしていて日々感じています。子どもたちとの一回一回のかかわりを大切にしたいです。iPadやパソコンは操作しながら会話をしやすい面があります。それは便利なことですが、子どもたちと話す時にはしっかりと面と向かって会話することを心がけています。

    ソフィア・ローレンの言葉を引用しています。「若さは、あなたの心、才能、創造性、そしてあなたが愛する人々との生活の中から生まれるものてある。このことさえ学べばあなたは老いることはない。」

    この面で保育士は本当に良い仕事であるなと感じています。三十路に差しかかり、会うたびに老いていく友人たち…。子どもたちと関わらせてもらうことで、若くいられる気がしています。子どもとのかかわりを大切にすること、子どもたちが生きる未来のことを考えて生きること、それが自分たちの幸福に繋がっています。
    子どもの存在意義はそういうところにもあるのだろうと感じます。

    子どもたち、今日もありがとう。

  2. 私自身、いつも、常に、クリティカルシンキングで、あれこれ考えては、まぁ、いいっか、でその場をやり過ごし、それでも、自問自答する日々です。不幸にして、やはり、疲れてしまいます。わが子が、何故、どうして、と小さかった頃私に問うてきます。私は、全力で、その問いへの回答を言っていたような気がします。わが子長じて、私たち親に質問を出してきては、私たち親の答えが不十分ゆえ、いろいろと説明してくれます。どうやら、家族内でクリティカルシンキング。やはり、いけないのは、黙って、親の言うことを聞け、という昭和的態度はいけませんね。子どものことに耳を傾け、わかったこと、わからないこと、これらのことを子どもに対して表明すべきでしょう。まさに「子どもを尊重すること」。「子どもと言えども、立派な人格者であることを信じて」子どもに接する。見守る。子どもの想像力、創造力は、このクリティカルシンキングから生まれてくるのでしょう。

  3. 「こうした日々の何気ない問答の積み重ねこそクリティカルシンキングの力を育てるための必要条件なのだと言うのです」とありました。人を育てるということ、人と関わるということで、これをすれば劇的に変わるということはないのかもしれません。大切なのは、積み重ねていくことでもあるのかもしれませんね。そして、それを自然にすることができるくらいになっていれば、大変なことだと思わずに、日々、着実に積み上がっていきそうです。そして、見守るという姿勢がそれらを無理なく、自然に積み上げることができる関わり方でもあるのではないかと感じました。「まず大事なことは子どもを尊重すること」ともありますが、まさにこれは見守る保育三省における「子どもの存在を丸ごと信じることができただろうか」という部分につながっていくように思いました。それができるということが見守るであるということ。とても奥深いです。

  4. 子どもたちの疑問を受け取ったら、大人は必死にその答えを伝えるでしょう。しかし、それよりも、一緒に謎を解き明かしていく過程の方が重要であることが伝わってきます。「子どもがなぜ?どうして?と問いを発し、考えを広げる機会を作る」というように、思考を広げる方法としての環境が「学び方」なのだと感じます。実際に、本を読むだけでなく、それと関連する現場を訪れたり、専門家にアポイントをとって話を聞いてみたり、博物館を訪れたりなどがそれにあたるのでしょうか。そして、「私達はクリティカルシンキングの力を働かせて問題を発見します。どんな問題も発見されない限り解けません。」という言葉もありました。問題に気が付くというのが、最初に必要なことなのですね。そこには、批判的に物事を見つめる習慣が必要だと再認識しました。

  5. 〝日々の何気ない問答の積み重ねこそクリティカルシンキングの力を育てるための必要条件なのだ〟とありました。クリティカルシンキングに限らず、発達というのは野球のように逆転満塁ホームランというのはないのでしょうね。あるのは、サッカーのようにパスしたり、ドリブルしたりしながら少しずつ近づいていくような、それも周りとの連携、協力があるからこそのものであることを感じました。そして、それが大切だからと構えずに、普通に自分らしく日々過ごすことでお互いに培われていくものであり、何か特別なことをすることではない、というようなことを読んで思いました。

  6. 「クリティカルシンキングを育てる環境をどう作ればいいのでしょうか?」という問いに、「まず大事なことは子どもを尊重すること。」これはまさにFujimori Methodの三省、子どもを丸ごと信じるに通ずるとても大切な概念であると思います。同時に、Fujimori Methodがやはり行き届いた、そこまで奥行きをもった保育方法であることを改めて感じます。信じられている、自分は価値があって、それを認められている、この感覚は何物にも変え難い、生きる動機そのものになり得るものではないかと思えてきます。信じられ、認められ、尊重され、人は初めて自由になれる、自由になれたからって大変なことをしでかすわけはなく、むしろそういう大人の中に育てられなかったからこそ大変なことになってしまっているのかもわからず、子どもを信じ、自由にすることについて大人は臆病にならないようにしないと、それよりも大人の方こそもっと人生を楽しまないとと思えてきます。

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