初期の学び

レベル1の初期の学びは、同時に起こる二つの事象を結び付ける赤ちゃんの学びですが、この時点での学びはある特殊な状況に限ったもので、いろいろな場面で柔軟に使えるものではないとキャシーは言います。コンテンツについて、レベル1の段階の子ども、もちろん大人も、覚えた知識を別々のビンに入れてゆくような学び方をします。従って理解に緊がりません。例えば他者が何かをするのを見ていますが、なぜそうしているのか知ろうとはしません。ある人が感謝祭のための七面鳥を紙袋に入れて調理していました。その人がどうしてそんなやり方をしていたかについては、自分の母親がそうしていたからという以外の理由はありません。紙袋を使うのは、七面鳥の肉をぱさつかせず、しっとりと焼くためだと理解したら、オーブンで焼く必要のある他の料理でも、しっとりとした感じを残したい場合に応用することかできるでしょうが、そういうことはできないのです。

赤ちゃんも同じであると言います。ここで、キャシーはジャン・ピアジェの有名なエピソードを紹介しています。彼が「猫」という言葉をバルコニーの下を歩く猫だけに使っていたら、彼の娘は絵の中に描かれた猫や他の場面で現れた本物の猫に「猫」という言葉を使いませんでした。「猫」という言葉は特定ン場所に結び付けられ、限定的にしか理解されていなかったわけです。つまりレベル1では、知識の理解が不完全で、柔軟に用いることができないのです。

日常生活の中でも同じようなことが起きます。ルーティーンを変えることができないのです。例えばお母さんが外出して、寝る時にお話を読んでもらえないと眠りに就くことができません。毎日繰り返されることで、次に何が起こるか予測することは学びましたが、不測の事態によってそれが変わり得ることは理解しないのです。

新しい領域を習得しようと思った時、誰もがレベル1の状態に陥ります。物理学でも、編み物でも、学び始めには、予測することに関心が向います。「次は何をやるの?」「テストのためにどんなことを知る必要があるの?」というのは初心者に典型的な質問です。初心者は領域を超えて物事を結びつけることができません。物理学で学んでいることが生物学で学んでいることと完全に分離されていて、双方には何の関連もないと思ってしまうのです。初心者は周りの熟達者をよく見て、真似し、自分も熟達しようとします。ただ、その真似の仕方は格好いい友達の新しいファッションスタイルを取り入れようとするのと同じなのだとキャシーは言います。

大学、そして社会人になってからも、レベル1の状態になることはあると言います。テストのために丸暗記するというのはまさにレベル1だと言うのです。たった6時間、一夜漬けでノートを見直して何とかBをとったとしても、同じテストを一週間後に行ったら、何も覚えていなくて落第するでしょう。レベル1の知識では対応できないようにするためにレポートをテストの代わりに出しても、レベル1のレポートが提出されることがあります。キャシーは、彼女の発達心理学の授業でのレポートの一例を挙げています。最初にダーウィンはこう言いましたと書かれ、次にピアジェはこう言いましたとなり、最後にヴィゴッキーがこう言いましたというようにただパラバラに関係ない断片か述べられているだけ。考えを総合し、理論全体を見渡そうなどという気はさらさらないと言うのです。