表面的な知識

子どもは自分が正しいと思うことを見分ける感覚があり、自分の正しさの感覚に全て従わせようとします。正しいか間違っているかのどちらかに色分けしようとするのが、レベル2による思考の特徴だと言います。この時期の子どもは、ハンマーは道具で「も」あるという考えを否定します。幼い子にとってハンマーは一つの目的にのみ使われないといけないのです。

レベル1では子どもは表面的な知識しか持っていません。レベル2でも大抵の場合、外見に騙されることからまだ抜け出せないのです。レベル2のレンズで世界を見ている5歳の子はこんな感じだとキャシーは言います。友達、島、おじさん、それぞれについてどんな風に見えるか尋ねます。すると「友達は小さい子ども」「島には椰子の木がある」「おじさんはパイプを持った素敵な男の人」という答えが返ってきます。レベル2では見かけで判断しようとします。だからガソリンスタンドで給油しているのは男の人で、長い髪の毛の人は女の人というような認識をしてしまうのです。レベル2において子どもは多くのことを知っているのですが、それを繋げて考えようとはしないと言うのです。

しかし時折見かけに縛られないで判断する時もあると言います。キャシーは、こんな例を挙げています。スーザン・ゲルマンとエレン・マークマンは、4歳児に3枚の写真を見せました。一枚は黄色と黒の模様のあるきれいな熱帯魚です。一枚は鮫。そしてもう一枚にはイルカが写っていました。鮫とイルカは見かけがとてもよく似ていて、熱帯魚だけ異なった形に見えます。まず4歳児に対して、鮫と熱帯魚はどちらも「魚」だと教えました。次に熱帯魚は水中で呼吸しますがイルカは海の外で呼吸すると教えました。これらの知識を伝えた上で、鮫は水中と海の外のどちらで呼吸するか尋ねました。もしイルカと鮫の外見が似ていることに注目すれば、鮫は海の外で呼吸すると答えるでしょう。一方、鮫も熱帯魚と同じように魚の仲間だと考えれば、鮫は水中で呼吸すると答えるはずです。結果はどうなったかと言うと、子どもは何の迷いもなく、熱帯魚と同じように鮫も水中で呼吸すると答えたのです。4歳児でさえ、見かけの共通よりも「魚」という同じ仲間であることの方がより深い繋がりを持つと推測したのです。見かけを重要視するレベル2においても子どもは言葉を利用してより深く考えることができるのだとキャシーは言うのです。

子どもが表面的理解を超える時、アナロジー(類推)を使って考えています。ここで言うアナロジーは、適性試験等でよく出くわします。黒と白に対応するのは暗と明というような形式的問題を指すわけではありません。私たちは日常生活の中で考え、推論する時に当たり前のようにアナロジーを用いているのです。ある子の母親は弁護士でいつもスーツを着て仕事場に出かけます。友達のお母さんはスポーツ選手のトレーナーで、いつも運動着です。レベル2の子どもは友達のお母さんは運動着なので働いていないと判断します。ここで子どもはごく初期段階のアナロジーを用いて判断しているのです。仕事をしている人はスーツを着ている。だから自分の母親は働いていると考えます。仕事には様々な種類があるから仕事に行く時の服装も職種によって様々で、スーツを着ていなくても働いている場合があるかもしれないとは考えないのです。

表面的な知識” への9件のコメント

  1. 「レベル2でも大抵の場合、外見に騙されることからまだ抜け出せないのです」とありました。「え?男なのに?」のような子どもの発言は日々の中でよくあることですね。まさに見かけを重要視しているような発言であると思います。しかし「見かけを重要視するレベル2においても子どもは言葉を利用してより深く考えることができるのだとキャシーは言うのです」とあるように、そうでない場合というのも存在するし、そうではないことを理解することもできるのですね。そうであるならやはり私たち大人が表面的に判断しないような姿勢を見せることであったり、こう見ると違った見方ができるんじゃない?という視点を示すことが大切なのかもしれません。先日、東京で生まれ育った美容師さんが自分たちが違いに対して寛容な学生時代を送っていたと思うというような話を聞かせてくれました。少し話は逸れてしまいますが、このあたりは都会の良さなのかなと思いました。地方だと全てではないですが、違いに対してあまり寛容ではない気がします。そういう意味でも私たち大人もレベル2をこえているのかということを意識しなければいけませんね。

  2. 正しいか間違いかの色分け、「も」あるという考えの否定、担任する2歳児の姿と結びつくものを感じました。認識以外の面も大きく関係しているのでしょうが、自分と異なる認識を受容しきれずに、平行線でぶつかり合うような姿を見かけます。その反面、4.5歳ではレベル2のような姿はすでに超えているものだと思ったので、少しピンときませんでした。キャシーも年齢でレベル分けをしているわけではないのでしょうが、断定的な表現が多いのが気になりました。
    保育者として様々な情報を取り扱う際には、園の子どもたちの姿を見失わないように気をつけていきたいです。

    ここでは、言葉を用いて深く考えるということが重要であると感じました。言葉の育ちには実体験、経験値が大切であり、その豊かさによって思考レベル、認識レベルが変化していくのだろうと。
    物的環境や経験を保障するだけでなく、それらを言葉として獲得していく為に、その時々での会話や、話し合って振り返ることなどを大切にしていきたいです。

  3. 「見かけの共通よりも「魚」という同じ仲間であることの方がより深い繋がりを持つと推測した」4歳児。すごいですね。大人でも違える人は多そうです。これらは、「言葉」を使うことによって理解が深まるとありました。見かけに囚われやすいレベル2の段階であっても、言葉があるおかげでその仲間を作り、「ちょっと待てよ…」と再考する能力があるのですね。いわゆる「刷り込み」に囚われている人というのは、このレベル2の段階であるということでしょうか。そこから打破する鍵となるのは、やはり人との言葉によるコミュニケーションなのですね。

  4. 私たち大人だって「アナロジー」は使います。そしてその推察の結果、得られたイメージで人を判断してしまうことがあります。かなり危険。刷り込み、先入観、・・・なるだけ、思い込みを排除したいと考えます。危険ではありますが、アナロジーは重要だと考えます。アナロジーの結果によらない真実に遭遇した時の驚きがおそらく半端ではないからです。それにしても、このアナロジー、行き過ぎるととんでもない事態を引き起こすことでしょう。何が?と具体的にここでは説明しませんが、思い込みの怖さは、時に虐殺さえをも引き起こすのです。ほどほどにしておかないといけませんね。

  5. アナロジー。初めて聞きました。
    だから、笑は、黒い服でないとき、私服の時は、一緒に遊ぼうとして、ご機嫌なんですね。
    同じ4歳なので、僕が納得しました。

  6. 人のことを見かけだけで判断してしまうのはレベル2の状態であるということなんですね。その状態から次のレベルに移行するためには見かけだけでの判断でいいのか冷静に考えるような、客観的に物事を見ていくような視点が必要であるように思いました。そして、言葉を用いるとレベル2でも深く考えることができる、とありました。言葉を用いることで他者とつながり、そこから他者の考えや意見が入ることで、立ち止まり考えることが可能になることを感じます。

  7. イルカ、熱帯魚のところで、イルカは海にいるから魚、海にいるものは魚、じゃワカメも魚だね、この黄金の件を思い出してしまいます。それがコミニュケーションのどんなレベルであったのか、という提議ではないのですが、こういう高等なやりとりというものは高いコミニュケーションスキルとユーモアがなければ出来ないだろうと改めて思えてきます。そう思うとユーモアとは、コミニュケーションスキルが高くなければ難しいもののようにも思われ、それを磨く為には今自分がどのレベルにいて、何を磨く必要があるのか、現在地を確認することから始めるといいように思えます。

  8. ことなる二つの事実を組み合わせて考える、もしくは分類して考えるというのは、言葉面だけ見れば難しそうに感じますが、何てことはなくみんなやっていることなのですね。遅番だと12時の出勤になることもある私たちですが、基本的には軽装で出勤するため、近所の人たちは私がどんな職に就いているのか、そもそも社会人だと思っているのかなどすこし想像してしまいますし、もし私の近所に同じような人がいれば、仕事をしてない方なのかな?と想像してしまうこともあるような気がします。

  9. ついつい私も見かけだけで判断してしまいます。
    しかし、よくよく聞いてみると、意外な一面があり、自分の視野の狭さに申し訳ないと思います。チーム保育も多数の視点で見るからこそ、子ども自身をより正確に、より深く理解できるので、他者との会話やコミュニケーションは重要ですね。

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