繋がり

自分達の生活との繋がりを見出した時、学びは「意味のある」ものになるとキャシーは言います。学習科学における長年の研究によって、新しく学ぶ事柄は既に知っている事柄と結びつけて考えることで、理解しやすくなるということが解っています。柔軟に繋げて学ぶことこそ、私達が追い求めるやり方と言えると言うのです。移民について学ぶことになったとします。自分の知っている移民の人にまずインタビューに行くことにします。すると新しい土地に移住することの意味が自分にとって繋がりのある現実の問題として見えてきます。言葉の壁、孤立、住む家や仕事を探すことといった問題が自分の知り合いが直面している事実だと解り、移民について我がこととして理解するようになります。

大人の学びも同じだと言うのです。処方した薬を正しく服用する方法をどうしたらうまく患者に覚えさせることができるか、実験して確かめてみたそうです。一方のグループでは医者はただ服用の仕方のルールを伝えただけでした。一週間後にそのルールを覚えているかどうかテストすると、ルールを覚えていないどころか勝手に新しいルールを付け加えていたそうです。もう一方のグループでは、架空の患者についての物語として同じ情報を伝えました。すると一週間経ってもルールをきちんと覚えていたのです。やはり学びに「意味」が付け加えられる方が、ただ抽象的に説明されるよりも効果があるようです。

より深い学びは「社会的な関わり」によって生まれるとキャシーは言います。だからと言って、ただ二人が並んで座って学べばよいというわけではないと言います。学ぶ必要があることを関わり合いながら一緒に理解してゆく状況を作り出さないといけないと言うのです。他者と共に学ぶことが効果を持つということも、長年、学習科学が追究してきたことです。できる子とできない子をベアにして、それぞれが別の知識コンテンツについて学びます。例えば石の種類について学ぶ時、できる子は変成岩について、できない子は堆積岩についてそれぞれ学び、後で教え合うことにします。できる子はできない子に教える時間を奪われて学びが停滞するかというとそうではないと言います。むしろ教えることによって変成岩の理解がより深まったのです。一方できない子もクラス全体の前では解らないことを質問できませんでしたが、ペアだと堆積岩がどう形成されるかが解らないと相手に伝えることができるのです。

「社会的な関わり」が学びに効果があるということについて、最近こんなニュースがあったそうです。ハーバード大学の物理学の教授であるエリック・マズールは、一般的に大学の物理学の授業で行われている講義型のやり方に疑問を持ち始めました。そんな時にたまたまアリゾナ州立大学の物理学者、デビッド・へステンズの研究を見つけました。彼は自分の授業を受けている学生達の物理概念の理解を評価するためのテストを作ったのでした。テスト問題は次のようなものです。

「二つの同じ大きさのボールがあった。一方のボールの重さはもう一方のボールの重さの2倍だった。この二つのボールをビルの二階から同時に落下させたら、軽いボールが地面に届くまでにかかる時間は……。

繋がり” への7件のコメント

  1. 物事を繋げることによって理解する、ということは、私たちの日常でもよく行われることです。「新しく学ぶ事柄は既に知っている事柄と結びつけて考えることで、理解しやすくなる」というより、既存の知識を土台にしなければ、およそ新しい知識は身にならないのではないか、と思えてきます。もっとも、既存の知識にはある偏りがあるかもしれません。偏った既存の知識に基づいた新しい知識。その新しい知識にもたぶんの偏りを予想することはできます。なかなか難しいことです。私が中学生だった時、中間期末試験の前には、同級生が我が家に来て、一緒にテスト勉強をしていました。互いの得意分野があり、互いに教え合っていたことを思い出しました。教えることによって確かにその学習内容を深く理解することができました。教えていながら、自分自身の理解不十分なところに気づきます。教えながら、実は自分の弱点を克服しようとしていたわけです。良き思い出ですね。

  2. 講義型の学びのように誰かの話を聞くというのは、その時は学んだ気持ちになっていますし、そのことを覚えている自信が妙にあったりするのですが、その自信が根拠のないもので、事実ではないということを後になっていつも思い知らされます。頭の中でぼんやりとあるものを自分は理解していると思いがちなのですが、実際に言葉にしたり、文章にしようと思うと思いのほか理解していなかったことに気づかされ、驚きます。「10を知って、1を語る」ということは藤森先生からいつも教えられていることです。また、論語の三省の「習はざるを伝ふるか」ということを改めて心にとめていきたいと思います。『より深い学びは「社会的な関わり」によって生まれるとキャシーは言います』とありました。人類は人と関わることで多くの力を育んできたということを改めて感じます。当たり前のことなのかもしれませんが、このことは忘れてはいけないことですね。

  3. 処方箋の話は面白いですね。相手がこう言っているのはなぜなのか、自分がする行為によってどんな事象が生まれるのか、それにはどんな意味があるのかなど、「架空の患者についての物語として同じ情報を伝えました」というように、伝えたいことをそのまま伝えるよりも、ストーリー仕立てにして意味を伝えることで記憶に残りやすいというのは知っておきたいことでした。棚の上に登ることはどうしていけないのか。挨拶はなんのためにするのか。どうしてパジャマに着替えるのか。なぜ避難訓練は必要なのか。そういった素朴な疑問を追求していく姿勢と、行動と思考、そして前後の繋がりを考えることは、教育の本質でもあるように感じます。社会的な関わりについても、ただ同じことをするよりも、別々のものを調べてそれをシェアする過程には、教え教わる関係性を活用した深い学びにつながることが理解できました。

  4. 移民についての例え話はイメージしやすく、薬の例えの方が印象的でした。架空の人物の物語があることで、自分ごととして意味づけられるのは、その話だけでもその人の中で「社会的なかかわり」が生じたと言えるのでしょうか。
    学びの中でアウトプットが重要であるという話はよく耳にします。また、アウトプットの方法の中でも、誰かに説明することが最も効果的な学習につながるとも聞いたことがあります。
    人にとって最適な物事や方法というのは、生物学的な観点から、生存戦略と結びついているのだろうと、まったく専門知識は無いながら、学んでいく中で感覚的にそう思います。
    情報(知識)はそもそも生活に必要だから存在しており、人から人へ伝わったのでしょう。その時、自分の生活や身の回りのことと結びつけるのは、当たり前のことであったのではないでしょうか。

  5. 初対面の人と話しているときに、自分との共通点があると、話しが一気に盛り上がることがあります。というより、個人的な見解ですが、初対面の人と話すときは自分と共通しているもの、共有できるものを探しながら会話しているのではないかと、コメントを書きながら感じました。初めての人との会話は苦手ですが、共通のものについて話すことは「楽しい」と思えるものの一つであるように思います。〝新しく学ぶ事柄は既に知っている事柄と結びつけて考えること〟とあり、単純な会話の中でもそのようなことが「心地いい」と感じることで相手との距離が縮まることがあります。そのような会話の中でも「学び」があり、それが心地いいと思えるというのは、そのような学びが人間の本質でもあるのではないかと感じました。

  6. 着想を得る、と言いますが、その楽しさ、喜びに勝るものなどないのではないかと思える程、体中で感動しているような感覚を味わうことがあります。人間の特権でしょうか、そういう学びのような日々を送ることは人生の喜びそのものと言っても過言でないように思えてきます。自分たちの生活との繋がり、だからこそ身近なことに幸せは含まれているのであろうと思うし、それに気付ける賢さというものを磨く為に、学ぶことが必要なのだろうとも思えてきます。
    そしてそれが、社会との関わり、他者との関わりの中にふんだんに含まれていると言います。人から課題を授けられ、また人から解答を得る、人間の純粋な社会的営みのように感じられます。

  7. 脳の記憶はチャンクと呼ばれるまとまりで覚えられるため、例えば、トマトと弟とボールを別々に覚えると三つのまとまりになりますが、トマトを弟とボールのように投げる、という単文にすると一つのまとまりとして覚えられるそうです。友達と学ぶというのは、例えばマックでポテトを食べた記憶と数学の公式が一つのまとまりとして繋がったり、帰り道の笑い話が社会の偉人と何らかの関わりで繋がるのかもしれませんね。

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