知識コンテンツ

職種によって求められる知識コンテンツは異なりますが、レベル4に達するまで長い年月をかけて修業するプロセスが必要であることは変わりありません。但し、身につけるべき知識コンテンツはずっと同じではないと言います。変化しないビジネスなどないので、今のやり方でよいか常に見直すことを怠ってはならないのです。企業は顧客から情報を集め、顧客のまだ満たされていないニーズを探り当てる努力をします。アップル社はこのやり方で成長してきたと言います。アップルのリサーチャーは顧客用のチャットルームに入り込み、そこでなされているコメント、不平や関心のありかなどをしつかり把握するそうです。その中にあった「財布に入るコンピュータがあったら凄いよね」というチャットがきっかけとなってタブレット端末が生まれたのだそうです。知識というコンテンツを集めようとするアップルの意欲がコンピュータ市場を変える画期的な製品の誕生に繋がったのです。

もう一つ、レベル4で知識コンテンツを捉えようとしている企業の例として、幼児が落としても割れないお皿を製造している、アメリカの耐熱皿製造大手企業であるコーニング社をキャシーは挙げています。コーニング社は新たなビジネスチャンスを生みそうな最新技術と、文化的・歴史的な光を当てて製品を見直すこととを繁げる試みを続けているそうです。そのために年に一度、学術界、産業界の専門家を集めてカンファレンスを行うそうです。コーニング社はこれまでやってきたこととこれからやろうとしていることを両方考えて、進み続けながら振り返ることを大事にしているのだそうです。2015年10月に開かれたカンファレンスのテーマは「アメリカ人のお気に入り料理 耐熱ガラスの100年」でした。ガラス会社のデザイナーとマーケティング担当者と技術者が「料理は愛である」ということや、建築について、更には料理と性役割といったことについて考えるのです。

新しい知識を生涯学び続けること。これはどんな職業に就こうが、仕事の種類が何であろうが関係なく、全ての人々にとって必要なことだと言います。インドの哲学者、ジッドゥ・クリシュナムルティの言葉を私達は胸に刻んでおきたいとキャシーは言います。

「教育に終わりはない。本を読むのはテストに合格するためでも、教育を終えるためでもない。生まれてから死ぬまで、私達の全生涯が学びのプロセスなのである。」

この章の冒頭でキャシーが紹介したFCATの宣誓を生涯学び続ける誓いに変えてしまおうと呼びかけます。「さあ、皆さんも胸に手を置いて、言ってみてほしい。」

1.私はただ事実を覚えるために勉強するのではなく、知識のシステムを作るために概念を深く学びます。

2.私は「学び方を学び」ます。なぜなら情報は無限に増え続けるからです。

3.私はよく寝て、朝ごはんをしっかり食べます。これはずっと大事なこと!。

4.私は難しいこともすぐに諦めず、他の人とコラボレーションして、問題解決にチャレンシし続けます。

5.私は学んだことをどう現実場面で応用するかいつも考えます。知識は使う練習をしないと錆びついてしまうからです。

知識コンテンツ” への6件のコメント

  1. 企業というのは時代のニーズを掴むのは早いですね。消費者が求めているものが企業にとっては重要で、そして消費者が求めているのは、その時代を生きる人なのですからやはり時代のニーズが反映されているのだと思います。このあたりが教育界では弱いポイントかもしれません。歴史的に見て、教育は社会変革の波に乗り遅れることがほとんどだったということも言われます。憲法などはある意味では簡単に変えることができない良さというか、安全性のようなものがあるのかもしれません。教育もまたそういう方向なのかもしれませんが、今やそんなことを言っている時代ではなくなってきてしまいました。藤森先生がよく言われる不易と流行のように、変えるものは早く変えていくという姿勢を私たちは持たなければいけませんね。「私はただ事実を覚えるために勉強するのではなく、知識のシステムを作るために概念を深く学びます」これが学びのおもしろいところですね。知れば知るほど、分からないということが分かり、同時に、関連するところが見えてきて、本質的なことにも迫れるような気がします。それが学びのおもしろさそのものですね。

  2. 「修業するプロセスが必要である」というのが、革新的な内容の中で、どこか古典的で、しかし本質はそこにあったという感じがしてとても好きです。

    SNSの広がりによって個人的に感じることが、人間関係における、キャシーがいうところの修業が不足しているということです。私はSNSをやっていないために「普段何しているかわからない」さらには「未知な人」と言われることもあります。その度に、本当にその人を知るには、時間と物事を共有して、直接的に様々に関わる他に方法は無いと思うのです。占いや血液型、生年月日等で人を定義するものも好きではないです。何かしら情報が入った時点でそれを含んだ見方になってしまい、その人そのものが霞んでしまうように感じるからです。

    このような状態を、言葉だけで知識をなぞり、知った気になっていることと同じように感じるのです。暗記試験の為の一方通行型の教育によって、物事を理解するレベルが進んでいかなければ、人を知ろうとすることへも影響を及ぼすのではないかと考えました。

    そういう教育を受けてきた人たちが、人間関係に悩み、書店には人間関係やコミュニケーションの本が並び、そしてまた本の中身をなぞることに終始する…。というようなことが起きているのかもしれません。

    保育は、子どもたちと人間関係を築いていくこと、子どもの人間関係の学びを支えています。また、子どもたちは刻一刻と姿を変え、生きていく社会も変化し続けていきます。私は人間関係を扱う塾達者、レベル4に至っているだろうか…。生涯「修業」を続けます。

    さて、早く寝なくては。

  3. 懐かしいですね、「インドの哲学者、ジッドゥ・クリシュナムルティ」。もっとも、何を説いた哲学者であったか今となっては忘れてしまいました。何だか儚さ、虚しさを感じながら、懐かしさを抱きます。「生まれてから死ぬまで、私達の全生涯が学びのプロセス」。私自身、こう思っています。私が尊敬している先人の一人に上原専禄先生がおられました。先生は自分自身を「読書人」と読んでいました。その名に相応しいくらいの読書量でした。今、私は「学習人」です。知らないことを知る、さまざまなことを習う、人。ですから、新しい知識や知恵に出会うと、ワクワクドキドキしながら貪欲に吸収したくなります。そのために、さまざまな人々に出会い、様々な土地に赴き、そしてさまざまな発見をしては悦に入る。日々学ぶことがたくさんあります。死ぬまで学び続ける。興味関心好奇心探求心。衰えることを知りません。

  4. 『「財布に入るコンピュータがあったら凄いよね」というチャットがきっかけとなってタブレット端末が生まれた』とありました。消費者のニーズに応えることで、進化していきた過程は、教育の世界でも同じでしょうか。一見、対象は保護者のように思えますが、教育の消費者や対象はあくまでも子どもであって保護者ではない気がします。確かに、お金を払うのは保護者かもしれませんが。子どものニーズとはなでしょうか。自分がしたいことを思う存分したい。自分を認めて欲しい。愛されたい。そんなニーズに答えられる方法がまさに「見守る保育」でもある気がしました。そして、「新しい知識を生涯学び続けること」。本来、知ることは楽しいことです。その楽しみを奪うようなことは、教育としてあってはならないことだと理解しました。

  5. アップル社のリサーチャーの話、なるほど優秀な企業も、人も、アイデアを自身の外に求めるということを改めて感じました。斎藤道山も織田信長も、その戦術は静まり返った自室の中にあるのでなく、積極的に地へ赴き、細やかな情報収集から導き出されたものであることを歴史小説から学びます。そこには行動があり、思考があり、改善があり、それは今の教育が育もうとする姿勢そのもののようにも思えてきます。天下統一という目標を持ったその当時、今はそれぞれの目標、夢がありながら、その進め方はあまり変わらないものなのかもわかりません。

  6. 自分もアップル社の携帯端末を使っていて、コメントを書かせていただいてますが〝企業は顧客から情報を集め、顧客のまだ満たされていないニーズを探り当てる努力をします〟という情報収集から今日があるということなんですね。自分たちに置き換えて考えると、顧客は子どもたちということになるんだろうと思います。子どものニーズをアンテナを張って探り当てるようなことをしていくことで、子どものさらなる発達の後押しをしてあげられるということになるんだろうと思います。こちらからの提案だけでなく、子どもたちのニーズが何であるのか、そのニーズに応えるにはどうしたら最善なのか、自分たち保育者もリサーチャーですね。

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