理解の深さ

ただ知識というコンテンツを覚えただけで、意味について考えようとしないと必ず間違いは起こるとキャシーは言います。彼女は、レベル1のコンテンツ意識が企業にダメージを与えた例を挙げています。2011年にアラバマ州を竜巻が襲い多くの死者を出した翌日、ある企業が「自然は危険がいっぱい。なんとかしなくちゃ(Mother nature hates you. DeaI  with it.)」という宣伝メールを流してしまいました。もちろん、この広告コピーは竜巻が起こるより前に作られたものですが、担当者は命からがら逃げ延びた人々がこのメッセージを目にしたらどう思うだろうということを全く考えず、職務をただ遂行したのだったのです。あまりにも配慮を欠いた酷い事態を招いたことに対してCEOはすぐに謝罪しなければなりませんでした。

レベル1では知識の量が少ないことはもちろんのこと、理解の仕方も浅いのです。そして何度か繰り返し起こったことは、これから必ず同じように起こると思ってしまいます。例えば、電子レンジがチン!と鳴ったら、これからチンと鳴った音は全て電子レンジからだと考えてしまいます。これが乳幼児だけでなく、思春期の子どもにとっても、大人にとっても、レヘル1の学習方法だと言うのです。しかしこれはあまりにも浅い学び方です。但しテストをうまくこなして、学校で何とかやっていくことは、この程度の学び方でもできてしまうのかもしれないとキャシーは言います。

では、次の段階であるレベル2では、どうでしょうか。そのレベルでは、広く、浅く理解します。言葉を利用して「見かけ」への囚われを超え始めるのです。レベル2になるとレベル1よりも関心を持つ範囲が広がり、より多くのトピックを知ります。就学前の子どもは恐竜の名前、動物の種類、50までの数といったようなことを覚え、語ります。そして自分の名前や「止まれ」のサインといった言葉を読めるようにさえなります。かわいらしい女の子がYouTubeの動画を見ながら、恐竜のことについて話しています。彼女は恐竜の名前を沢山覚えていて、それぞれの外見についても語ることができます。しかし恐竜は哺乳類が生まれる前に存在した動物であり、生息していたのは6500万年前だということは知りません。そもそも6500年前ということが解らないのです。

レベル2の学びの始まりは言葉が利用できるようになることと連動しているとキャシーは言います。子どもは言葉で大人に問いかけられるようになります。これが大人を時にイライラさせるのです。子どもが延々「何で?」と聞き続けるからです。レベル2の段階では知識は明確で曖味さを許さないものだと捉えられているので、この段階に到達したばかりの子どもは「正しい」ことしか受けつけません。それで時に周囲の大人を困らせるのです。

ある母親が子育てお悩み相談にこんな文章を書き込みました。「私には3歳半の子がいますが、誰かが正しくないことを言ったリ、言い間違えをしたリすると、激しく騒ぎ立てます。2歳の子でも大人でもお構いなしに「違うよ!×××じゃないよ。×××だもん」と叫びます。…(中略)…子どもは自分の思うように相手を動かす方法として、また相手の注意を引くためにわざとそういう言い方をしているのかもしれないと思うようになりました。」

 

理解の深さ” への8件のコメント

  1. コンテンツのレベル2。「何で?どうして?」・・・私もこのレベルかな?「違うよ!×××じゃないよ。×××だもん」と私も叫びたい。私はより正確な事、より真実に近いことが知りたいだけです。子どもたちは許容されるのでしょうが、私のような大人は、許容されないどころか「なんて、大人げない」と一笑に付されてしまいます。在任期間最長の首相が先月辞意を表明しました。在任中のレガシィは?2回の消費増税と国民の所得が増えない一貫した緊縮財政です。当のご本人はモリカケサクラ+奥方の奇行で何やってんの。それでも支持率高いどころか、選挙をすれば悉く勝つ。そして、辞意表明した途端に支持率急増。この国の人々は一体何を考えているのか、よくわかりません。消去法で清き一票を投じる私たち。コンテンツもさることながら、クリティカルシンキングを練習してこなかった結果。この問題を解決に導くことがSTEMでしょう。STEM保育の未来に期待しています。

  2. 竜巻の広告のような出来事は日本でも同じようなことが起こっているように思います。反面、相手や聴衆を意識しすぎるために極端に動きを抑えるようなケースもあったり難しいですね。相手がどう思うのかということは常に考えて動かなければいけませんが、過剰にそれに左右されてしまうとまた動きにくかったりと、なかなか人との関係は難しいですね。だからこそ答えはないのかもしれませんね。『レベル2の段階では知識は明確で曖味さを許さないものだと捉えられているので、この段階に到達したばかりの子どもは「正しい」ことしか受けつけません』とありました。これはまた新しい子どもの見方を教えていただきました。自分の中で正しいと思っていることを譲れない時期というのがあるのですね。この世界を知ろうとする子どもにとって分からないことは分かりたいという思いがあるのかもしれませんね。

  3. レベル2の段階では知識は明確で曖味さを許さないものだと捉えられているので、この段階に到達したばかりの子どもは「正しい」ことしか受けつけません。

    上記の部分、なるほどと思いました。そうであれば、保育者は知識や言葉の取り扱いおいて正しさを持って接することが重要なのでしょう。その際の姿勢として、誰しも世界の全てのことは知り得ないということ、誤ることがありそれを認められること、子どもと一緒に考える姿勢があること、知る為の手立てを提示できること、正しい知識を探求する過程を楽しめることなどが大切なのかなと思いました。

  4. レベル2の「なんで?」という疑問や言葉によって見かけへの囚われから脱出し、広く浅い理解が生まれ、正しさ以外受け付けなくなるとのことでした。子どもたちが懸命に主張する正しいと思うことと、その背景にあるものとの擦り合わせ行動が生まれると、レベル2よりも高いレベルにいくのでしょうか。コミュニケーションでの大切なこととして、正しさだけでは人の心は動かない、ということをしみじみと感じています。

  5. 〝レベル2の段階では知識は明確で曖味さを許さないものだと捉えられている〟という表し方が新鮮なものに自分には写りました。「自分が正しい」と思うことをしていて、他者との接触があるからこじれていってしまうのでしょうか。そして、他者とこじれてしまうことを繰り返していった先に次のレベルがあるのだと思います。二歳児のクラスが単独となっているのもこの「自分が正しい」と思っている者同士のぶつかり合いを、ある意味頻発させるために単独のクラス編成となっているんだろうという、新しい切り口からクラス編成についてのことを感じました。やはり、理にかなうものであることが理解できます。

  6. 太っている人に太っている、と事実だからそう言ったとしても、それが相手をどのような気持ちにするかまで思い至る心の作用が働くべきであり、また、働かないのだとしたらそのコミニュケーションはレベル1であると言えるのかもわかりません。そういうコミニュケーションで終始してしまうような人と会話をすることは難しく、そういう人に限って自分はこういうタイプだから、と決めつけてしまっていることもあり、どんどん狭くなっていきそうなそれを見ながら、これからまだまだ沢山の学びがあるのだろうと、何か親心のような気持ちの湧く時もあったりするように思えてきます。

  7. 実際に企業に来たクレームの一例に、濡れた猫を乾かそうとして電子レンジに入れてしまったため、猫が亡くなってしまった責任を取れ、というものや、かのマクドナルドには、コーヒーが熱すぎて舌をやけどしたため、責任を取れというものがあります。これらはきっとレベル1のコミュニケーションしか出来ない人たちが起こしているのでしょうが、企業はそのために説明書に生き物を入れてはいけない旨や、熱いので注意する旨をカップ側面にいれたりとどんどん親切になっていきます。もしかしたらこの親切すぎる社会が更なるコミュニケーション能力の低下を招いているのかもしれませんね。

  8. 娘が正にその時期で、「どうして?どうして?」とよく聞かれます。よく考えてみると「たしかに、なぜそうなんだろう?」と気付かされることもあり、逆に娘にその質問を返してみると、子どもながらに想像力を働かせて面白い答えが返ってくることもあります。親でも答えられないこともあるので、子どもと一緒にその不思議さに共感したり、色々な答えを探せて行けたらいいのかなというスタンスでいるのですが、「知識は明確で曖昧さを許さず、正しさしか受け付けない」という発達でしょうから、自分の答えに納得できないこともやはりあるのでしょうね。

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