大人か子どもかは関係ない

マルコム・グラッドウェルのような著名な作家になるには一体どうしたらよいのでしょうか。世界中の14歳が受けるPISAテストにそのヒントがあるとキャシーは言います。高得点をとる学生は代数で学んだことと三角法で学んだこととを関係づけて、異なる領域の知識を繋げて考えます。問題を解くためにどんな制約を考慮しないといけないか見つけ出し、それは、この手の問題にはこの方略は使えないと判断することで、解法を適宜柔軟に考え直しながら知っている知識を適用するのです。このように熟達者は理解したこと、思いついたことをすぐに新しい問題に応用し、新しい関係を作り出すことができると言うのです。レベル3のように知っていることを広げて適用するだけでなく、レベル4は、全く新しい方法を見つけ出すのです。

全ての分野において熟達者と初心者とを区別することができると言います。子どもであっても熟達者になり得ると言うのです。アリゾナ州立大学のミッキー・チーはチェスの熟達者である子どもを研究したそうです。まず知能テストで行われる数唱テストを行うと、大人の方がチェスの熟達者の子どもより多く数字を記憶でき、より記憶の容量が大きいことが分かったそうです。しかしチェスの盤面の記憶については、大人よりもチェスの熟達者である子どもの方が優れていたそうです。どの領域であってもレベル4の熟達者になると、大人か子どもかは関係なく、その領域での問題解決の際に初心者が気づかない特徴を見つけることができるのだそうです。またその領域において大事な情報をより多く記憶しているので、深く分析ができ、経験したことがない状況にであってもすぐに対応できるのだそうです。

ここでキャシーは、もう一つゴルフの例を挙げています。ゴルフがうまくなるにはやはり長い年月のトレーニングが必要です。これまで経験したことのないコースでフェアウェイからグリーンへアプローチする時、熟達者はこれまでの知識を新しい状況に適応して対処するのです。フェアウェイの真ん中に川が流れています。プロゴルファーはここで様々な判断をします。リスクがあるのを承知の上で川を越えるボールを打つかどうか、どのクラブで打つか、風は追い風か向かい風か、こういった変数を全て考慮する必要があるのです。熟達者はただ漠然と物事を進めません。どうしたらベストかを考え、見極めてから行動します。更にもうだめだと簡単にあきらめたりすることもありません。知っていることを全て投入し、問題を解決します。それが熟達者なのです。自分の行動を的確に評価し、いつもと違ったことをしていないか常時チェックしています。レベル1やレベル2のゴルファーは自らに問いかけて確かめることなどせず、なんとなくショットし、ボールが川めがけて飛んでいくのをただ見つめるだけだと言うのです。レベル3のゴルファーはクラブを変えることぐらいはできるかもしれませんが、関連する要因を全て考霾して判断することはできません。関わってくる変数を全て思い浮かべ、どれに重みをつけるか決め、全体像をつかむことは難しいと言うのです。しかしレベル4のプロはこれができるので、トーナメントで優勝するのです。

大人か子どもかは関係ない” への7件のコメント

  1. 今回のブログタイトル「大人か子どもかは関係ない」。本当にその通りだと思います。論語の中に「後生畏るべし」という教えがあります。これは実にその通りだと日々思います。それ故、自分なりに、自分自身の進歩を遂げていかなければならないと思うのです。「熟達者」と言うことに関しては、その域に達している人々の実践こそがそのことを雄弁に語ります。素人がおいそれと近づけない領域にその人たちはいます。そのことがわかっているにもかかわらず、熟達者の領域にはなかなか入れません。私よりずっと年下なのに、その領域に入っているかなと私が感じる人々は何人もいます。そのことがわかった都度、自分自身の不甲斐なさを痛感します。しかし、痛感しているだけでは埒がありません。やはり、初心に戻って学び直す、このことが大事なように思えてきます。

  2. ゴルフの例などから、レベル4の熟達者はやはり経験が豊富であり、またその経験したことを自在に引き出せるからこそ、そのような熟達した判断ができるのだと思っていましたが、「どの領域であってもレベル4の熟達者になると、大人か子どもかは関係なく、その領域での問題解決の際に初心者が気づかない特徴を見つけることができるのだそうです」とあるように、大人か子どもかはそこまで関係ないということを知ると、驚かされます。子どもたちでも一つのゾーンでじっくり遊ぶことができている子は、子どもの時間軸ではありますが、そこで様々な経験をし、あらゆる可能性を考え、試しながら遊んでいるのかもしれません。そこで大切になるのは、自分から進んでやっているかということになるのかもしれませんね。やらされている訳ではない
    その遊びの中で、レベル4に到達するような過程をいくつも踏んでいるのかもしれません。

  3. 「理解したこと、思いついたことをすぐに新しい問題に応用し、新しい関係を作り出す…」モンテッソーリの資格を取ろうか迷っていたところ、園長にこれからの時代に必要な力について伺う機会がありました。こういうことなんだと感じました。

    没頭するとはいえ、やり方が決められており、ドリル的に教具に取り組むことよりも、興味関心を深めていく、創造的な学びが重要なのでしょう。

    「その領域での問題解決の際に初心者が気づかない特徴を見つけることができるのだそうです。またその領域において大事な情報をより多く記憶しているので、深く分析ができ、経験したことがない状況にであってもすぐに対応できるのだそうです。」また、この記述からは、記憶=暗記することも学習のある一面として重要であることが伺えます。
    人は言語を用いて思考すると、ある研修で聞いたことがあります。記憶することで、言語的にその知識を用いて思考できると言えるでしょうか。
    暗記試験のために記憶するのではなく、目的を持ち意味を持って記憶することができて、はじめて知識を活用できるのだと考えました。

  4. 先日、メガネを新調しました。その初日、ある子が私をジーと見ながら「メガネが太くなった」とぼそっと言いました。よく見ているなぁと感心しましたが、その子は「初心者が気づかない特徴を見つける」のが得意な子であったんだなぁと思いました。また、ゴルフの事例があり、とてもわかりやすかったです。ゴルフはほんとたまにするレベルなのですが、熟達者とラウンドしていると、「残り130ヤードで右にはバンカー。風は左から少々。あ、右はOBか。じゃあこのアイアンで少し左を狙うか。」など、独り言をぶつぶつ言っています。私は、そこまで考えたところでボールを思う場所に打つ技術もないので、どうしようもありませんが、その人はきっと多くの練習によって、希望の場所に打てる技術を手に入れ、その上で自然環境やその場の状況を総合的に判断した上での決断ができるのでしょう。柔軟に動くためには基礎がしっかりしていないとできないということを感じました。

  5. レベル4まで達することができたなら、それは楽しくて仕方ないでしょう。楽しくて仕方ないからそのレベルにまで至れたのか、はたまた相互であったのか、それは追求しないにしても、与えられた環境下で無性に好きなそれ、というものが実は自分にとってとても掛け替えのないものであることはどうやら間違いなさそうです。なぜか探求してしまうし、なぜかいつもそのことを考えてしまうし、なぜかいつもそのことを考えるとワクワクしてしまうそれ、人それぞれのものであると思いますし、それこそ天から与えられた何かなのではないかと、思えてきてしまいます。

  6. ゴルフの例を読んでいて、スポーツの醍醐味のようなものはそういうところにあるのではないかと考えました。それがチームで行うスポーツであるならば、味方がいて相手がいて、そして自分がいて…きっと、ここに書ききれないほどの思考が頭の中を駆けめぐるのでしょう。そんな風に思考が駆けめぐる状態を「ゾーン」と呼ぶのではないかと考えました。冷静でまわりは見えているけど、熱くなっている状態の「ゾーン」。この状態を意図的に作り出すような環境がある場所というのは楽しさが止まらなくなるんだろうな、と思いました。楽しむことは良い発達を遂げていることの証明であるのではないかと感じました。

  7. プロゴルファーとアマチュアゴルファーの大きな違いは、変数を考慮してプレイすることともう一つ、変数を考慮して球をうち分けられるられることでしょう。それは数学でいえば問題の要点を理解し、どんな公式が当てはまるかを導きだした後、それを使いこなせるかということになります。ゴルフは風、気温、天候などありとあらゆる変数が身近に転がっていますが、それを理解したところで、その変数にあわせた球を打ち出すことがまた容易ではない、という大変頭と体を使うスポーツですね。

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