アメリカの教育

2015年、ニューヨーク州のクオモ知事は州の実施する学力テストで自分の受け持つクラスの子どもが成果を出したかどうかで、教師の査定の40%が決まると認めたそうです。しかし実際には子どものテストの得点たけで優れた教師かどうか評価することはできないというのが、教育研究に携わる統計学者、心理測定の専門家、経済学者の共通した見解です。

二つ目の不幸は、教師がテスト対策に追われるためにただ暗記することを学びの手段としてしまうことだと言います。暗記することが悪いわけではなく、暗記する学びが必要な時もあります。ただ子どもにとって意味のある切実な問題に取り組むことなく、ただ暗記させると浅い学びしかしないと言うのです。それが問題なのです。丸暗記するだけでは、学んだ知識を状況に応じて使いこなすことができません。まだ子どもが小さいとレベル2の知識を披露しただけですごいと思ってしまいますが、3歳の子が50まで数えられたとしても、数の概念を理解しているわけではないと言うのです。

三つ目の不幸は知識の暗記とテストへと子ども達を追い込むことが彼らの心身を蝕んでいることだと言います。スクールバスに乗った瞬間に、不安で恐ろしく、泣きたくなり、お腹が痛くなってきます。学校が安全でも楽しい場所でもなく、恐ろしい場所になっているのです。せめて休み時間は思いきり走り回って、教室での緊張から解放されるひと時になってほしいのですが、低所得者の集まる地域の学校では休み時間が殆どないのが現状だそうです。

最後の不幸はテストのプレッシャーが不正を助長することだと言います。これは生徒のことを言っているのではないとキャシーは言います。アトランタの教育長は子どもの解答を改ざんして点数を操作するよう部下に指示していたことが発覚し、辞任に追い込まれたそうです。

落ちこぼれ防止法という「No Child Left Behind」略してNCLBや全米統一学力基準といった、これまでなされてきた教育改革は高い理想に基づいて作られたものでした。確かに子どもの学びはレベル1よりも深まったかもしれませんが、依然としてコンテンツ理解のレベルは2に留まり、まだまだ不十分であるとキャシーは言っています。

多くの科目を浅い学びでカバーしなければならないと、教師は自分の思うように授業できなくなると言います。キャシーらは、デラウェア州で勤務する教師の一人からこんなことを耳にしたそうです。彼女の学校では、学校から指導マニュアルを渡され、内容も授業を進めるペースも完全にその通りに進めなければならず、教師が自由裁量でできることは殆どないといいます。もし管理職が抜き打ちで監督に来た時、予定されたページを予定されたやり方で教えていないと後で叱責されると言います。子どもの様子を見て、まだ理解できていないと分かっても、そのまま台本通り説明し続けなければならないと言います。とにかく、その日に配当された範囲をこなさなければならないのだと言うのです。

このような授業が、それほど昔ではなく、今アメリカで行われていることにびっくりしますね。日本の教育に問題があるというだけではなく、世界中が教育改革を進めていかなければならないことを痛感します。

アメリカの教育” への8件のコメント

  1. 読んでいてこれほどまでか、と思ってしまいます。日本よりはもっとリベラル、つまり教師や生徒の自由裁量が保障されているだろうと思っていました。「ただ暗記させると浅い学びしかしない」この通りです。テストが終わると、ほぼその内容を忘れてしまいます。「管理職が抜き打ちで監督に来た時、予定されたページを予定されたやり方で教えていないと後で叱責される」日本はここまでひどくはないだろうと推察します。どうなのでしょうか。オバマ政権下、米国の教育改革はそれまでとは違った良い方向に行くか、と思いきや、トランプ政権になり、逆戻りか。およそのことながら、アメリカ、大丈夫?と思ってしまいます。まぁ、米国は連邦国家ですから、連邦政府からのお達しについては各州当局によってさまざまな取り扱いがあるのでしょう。いつになったら、丸暗記せずに、習ったことを楽しく復習しながら、テストにその楽しさを反映させられる時はくるのでしょうか。

  2. 本当に驚きますね。イメージとして日本の教育が遅れている、欧米の教育は進んでいると思ってしまいますが、このアメリカでの事情を知ると随分と違っているということを教えられます。テストで点数をとることだけが目的になってしまう教育の弊害、確かにたくさんありそうですね。子どもの学ぶ意欲を伸ばすことが目的ではないのですもんね。点数が取れればいいということが目的なのですから、学ぶ意欲ということは重視されなさそうですね。とは言え、日本も私たちの時代は「ここテストに出すから覚えておくように」みたいな先生の言葉は何度も聞きました。先生としても生徒が高い点数をとるということが自分の評価になるということはあったのかもしれません。点数は確かに分かりやすく、評価しやすいものかもしれません。アメリカがこれらの反省をし、次世代に向けた動きを行おうとしているのであれば、それもまたすごいことだなと思います。日本は具体的な教育政策としてそのような方向に舵をとっていけるのか。いや、いかなくてはいけませんね。

  3. 臥龍塾学びのなかにあった「保育者は競い合うのではなく学び合うもの」という言葉を思い出しました。保育園という環境だからこそ、その関係性でいられるとも話は続きました。
    このことについて考える際には、教育業界だけでなく経済的な視点も不可欠であると感じます。資本主義は良くも悪くも競争を煽りますし、学歴主義は無くならないと思います。所得は金額によらず、低いよりは高い方が良い気がしてしまうのが正直な気持ちです。

    ただそれも、テクノロジーによって働き方が変化したことによって、変わってきているという話も最近よく耳にします。学歴によらず、経済的な豊かさを手に入れられるようになったということです。
    国家の為に行われていた教育が、インターネットにより情報が民主化して、個人が国家に依存しなくなってきたことで、在り方を変えようとしているということでもあるようです。
    少しずつ良くなっているのだと思います。

    その一つに大学入試制度の変更があります。しかし、これは子どもの発達を無視しているように感じてなりません。特に変換期の子どもたちは、それまで暗記型の教育を受けてきたところからの急激な変化に戸惑うのではないでしょうか。
    教育改革をしていくのであれば、保育・幼児教育から見直さなければ、後々にある大学の入試方法を変えたところで、結局試験対策に追われる教師、塾、子どもたちの姿が思い浮かびます。

    そういう意味でも、見守る保育は大変意義のあることであり、保育士である私たちが、保育園だけでなく、社会に目を向けて考えることが重要であると感じました。

  4. アメリカでは、ペリー就学前プロジェクトなどの試みもありながら、学校ではいまだテストの点数に価値を置いていたり、教育システムが子どもだけでなく教師の不正をも生み出しているなどの現状を考えると、地域差、教育格差などが目に見える形で表出していることが理解できます。2005年、オバマ前大統領が教育革新を試みるも、15年経過しても変わることに対して消極的なのか、それともそれを許すことのできない古い体制の圧力なのかはわかりませんが、私たちは過去から学ぶことしかできないと思います。そのような教育をされてき子どもたちは、いったいどのような社会人になっていくのでしょうか。

  5. 自由の国アメリカの教育というのはこのようなものなんですね。大人になったら解放されるということなんでしょうか。ですが、テストに怯える、日々の授業についていけていなくても先生は手を差し伸べてくれないというようなやり方で育った人間が作る社会はどのようなものになっていくのでしょうか。と思ったのですが、自分たちが学生の頃の学校も似たり寄ったりみたいなものだったのではないのでしょうか。ですが、点数だけじゃ価値あるものは分からないということを知った自分たちは。変わろうともがいている段階にいるのでしょう。アメリカもまた「気づく」ことが、そして「動く」ことが必要なんだと思います。

  6. テスト対策と聞いて思い出されるあれやこれやはどれも社会に出てから得る学びとは異なっていたように思えてきます。ここは試験に出すぞ、とよく聞きました。それを暗記して、テストに書く、この一連の流れを抵抗なくやっていた学生時代をとても切なく思えてきます。そして今まさに学生たちは同じ境遇に立たされていることでしょう。
    これだけ変化のある毎日の中で、教育だけががんとして変化を拒んでいるような気がして、何か他に働いている力があるのではないかと思えてもきます。子どもの為に、未来の為に、という視点で考え、実践されることはこうも難しいことなのかと思えてきます。

  7. 発達障がいをもった子を、神から与えられた子とするならば、これからの教育は一点特化になっていくかもしれませんね。もちろん数学にも語学力は必要ですし、国語にも数学のような知識を組み合わせる力は必要になるのでしょうが、今のカリキュラムでは教えることが多すぎて浅い学びになってしまっているとも考えられます。ならば高校からでなく、中学から文理選択をし、得意なこと、もしくは好きなことに特化できるようになれば、これからの社会にも通用する人材が育成できるのではないでしょうか。

  8. よくある話ですが、学生の頃にもっと勉強をして入ればよかったなと思います。社会人になり、テストで良い点を取ることだけが勉強ではなく、生きていくために学ぶことを知り、学問の自由さや面白さに気づきましたが、今の時代、学んでいることが10年後には古くなってしまっているため、常に自分をアップデートし、学び続けなきゃいけない大変さもあります。
    教育が確実に変わりつつあり、今の子どもたちが少し羨ましくもあります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です