3,4歳のころ

では、いよいよレベル1、2を脱し、レベル3、そしてレベル4に進化する段階にきました。レベル3は、「一緒にやりとりする」で、「一緒にプレイ」できるようになるという段階です。砂場で遊んでいた3歳児が4歳になりました。日本では、おおむね3歳児クラスでの姿です。相変わらずバケツと城型を仲良く交互に使って遊んでいますが、それだけでなく、相手が何をしているのか熱心に尋ねるようになりました。どうも地球の反対側まで穴を掘ろうと企んでいるようにも見えます。ギブアンドテイクの行動をすると共に、進み具合を報告し合っています。「そのシャベルあんまりよくないね。これ使ったら」。自発的に自分の道具を貸そうとします。レベル3になると、子ども達は大まかに決められた共通の関心に向かい始めるのです。しかし、お互いに「別の」関心を持っていることにもちゃんと気づいているようです。相手が作ったものを壊さないようにするという自己コントロールもできます。このような状態を「一緒にプレイ」とキャシーらは呼んでいます。

レベル3では、遊んでいるおもちゃよりも相手に関心が向かうように見えます。レベル2の「横並びプレイ」の段階ですと、子どもは一緒にその場にいるだけで、お互いに勝手なことをしていて関わりはありません。もしこれが大人でしたら、二人は喧嘩しているのかと勘ぐってしまうほど交流はありません。それは、夫々携帯電話で誰かと話している状況と同じといっていいかもしれないと言います。レベル3の「やりとりする」段階まで成長すると、子ども達は話し合い、協同で何かします。「ねえ、タワーを作るの手伝おうか?」というように、相手が何をしようとしているか理解した上で協力しようとするのです。

ある心理学者は子どもがコラボレーションできるかどうかを測定する面白い方法を考えたそうです。6歳から10歳までの4人の子どもが協力して紐を引っ張って遊ぶゲームをするところを観察したのです。4人の子ども夫々が紐を持っていて、その紐は同じペンに結ばれています。ペンは四角いボードの中にあります。四角いボードは四面に区切られていて、夫々の面に円が描かれています。紐をうまく引っ張ってペンを全員に回し、各自そのペンを手にとって自分の担当する面に描かれている円にマークをつけ、最終的に四つの円全てにマークできたら終わりです。ポイントは4人が協力して紐を引っ張らないとペンを手にすることができないというところです。皆のコラボレーションが試されるというわけです。四つの円すべてにマークできれば賞品が貰えるということで、子ども達は盛り上がり、見事にこのミッショを達成しました。

続いて、ルールを変えて同じゲームを行いました。自分の担当する円にどれだけ多くマークをつけるかによって賞品を貰えるかどうかが決まるという風にしたのです。コラボレーションよ、さようなら。子ども達は自分の方に紐を引っ張ろうとすることばかり考えて、交代で協力して皆が勝てるようにしよう!などとは全くなりませんでした。見事にレベル1に逆戻り。皆同じ結果を求め、やりとりもあったのに、コラボレーションは殆ど起きませんでした。

この研究では文化の違いも結果に影響していることが明らかになっているそうです。イスラエルのキブツのような田舎の集団社会で育った子どもは、都会に育ち、一人で何かをすることを求められてきた子どもよりもコラボレーションできたそうです。

3,4歳のころ” への8件のコメント

  1. いわゆる田舎と言われる地域に生まれ育ちました。そうした田舎でも現在では、ひきこもって生活していても支障がありません。ネットで頼めば生きていくことに必要なものは手に入れることができるでしょうし、修理などが必要ならば、これまたネットで頼めば家に来て直してくれるでしょう。私が子どもの頃はそうはいきませんでした。生きていくためには他者とコラボしなければなりません。助けたり助けてもらったり。一緒に遊んだり、教え教わったり。「イスラエルのキブツのような田舎の集団社会で育った子どもは、都会に育ち、一人で何かをすることを求められてきた子どもよりもコラボレーションできたそうです。」ということが自分の子どもの頃を振り返ると理解できます。子どもたちは関わりを求めている生き物と言っていいでしょう。「一緒にプレイ」が原則なはずです。親子だけで乳幼児期を過ごしてきた子どもは「自分が全てを仕切る」段階で止まってしまうかもしれません。その次にある「横並びで勝手に進める」ことも他児と同じ空間に存在するならあり得るでしょう。しかし今回のレベル3「一緒にやりとりする」はどうでしょう?乳児期から他児との関りが重要なことは、これらコラボレーションの各段階の推移をみてもわかることです。

  2. レベルによって発達が見えてくるようで、面白い指標だと思います。ふと、自園で働く前のことを思い出してしまいました。Fujimori Methodの実践の中で子どもたちの姿とは、というものが見えてきて、なんとも納得できたり共感できたりする姿なのですが、その前まではまるでそんなことが夢物語のようにも思えていた時期がありました。今思うとそれは、子どもを年齢別で保育していたり、一斉保育をしていたり、チームで保育をしていたりはなかったから、このような子どもの姿というものがなかったのではないかと思いました。
    もっともっと手前の課題で悩んでいる保育者もいると思います。先ず、Fujimori Methodという具体例に触れてほしいと改めて思います。

  3. 2年前、イスラエルを訪れた目的は、まさに「キブツ」でした。そのキブツコミュニティーは、イスラエルという国の原型でもあり、今もなおその精神は脈絡と受け継がれている印象です。ユダヤ人の出生率が3.11と高いのは、宗教上のこともあるかと思いますが、子どもはキブツで見るものという考えがあるからだと学びました。育児は親の仕事ではなく、コミュニティーの仕事という基盤は、昔の日本を彷彿とさせますが、それを現代でも実践しているのは非常に面白いですね。

  4. 複数で行う同じゲームでも、目的によって遊び方が変わってしまいますね。つまり、何を目的にするかで協力もすれば個人プレーにもなってしまいますね。保育の原点を改めて考えさせられました。

  5. 昨日、我が家で息子たちが風船でバレーボールのように遊んでいましたが、はじめは点を取り合うような対決のようなことをしていました。次第に床に風船を落とすにはどうすればいいのかばかりになり、見ていて面白くなくなり、そこで「2人で床に風船をつけずに何回続けられるかをしてみたら」と声をかけると、途端に協力しだしたのが印象に残りました。
    相手が次打ちやすいところを狙ったり、ふんわりとした返し方をするなど、会話しなくても通じ合うような、そんな感じがしました。今回のを読んでレベル3であったように感じました。
    こちらの声かけはそんなところに必要であることを感じました。

  6. 共通の目的を持っての遊びとなると確かに発達が高い子どもたちの遊びになるのかなという感じはしますが、もう少し小さい月齢の子たちであっても互いに何を意図しているのか探り合って遊んでいるような姿はありますね。しかし、それを保育者の感覚ではなく、研究として証明するとなるとかなり難しそうだなという感じもします。「イスラエルのキブツのような田舎の集団社会で育った子どもは、都会に育ち、一人で何かをすることを求められてきた子どもよりもコラボレーションできたそうです」この言葉は興味深いです。都会の子と田舎の子では根本的に発達はそこまで変わらないとは思っているのですが、やはり結びつきとなると差は出てくるのかなと感じています。互いの結びつきが強い田舎であれば、他の家族間の交流も多く、子ども同士の交流も現代であっても都会の子よりは多いのではないかと思います。休みの日も基本的には家族だけで過ごしていることを思うと、そのように感じます。だからこそ、本当に、保育園という施設は重要だなと感じます。

  7. コラボレーションとお別れした場面はきっとどこの園でも、もちろん例外なくうちの園でも見ることは出来るのでしょう。ただ競争しながらコラボレーションすることもきっと可能であるでしょうから、例えば四人がそれぞれで戦うのではなく2対2にわかれて行うだとかの工夫があれば、競争しながらもああだこうだと話し合う姿がみられたのではないでしょうか。そういった意味では我々の役割というのは面白いですね。

  8. 3、4歳よりも低い年齢においても、それらしきコラボレーションをしている姿はありそうな気もするのですが。
    結びつきと考えると田舎の方が強いイメージはありますが、田舎、都会には良いとこ、悪いとこはありますね。
    一体化した場合には、田舎としては力を発揮するのでしょうが、今回のコロナのように差別をしてしまったり排他的な傾向も強くなってしまうと思います。

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