横並びプレイ

キャシーらは、「横並びプレイ」は必ずしも悪いことではなく、別々に遊ぶことで各自の領域を守り、お互いの城に手を出すこともなく、きちんと衝動をコントロールしていたのだというのです。

この段階では、子どもは他者が自分と異なる目標や欲求を持っていることを認識しているというのです。ハーバード大学のある教授は、コラボレーションして課題を解決する実験を行い、この状況でヒトの3歳児がどう振る舞うか観察したそうです。するとヒトの子どもはグミの熊とシールを得るための装置を協力して動かし、戦利品を均等に山分けしたのです。同じ実験でチンパンジーは、レベル1の状態に留まり、自分のことしか考えず、コラボレーションできなかったそうです。実験者達は「ヒトの子どもはチンパンジーとは対照的で、コラボレーションする性質が戦利品の分配を巡って争う傾向を抑制した」と記しているそうです。

保育園や幼稚園の環境は、子どもがコラボレーションしようとするのを促進する場合もあれば、弱める場合もあるとキャシーらは言います。幼い子であっても、子どもの周りにいる大人から誰かと一緒に取り組まないといけない課題を与えられると、協働することを学ぶことができます。「ねえ、ヒロシとジロウ。そこに散らばっているブロックを同じ種類のものは一緒になるようにきれいに片づけてくれるかな?」。こう一言われると、ヒロシとジロウは喜んで先生に言われた通りにして、長いレンガは長いレンガ同士、半月型のものは半月型のものが一緒になるように、同じ種類ごとにきちんと揃えてプロックを片づけたと言います。二人が仕事をしっかり済ませた後、先生はクラスの子どもみんなに一一人が模範的な行動をしたことを伝えました。「ヒロシとジロウは協力してブロックを片づけてくれましたよ。みんなも言い争ったりしないでね」。こうして子どもが率先してコラボレーションし、社会的にコントロールしようとする教室ができると言うのです。

この実験から解るように、子どもはシェアしたい気持ちを持っていると言います。しかしそんな自然な気持ちも、せっかくの自由時間を、主にゲームなどの電子機器での「横並びプレイ」に費やしてしまうことで、弱められてしまうと言うのです。思春期になっても殆どコラボレーションすることはなく、同じ部屋に友達といても、お互い話をするのではなくて、別々の画面を目にしている。2011年8月22日の『ニューヨークタイムズ』に、この状況を案ずる親の投稿が掲載されたそうです。

「私の眼の前に二人のティーンエイジの子どもが座っているが、彼らとは何百万マイルも隔たっているように感じる。オンラインの世界にすっかり心を奪われ、ビデオゲームとバーチャルワールドにはまり、ビデオクリップと自分自身や友達のデジタル画像をずっと見ている。何かがおかしいような気かする。これでは到底お互いの物の見方や感情を読みとることなどできるようにはならないだろう。」

この本は、2017年8月に発行されたものですから、当然今回のコロナ禍は起きていません。しかし、このような状況はコロナ禍では、多くの子どもたちが経験したことでしょう。このような危惧される状況は、子どもたちに身に実際に迫っているのです。

横並びプレイ” への8件のコメント

  1. ヒロシとジロウの例は、情景が思い浮かびます。担任の先生がその後にクラスにそれを伝達したのも効果を増大させたようにも感じました。ベタ褒めというより、事実である「ヒロシとジロウは協力してブロックを片づけてくれました」ということをただ伝えるだけですが、ヒロシとジロウはきっと認められたと思うでしょうし、クラスの子どもたちもそれが良いことであることを認識できる機会でもあるようですね。子どもたちの「シェアしたい気持ち」を認め、発信できる機会を設けるのは「横並びプレイ」の特性や次の過程を理解しているというのが重要である気がしました。あくまでも「横並びプレイ」は「お互いの物の見方や感情を読みとること」の基盤でなくてはいけなく、他者の表情が見えること、生の反応に常に触れている環境であることが大事であるということでしょうか。

  2. 最近、園にタブレットが導入されました、子どもたちが使うために。ある時、3階の静かなスペースに行くと、二人の4、5歳児がまさに「横並びプレイ」をしています。お互い、情報交換したり、あるいはそのタブレットを使っている子の隣にいて、そのタブレット画面をじっと見つめたりしています。おそらく、自分の番になったら、ああしようとかこうしようとか、考えているのでしょうね。2階の賑やかスペースにはブロックゾーンがあります。れんがブロックやクーゲルバーンといったブロックを共同で使いながら、大きめの平面構築物、時には立体的なものを作っています。その横には一人黙々と自分のブロック遊びに興じている二人の子がいます。よくよく観察していると、互いにちらちら見ながらブロック遊びをしているのです。「これも横並びプレイ」。1歳児クラスの子たちが園庭で遊んでいます。見るからに「平行遊び」。しかし、何があったのでしょうか、そのうちの一人が泣き始めると、それまでおのおので遊んでいた一歳児がその泣いている子のそばに代わる代わるくるではありませんか。それぞれで遊んでいるように見えて、実は、他児の存在や行動を気にしていた、という関わりのエピソード。何年か前、オランダのイエナプラン校の1,2年生のクラスを見学をしました。部屋の一画にはデスクトップのパソコンが2台置いてあり、それぞれのPCを一人ずつ使っていました。その時は「小学校1,2年生からこうして自由にパソコンが使えているんだ、凄いな」と感心していました。しかし、今振り返ってみると「オンラインの世界にすっかり心を奪われ、ビデオゲームとバーチャルワールドにはまり、ビデオクリップと自分自身や友達のデジタル画像をずっと見ている。」という状況でしたね。だから「何かがおかしいような気かする。」と私も今、思えるのです。

  3. 「私の眼の前に二人のティーンエイジの子どもが座っているが、彼らとは何百万マイルも隔たっているように感じる。」とありました。せっかくたくさんのお友達や大人がいる中で全く関わりを持たないというのは、とても恐ろしい状況ですね。人間という関わり合いの能力を私たち大人が環境を通して伝えていかなければなりませんね。

  4. 片付けに積極的なぐんぐん組(1歳児クラス)の子もいて、声をかけると率先して片付けてくれるのですが、先日、ある子の遊び途中の玩具のところへ手を伸ばし、それも片付けてしまうのかと見ていると、遊んでいるその子の顔を覗き込んで、その玩具については片付けることをやめていました。表情から、状況から、読み取って行動をする、リモートでは出来ない日常が園にはあるということが園の必要性として十分な理由になると思ってしまいます。

  5. 以前、友だちの家に行き、愕然としたことがありました。お付き合いしている方と同棲していたのですが、お互い別々の部屋にいてゲームをおり、会話はないのですが、彼女さんの方からお茶が出てきました。聞くと、ゲームの中で会話をして、お茶を出すように言ったとのことでした。そんな時代がついにきたか、と思いました。横並びプレイでしょうか。その光景はとても淋しい感じがしたのを覚えています。
    コロナ禍の影響でこのようなことが加速して普及していくと思うと、なんとも複雑な気持ちになります。

  6. 今の世の中はコラボレーションする力が重要ですから、コラボレーションが起きるように少しでも子ども達に仕掛けていくことは大切ですが、それによって個の発達が満足にいかない、ということがあってはならないとも考えてしまいます。もちろん今は家庭環境が変わり、家で自らの世界に集中する機会が増えたということも理解はしているのですが、園でもその時間を確保しなくてもいいというわけではないので、良いバランスを模索せねばと感じます。

  7. 緊急事態宣言中に子どもとZOOMを使用した朝の会をしました。久しぶりに元気な顔を見れた嬉しさ反面、何か虚しさを感じるものもありました。
    画面に映る友達に話しかけても、みんなが一斉に話すのでうるさくて何も聞こえず、保育者側でミュートにしたりするのですが、子どもの学ぶ機会を奪ってしまっているようにも思えます。
    あえてミュートにはせずうるささを感じてもらってもいいのでしょうが、画面越しではなく、やはり保育集団の中で子ども同士が学ぶことの大切さを感じます。ただでさえ人間関係が希薄している中で、オンライン学習の全てが良いとは言えませんね。

  8. 『この実験から解るように、子どもはシェアしたい気持ちを持っていると言います。しかしそんな自然な気持ちも、せっかくの自由時間を、主にゲームなどの電子機器での「横並びプレイ」に費やしてしまうことで、弱められてしまうと言うのです』とありました。やはり子どもたちを見ていると、赤ちゃんの頃から自然と他者と関わろうとする存在であるということを実感します。それをここでのゲームのように、大人が邪魔をしすぎてはいけないのかもしれませんね。また、やはりオンラインというのも考えなければいけないというか、上手に付き合っていかなければと考えさせられました。このコロナ禍で人と人との関わりがいかに大切であるかということを実感させられました。塾の中で紹介いただいた哲学者アガンベンの問いから、人が人らしく生きるということはどういうことなのかということを気づかされました。

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