共同作業

砂場での「横並びプレイ」の時期を過ぎても、多くの学習環境において並んで学ぶというやり方が行われています。幼稚園で多くの子どもは列に並べられた机に座り、お互いにかかわったり、協力したりせず、ひたすらワークシートをこなしているとキャシーは言います。家に帰っても毎晩ホームワークで渡されたワークシートをやっています。お互いに話すことはなく、ただ各自の課題を行っているのです。

共に作業することで理解は深まります。もし二人で分数の足し算の間題を解いたら、どういうステップに従い、なぜそうするのか話し合うことになるでしょう。こうして分数の理解か深まっていきます。ある子が別の子になぜ分子を足すのか説明すれば、説明をした子どもは単に計算する人ではなく、課題解決者になるでしょう。このような事実を踏まえて、全米共通学力標準においても、子ども達が協同で作業しながら数学を学ぶことを推奨しているのだそうです。

あることをするのに、学校では一人で取り組まなければならなかったとしても、子どもがコラボレーションする必要性を学ぶ場はどこにでも沢山あると言います。例えば子どもがサッカーをする時。最初のうち、子どもはただ走り回り、誰とチームなのか、何をすべきなのか全く気に留めません。子ども達は皆「ボールをゴールに蹴る」というマインドセットに凝り固まっています。こうなると間違ったゴールに蹴り込んでも意に介さないということになってきます。忍耐強いコーチが、子ども達に自分はチームの一員であり、自分のためだけにプレイするわけではないことを理解させていきます。更に忍耐強いコーチが、自分よりも誰かにキックさせることを考えるように自己コントロールすることを教えます。ここで再び、自己コントロールし、コラボレーションできるようにするための支援の必要性について考えなければならないのです。

ポードゲームで何度も遊ぶことで、子どもは誰かの番が終わるまで待ち、順番を守り、交代でコマを進めることを学びます。実はこれは子どもの性質には本来なじまないことです。しかし、大人と一緒にポードゲームをやることで、コラボレーションを学ぶために必要な大人の支援を受けながら、子どもは自己コントロールカを高めることができるのです。これは一人で遊ぶコンピュータゲームでは身につけられないのです。

レベル2の「横並びプレイ」のコラボレーションは砂場では素晴らしかったですが、まだまだ足りないところが多くあるのです。このメンタリティは、行政に対して私達が意見を言う時に顔を出します。例えば、市の老朽化した建物を改装する時、どの建物を優先して行うか決めるとなると、ある人は駅だと言い、ある人は役所のビルだと言い、またある人は駐車場だと言います。夫々自分達のプランを熱く主張し、誰も全体像を考えません。この状況こそまさにレベル2の「横並びプレイ」の姿そのままであり、夫々が自分達の道を別々に進んでしまい、コラボレーションして皆で一緒に考えようとしません。

このような大人の例を「横並びプレイ」というのは面白いですね。自分の事だけ見て、主張する姿は、1歳児の頃の、日本でいう「平行遊び」の域をまだ脱していないということになるのでしょうね。こんど、そのような人と出会った時には、強く反論するのではなく、この人はまだ1歳児から脱していないのだと考えた方がよさそうですね。

共同作業” への7件のコメント

  1. なるほど、自分の主張を曲げず、そのことを押し通そうとしたら、もちろん、その主張がどう考えても理に適わない、という場合、「強く反論するのではなく、この人はまだ1歳児から脱していないのだと考えた方がよさそうですね。」(笑)まぁ、自分が「自分の主張を曲げず、そのことを押し通そう」とする老人にならないよう気を付けていきたいと思います。「横並びプレイ」のポジティブな面とネガティブな面を今回のブログから気づけたかな。小学生の高学年の頃や中学生の頃には、友だちを我が家に呼び、一緒に定期試験の勉強をしていたことを思い出しました。互いに何の試験勉強をやっているのかチラ見したり、そして時には、教え合ったり。高校生になると、勉強は基本、独りで黙々としていました。しかし、部活では独り黙々だけではうまくいかず、他者を意識しての言動や行動となりました。しかも、高1から高2、高3、つまり後輩から先輩と呼ばれる立場になると、ますますそうした言動や行動を意識するだけではなく、実際にやってみたり、みせたり、という関係に変わっていきました。「教えたり、教わったり」の関係が出来上がっていきます。

  2. 文化祭や合唱祭が大好きだった学生時代、その根本は小学校のどの経験がそうさせたのかと思うと、やはり認知的な物事を覚え込むだけの授業からでなく、運動会であったり、友達と手を取り合って取り組むような教育形態からだったのではないかと思えてきます。その時のわくわくするような感覚が今の仕事に役立っているような気がして、教育が育んでくれたものの大きさに感謝の気持ちが湧くと同時に、このような経験をもっと多くの授業の中でも味わえるように教育があればと思えてきます。

  3. 横並びプレイの大人の例はわかりやすいですね。理念や方針がない状態で有れば、各々の価値観の中にある優先順位を示すのが当然ですし、それから内容を調整しようとできるかが、コラボレーションできるかであるようですね。「自分達のプランを熱く主張し、誰も全体像を考えません」という状況にならないよう、全体像を共有してより良い答えを導こうとすることの重要性を感じました。そして、感動したのが、分数の足算を1人ではなく、数人で行う「ある子が別の子になぜ分子を足すのか説明すれば、説明をした子どもは単に計算する人ではなく、課題解決者になる」という内容です。確かに、数学のみに着眼すれば、自分が問題を解ければ良い話ですが、今後迫りくる多くの「問題」に焦点を当てるのであれば、理解していない子にどのような説明をすれば理解してもらえるのだろうかという問題を解決する過程は、非常に高度で大切なコラボレーション技術を身に着けることができる機会でもあるのですね。

  4. 『自分の事だけ見て、主張する姿は、1歳児の頃の、日本でいう「平行遊び」の域をまだ脱していないということになる』とありました。こういった事は大人でもよくあるような気もしますが、こういう時こそ強く反論してしまうと、お互いがぶつかってしまいますよね。冷静に全体を見渡して補い合えるのが大人だと思いますし、お互いにその目を持てるのが理想のチームのような気がします。

  5. 大人での「横並びプレイ」の例えはとても分かりやすいものですね。まずは、自分の意見を主張できているというところを受け止めてあげることが必要であろうと思います。その繰り返しで次のステップへ、ということになるのでしょう。
    小学2年の息子がサッカーをしていますが、はじめはほんとに周りとコラボすることなく、「ボールは自分のもの」という感覚に見えていたのを思い出しました。味方とボールを取り合っていたのが、今では味方にパスを出すようになっている、息子たちも気がつかないくらい少しずつ成長しているんですね。

  6. 義務教育での勉強、特に私は数学科で顕著にみられた傾向なのですが、一人で集中して解くよりも、出来たものを友達に教えたり、また逆に教えられたりする方がその直後のテストで良い点がとれたということです。教える、ということは、相手の立場にたち相手が理解できるように説明しなければなりません。そうすることで知識が定着しより理解が深まるというのがコラボレーションの大きなメリットと私はとらえています。

  7. 保育園という施設はまさにこの共同作業の連続だなと思います。チームで運営していく中で、それぞれの意見がうまれます。誰かの意見を通すのではなく、それぞれの人の意見を聞いて、みんなが納得するところへ落としていくというのは毎日の中で常に行われていることではないでしょうか。それは会社でも必要なことではあると思いますが、保育園という場ではさらに必要になるのではと思うようになりました。「夫々自分達のプランを熱く主張し、誰も全体像を考えません」なるほど、このように並行遊びを脱していない大人という表現はおもしろいですね。そして、確かに、このような大人は少なくはないかもしれません。全員が納得することは無理かもしれませんが、全体を見た意見であれば、全員の方向性を示すことになるのかもしれませんね。

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