言語を持つ

類人猿はコラボレーションし、他の個体と共に働くことができません。それは単に社会的なヒントを利用できないということに留まりません。人類学者のキム・ヒルは、人類が特別で宇宙ロケットを作り出すまでに至ったのは、大きな脳を持っているからではなく、一万にも及ぶ個人が協力して知を生み出すことができたからだと言っているそうです。

トマセロの著書タイトル「ヒトはなぜ協力するのか」(勁草書房)が示すように、共に働き、学ぶという特微を人が持っていることが多くの利をもたらしたと言うのです。コラボレーションすることこそ動物界において私達を際たせている行動基準なのです。

ヒトがなぜ言語を持つかを改めて考えてみます。ヒトが喋ることができるのは他の動物と比べて頭の位置が異なるからだそうですが、このために食べ物が猴につかえて窒息しやすくなってしまいました。しかし窒息しやすくなったリスクと引き換えに言語を手にしたのです。今日、どこに狩りに行こうか。何頭のマンモスがいたか、二日分の食料を蓄えるべきか。これらのことを言語なしで「議論する」ことはできません。村をつくるにも、夕食を作るにも、食料品を注文するにも、火を消すにも、私達はコラボレーションする必要に迫られ、その結果人は言語力を大いに進化させたと言えるとキャシーらは考えています。人類は元々コラボレーションせざるを得ない存在なのです。トマセロは著書の中でこの議論を更に押し進め、コラボレーションこそ全ての文化の基盤だとに主張しているのです。「他者を理解する、他者とコラボレーションすると言う新しい様式が社会的な関りの全てを変えた。……その結果、ユニークな文化的進化が始まった」と言うのです。

せっかく発明された車輪や火を改めて一から発明しようとは誰も思わないでしょう。夫々の世代で同じ課題に新たに向かい合うのではなく、コラボレーションを通じて発展した知識や文化実践を次の世代に受け渡してゆく方がいいのではないかとキャシーらは言うのです。トマセロはこのように環境が徐々に変化してゆくことを、のこぎりの歯状の歯を持った歯車で、逆転止めの爪と組み合わせて、一方だけに回転するように作られているラチェットにちなんで、「ラチェット効果」と呼んでいるそうです。

コラボレーションする能力は、教室での学びや地球規模の商業活動において重要視されていませんが、間違いなくコラボレーションは人間経験の根本です。私達が日々行う全てのことが社会的な影響を受けており、子どもですら生まれながらにして極めて社会的に生きることで大いなる恩恵を受けているのです。

ヒトの赤ちゃんは意地悪な人に対してさえ、その気持ちを揺り動かしてオムツを替えさせてしまう魅力を持っています。しかしコラボレーションという意味ではまだまだ学ぶことは多いと言います。子を持つ親や保育者なら、遊び場で楽しく一緒に遊んでいた子ども達が、一転して大喧嘩するのを目の当たりにしたことがあるでしょう。かつて成績表に「他者と仲良く作業し遊ぶことができる」という評価があったのを覚えているかもしれません。個人的な人間関係と共に職場で同僚とどのような関係性を結ぶかが、私達の人生における成功と何らかの繋がりがありそうだと考えて、このようは評価項目があったに違いないと言うのです。

言語を持つ” への7件のコメント

  1. 私たちは一人では生きていけない存在です。独りぼっちなら、その終焉を迎えるのも時間の問題でしょう。つまり、もしそうなら、私たちの種は,
    今頃は存在していなかったはずです。ところが、存在していないどころか、現在を地質学の概念を用いて「人新世」と呼ばれるほど人類盛況。ホモサピエンス全盛の時代が今なのです。こう書きながら脳裏をよぎるのは、『平家物語』の一節「おごれるものは久しからず」云々。6Csの最初がコラボレーションであることの意味が理解できます。私たちホモサピエンスはコラボなくしては差し迫る自然の脅威に立ち向かうことができない生き物だということです。「間違いなくコラボレーションは人間経験の根本」。コラボできないホモサピエンスは淘汰されるしかない存在かもしれません。コラボレーションの諸様相。「遊び場で楽しく一緒に遊んでいた子ども達が、一転して大喧嘩するのを目の当たりにしたことがあるでしょう。」これもコラボの一種かも。子どもたちの喧嘩ならコラボと言えるでしょうが、大人たちが喧嘩をエスカレートさせて殺戮を是とする戦争紛争だけは、コラボと言えども、御免蒙ります。

  2. 人類の脳が大きく、特別であることが様々な発展を遂げる要素になったと思っていました。しかし、「人類が特別で宇宙ロケットを作り出すまでに至ったのは、大きな脳を持っているからではなく、一万にも及ぶ個人が協力して知を生み出すことができたからだと言っているそうです」という言葉にあるように、正しくは「大きな脳」というハード面だけでなく、その脳を活用して他者とコミュニケーションを図って協力すしようとしたことが大きな要因であると理解しました。そして、言語面でも「窒息しやすくなったリスクと引き換えに言語を手にした」というように、脳を大きくしたり、二足歩行もそうですが、リスクを引き換えに獲得した能力によって、進化発展を遂げてきたことも感じます。となると、近年のリスクとはなんでしょう。ウイルスでしょうか。それとも、人とのつながりでしょうか。まさに、大きな分岐点に立たされていることを感じます。

  3. コラボレーションという、身近にあったような言葉がこのような意味をもってここに登場するとは思いませんでした。内容に触れ、とてもしっくりきます。生まれながらに、意識しなくても、人間はコラボレーションの輪の中にずっといるということは、新鮮な事実のように感じられます。
    今日、ぐんぐん組(1歳児クラス)の子どもたちの遊びを見ていて、ある子が自分で風船を投げて大笑いしているのを見て、思わずその姿につられて笑うと、今度はこちらの笑い顔や声を求めるように遊び始めます。まだ2歳にも満たない子も、誰かが応えてくれることは嬉しくて、その喜びは人との関わりの中にのみあるものだろうと改めて思いました。

  4. 今回のタイトルであるに「言語を持つ」のはそもそもコラボレーションするためであるというわけなんですね。人間の根幹はコラボレーション。そのメリットのために窒息というデメリットまで背負い込むというのは、いかにコラボレーションが人間にとって大切なものなのか、ということが理解できます。そうなると、言い方が悪いかもしれませんが、言葉で攻撃するような、相手を傷つけるようなことは本来の言語の使い方としては間違っているのではないかということに気づきます。そのような使い方はいつの日か自然淘汰されていくのでしょう。やはり、「そもそも」に照らして見直していくと、気付けるものがありますね。

  5. 私はまだ保育歴が一年とちょっとしかないいわば若造ですが、だからこそ色々なことを試しては失敗する、という繰り返しをしています。ただその中でごく稀に大当たりを引き当てるようで、以前私より保育歴が長く、周囲からも信頼されている保育士の先輩に「あなたには先入観がないから、私達だと、ついこうなってしまうだろう、と予測してやらないこともやってみようとする。その姿はすごく刺激になる」と言っていただきました。一万人が同時に同じ子どもを保育することはまあないでしょうが、複数の目でみることのメリットをまたひとつ見つけたような気がしました。

  6. 「人類が特別で宇宙ロケットを作り出すまでに至ったのは、大きな脳を持っているからではなく、一万にも及ぶ個人が協力して知を生み出すことができたからだと言っているそうです。」とありましたが、自分の考えに他者の考えを入れていくことで新しい考えになるのは、今も昔も変わらず、大きい脳がそうさせたのではなく、協力することで大きな脳へと進化してきたのですね。人間関係が希薄になっている今だからこそ、人との関わりや協力することがとても重要なことだと分かりますが、まだまだ3歳児神話や担当制を謳っている園もあるため、社会に対して教育、保育がついて行けていないように思えます。

  7. 下町ロケットという物語のおかげでエンジンバルブというものがあることを知りました。ロケットを作るにしても様々な人の技術がなければ完成しないということを知りました。そのことと、藤森メソッドにおける目的の共通などを考えてみると、人は同じ方向を向くことで、共通の目的を持つことでさらにコラボレーションをしていくものなのかなと思いました。職場でもそうですが、みんなが同じ方向を向いていれば、やはりチームとしてもまとまっていくと思います。社会にもまたそのようなものが必要なのかもしれません。そういった方向を示してくれるのがリーダーでもあるのかなと思うと、日本国のリーダーは…っとこれはもう仕方ないですね笑。

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