理数教育

日本の理数教育では、以下のような課題も指摘されています。国際数学・理科教育動向調査は、国際教育到達度評価学会(IEA)が4年に一度行っている、算数・数学、理科の各国の到達度を国際的に調査する一般的には「TIMSS」とよばれている調査があります。これも日本ではまずまずの成績です。小学校・算数では、1位シンガポール、2位香港、3位台湾、4位韓国、5位日本です。また、小学校・理科では、1位シンガポール、2位韓国、3位日本、4位ロシア、5位香港となっています。しかし、問題は、今後どうなるかということで心配されているのが、子どもの意識調査の結果です。「算数・数学が楽しい」と答えた子どもの割合は、増えているものの国際的な平均には及びません。そして「得意だ」と答える子どもの数は、あまり増えていませんでした。理科に関しては、小学校では「楽しい」「得意だ」ともに増えており、さらに国際平均を上回っています。しかし中学校になると、理科を「楽しい」と答える子どもは増えてはいるものの、国際平均を下回りました。「得意だ」と答える子どもは国際平均を下回り、前回より割合も減っています。

特に中学生の理数教育へのモチベーションが低いということが、日本の課題といえそうです。これは中学生になると、どうしても「受験のための勉強」という側面が強くなってしまいます。そこで、日本の理数教育では、「知識・理解に偏重しがち」「実験の結果を分析したり考察したりすることが苦手」ということが課題のようです。

もう一度、その後のアメリカにおける取り組みを見てみましょう。日本においても参考になる提案です。

アメリカでは、オバマ政権になり、教育改革の流れはコモンコアという全米共通学力基準を目指す方向へと変化しました。この基準は子どもに対してより良い教育ができているかどうか確かめるために作られました。この青写真を見る限り、意図は適切であり、素晴らしい構想だったとキャシーは言います。算数、国語だけでなく、科学や芸術も重視し、子ども達が知るべき内容を拡充しています。また社会的なスキルや、クリティカルシンキング・問題解決能力のような学び方を学ぶスキルも、21世紀の世界で成功するために必要な学習内容として取り入れているとかシャシーは言います。

しかし、コモンコアのような良識的内容を含む構想であっても、「成功」の定義については、これまでの考え方と変わらず狭いままだと言います。コモンコアの理念は誤解され、夫々の基準が成果目標となってしまいました。カリキュラム開発者は、決められた内容を決められた道筋で学ぶ方法を考え、この目標を達成したかどうかテストで判断することになったのです。キャシーらが、この書を書いている時点で、アメリカの43の州がこの学力基準を受け入れましたが、多くの人々が理念と現実の教育方法とのズレに対して抗議の声を挙げているそうです。学びの基準自体は価値あるものですが、テストのために準備する教え方は、そのまま続いていると言います。デビッド・コーンは、「ニューヨークタイムズ」で次のように述べているそうです。

「こうした教育ては、発見しイノベーションを起こす人々を育てることに失敗し、与えられた情報を消費する追随者を生み出すだけだろう。一体21世紀において、私達はどんな市民を育てたいのだろうか。」

理数教育” への6件のコメント

  1. 理数教育の成果を測る指標としての「TIMSS」の存在、今回初めて知りました。そして、日本もそのTIMSSに参加して、1位や2位ではありませんが、上位5位以内に位置する好成績。大したものです。俗に、七五三と言われます。算数数学の理解度の小中高における割合です。小学校の時点で3割が算数でドロップアウトしている。もしかすると、その割合はもっと高いかも。中学数学に至っては5割。現実はもっと高いかもしれません。高校では3割。果たしてどうでしょうか。文系理数系という分け方をした時点で何だか問題を発生しているのではないか、と思います。私は学習塾をやったおかげで、算数数学の面白さがわかりました。きっかけがあれば、大人になっても、算数や数学の世界の面白さに出会えるという経験をできた。大学院をドロップアウトし、生計のためにやった学習塾。学問の世界では負け組、しかしそこから得られた宝によって、いまだに2進法や10進法、12進法の話が出てくると、楽しくなりますね。数学の証明問題、あれは面白い。さて「オバマ政権になり、教育改革の流れはコモンコアという全米共通学力基準を目指す方向へ」。この「コモンコア」も始めて出会う概念です。でも、結果は、アチーブメントテストの域を抜け出せなかった。世の中は、達成度や成果度など数値で示され、優劣、合否、を出すことを是としますからね。その時点での優劣、合否、にどれほどの意味があるのか。生きて様々な経験を積んでいけば、「その時点」における優劣、合否など簡単に吹っ飛んでしまう未来が確実に存在すると思うのですが。

  2. 日本の理数教育の課題として、「実験の結果を分析したり考察したりすることが苦手」とあり、結果重視に疑問を呈する姿勢の大切さを感じます。テスト結果が直接的な成績に繋がるという背景があるかぎり、知識などの詰め込みというような近道を選択してしまう気持ちは理解できなくはないです。しかし、私たちは「21世紀において、私達はどんな市民を育てたいのだろうか」というデビッド・コーン氏の言葉のように、基本に立ち返る必要があるようですね。また、アメリカの州の「多くの人々が理念と現実の教育方法とのズレに対して抗議の声を挙げている」という姿があるように、確実に存在するギャップを埋めるための情報発信が重要だと感じます。教育者による確かなエビデンス発信と組織で統一された教育理念の存在が重要だと再確認しました。

  3. 従来の教育で登り詰めた地位があるようです。その先へ行きたい、従来の教育に更なる負荷をかけることで子どもたちを育てようとすると負荷ばかりが強調されてしまうかのようで、現況の教育に現代の子どもたちはついていくことができないどころか拒否反応をもつ子もいるのではないでしょうか。子どもが教育に合わせるのではなく教育が子どもに合わせないとこれから先にいくことよりも、現状維持すら難しくなってしまうのではと思えてきます。

  4. 最後のデビッド・コーン氏の言葉である〝21世紀において、私達はどんな市民を育てたいのだろうか。〟というのが印象的です。そもそも論として、人間は自分たちの種を残すために生きていると考えれば、未来にどういう人間になれば生き残ることができるのか、ということを考えていかなければならないのではないかと思います。そして、そのためにどうすればいいのか、ということを考えて、実行にうつすことが子どもに関わる全ての人に言えることになるのではないかと思います。と考えれば、どんな未来が人間という種に待っているのか、自分たち次第であるのかもしれません。責任は重大であることを再認識します。

  5. 私が教育実習に行ったとき、理科の授業も見学させて頂きました。その授業はアルミの酸化に関する実験だったのですが、過程や結果にばかり重きをおいた授業で、では酸化したアルミや銅が日常のどんなところに隠れているか、酸化させるメリットはあるのかなど興味を引くような話がほとんどなく、科学が好きではない子にとっては苦痛でしかない授業だろうなと思ったのを覚えています。しかしそれは、その先生の実力が不足しているわけではなく、余計な話をしていると授業数が足りなくなり規定の範囲まで終わらなくなってしまうからだ、と後で友人に聞いたとき、学ぶとはいったいなんなのだろうと思ったのを今でもよく覚えています。

  6. TIMSSにおけるアジア各国のランク入りが目につきます。アジアの可能性というものも感じてしまいます。私自身も中学校に入って、途端に理科に興味がなくなってしまった記憶があります。歴史もそうですが、そこにいくまでのプロセスだったりが面白いのに、「ここ試験に出るから覚えておくように」という重要なワードを覚えることだけに重きがおかれ、その前後のおもしろさというのが後回しにされるのはどうなのかなと思ってしまいます。最後に「一体21世紀において、私達はどんな市民を育てたいのだろうか」とありました。やはりこの部分を共通にしていかないといけませんし、それをあらゆる研究から導き出さなければいけませんね。

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