本当に必要なもの

ハーバード大学教育大学院の認知科学と教育の教授であるハワード・ガードナーは、知識というコンテンツの意味を広げ、真・善・美ということも含めるべきだと主張しています。相互に繁がり合っている世界では、美学や道徳は文字や数字の学びの添え物ではないとキャシーは言います。朧月の周りの美しい円環に感動し、バスで老人に席を譲る心を持つことこそ、むしろ本質であると言えると彼女は言います。私達は次から次へ大量の新しい情報を受けとらざるを得ない時代に生きており、そんな時代をうまく生き抜いてゆくには、素早く効果的に選別する必要があると言います。新しい情報を速く、戦略的に取り入れて、考えるための基盤を作るのがコンテンツの達人であるというのです。私達はコンテンツの達人になることで、しつかり判断して考え、創造的なイノベーションを行う人になれるのであるというのです。

次のクリティカルシンキングCritical Thinkingについては、コロンピア大学のディアナ・キューンが、どのような段階を経て発達してゆくかについて明らかにしたそうです。ヒトは4歳ぐらいの「見た目が全て」というレベルからスタートし、証拠をしっかり見極めて思慮深く判断する裁判員のようなレベルへとクリティカルシンキングの力を伸ばしていきます。但し、ここ10年来の政治状況を見れば解るように、大人になればクリティカルシンキングできるようになるわけではないと言います。

私達は爆発的に情報が増える時代の中に生きています。グーグルのCEO、エリック・シュミットは、私達が文明を手にしてから2003年までに蓄積された情報量と同じ量の情報が、今ではたった二日で生み出されると計算しているそうです。また、ビジネスリーダー達は、知識は2年で倍増すると考えているそうです。たとえこれまで作り出された情報を全て覚えたとしても、2年半後には全情報最の50%、5年後には25%しか覚えていないことになります。

一歩引いて考え、何が本当に必要か見極め、答える必要のある問いを選ぶ、クリティカルシンキングの力を発揮できる人こそ、これからの時代において目指すべき人物像であるとキャシーは言うのです。こうした人物は、研究者が実行機能スキルと呼んでいる能力を備えていて、古い解決法のままで新しい問題に取り組もうとするのではなく、過去の事例や方法を活かして、うまく現在の問題を解決する新しい方法を考え出します。クリティカルシンキングするには集中力が必要で、問題を深く掘り下げ、関連する事実をずっと保持しながら、問題を解決してゆくのだというのです。ここで、実行機能スキルの必要性が出てきましたね。

そして、クリエイティブイノベーションCreative lnnovationは、コンテンツとクリティカルシンキングを共に働かせた結果生まれると考えます。子どもはとらわれなく、自由気ままに創造力を発揮します。色画用紙に描かれていた棒で家族を表したり、マッシュポテトを渦巻きの模様にして、波立つ海を表現したりします。しかし、創造性の研究者は、コンテンツを身につけず自由に発想しても創造性は育たず、むしろ、コンテンツを身につけることがクリエイティブイノベージョンへの道であると言っているそうです。

本当に必要なもの” への6件のコメント

  1. 今日は今週の疲れが一挙に噴き出た一日でした。別に何か職場等で問題があったわけではなく、私自身の心内の調整としての疲れの吹き出し。いつもより少し早く退勤しました。そして、そのことへの労いがしっかりと待っていたのです。今夕、我が家のベランダから梅雨の晴れ間の夕刻、シルエットと化してはいますが、その雄大さを遺憾なく発揮している富士のお山の現れに遭遇。自然と祈りの気持ちに満ち溢れました。そして、スマホでフォトに納め、FBに投稿し、お友達の皆様と共有させて頂いております。「知識というコンテンツの意味を広げ、真・善・美ということも含めるべきだと主張」というガードナー氏。3千年の人類が追い求めてきている哲学の課題に正面から立ち向かえよ、と読み取れます。私は、保育の現場において、この哲学の命題は必須、だと思っています。私たちの生きざまとは、まさに、この「真・善・美」にこそあるのです。藤森保育の要、と私は了解しております。長年、哲学・宗教学に接してきた私自身が藤森保育の現場に居合わせていることの必然を認識できた今日のブログです。そしてContents,Critical thinking&Creative innovation。藤森保育が保育現場に求めていることのBaseがこれらのことなのです。「コンテンツを身につけることがクリエイティブイノベーションへの道」。その道は当然Critical thinkingを手段とします。これこそが21世紀を生きる子どもたちの権利を保障することに繋がる、と私は思っています。

  2. 一時期、保育の中で、好きな絵を描きなさい、というテーマについての議論があったことが思い出されます。友達の真似をしてはいけないことがお決まりであったりして、大変な思いをする子も少なくないことでしょう。
    友達と一緒に書くと互いのアイデアが共有されたりして、その中で僕はこの色を使ってみよう、と独自のアイデアも生まれたりします。また、真っ白の紙にいきなり描ける子もいて、その子の想像力というのはその日その場で築かれたものではないのでしょうから、やはり得意、なのだと思います。同時に、どうして好きな絵を描かなくてはならないのか、想像力というのは絵でしか発揮できないものなのか、という疑問もあります。同じ人間として生まれ、いい意味で才能にそれ程の差がないとするならば、それぞれが皆想像力が豊かであり、それを自由に発揮する場や機会や育て合う関係性が日常の中にあることが大切で、子どもたちはそれを勝手に育てていけると思います。その為の環境を設定することが大人の役割であると改めて思います。

  3. 今回のコロナ禍では、まさに「クリティカルシンキング」の必要性が垣間見えた気がします。正しい情報はなんなのか、本当にその対応は必要なのか、私たちはどこに向かっているのかなど、一歩引いたところで世論に流されることなく冷静に物事を捉える思考ができる人は、大阪の吉村府知事のように注目されるのでしょうね。また、キャシー氏らもそのような「力を発揮できる人こそ、これからの時代において目指すべき人物像である」と言っていました。当園でも、必要以上の恐怖感を煽るようなことはせず、通常の感染症対策を通年で行えるような体制を整えていこう、発達に配慮しながらできることをしていこう、と先生たちと話していました。

  4. critical thinkingというこの力は本当に大人でも難しいものであることを感じます。〝一歩引いて考え、何が本当に必要か見極め、答える必要のある問いを選ぶ〟という行為ができるのなら、失敗をすることがなくなるだろうと思われます。失敗続きの不器用な生き方しかできていない自分にとって、喉から手が出るほどに欲しいものです。つまりは現時点で足りないものだということになります。これからの世界にはいらない人にならないようにできることからはじめないといけないな、そんな風に自分で自分を戒める機会となりました。

  5. 風情あるものに心動かされ老人にバスで席を譲るというのはとても趣のある心の機微ですね。そんな心の動きを感じ取れるような心を育てたいと思いながら日々保育をしているわけですが、大量の情報がこれからますます増えていくというのはやはりコンピューターと人の仕事は分けるべきであるし、さらにいえばその情報を指一本あれば自在に引き出せるというのですから、やはり始めに申しましたように、我々は梅雨のアジサイや秋の紅葉に風情を感じるような美しい心を持たねばならないですね。

  6. 私達の周りは非常に多くの情報で溢れていますね。人間には知りたいという根源的な欲求があるので、そのような姿勢でいると次から次へと情報を得ることができます。意識して遮断しないと、どんどん情報というのが入ってきてしまうのが現代でもあるのかもしれません。それによってペースを乱してしまったり、本質を見失ってしまったりというのが往々にしてありそうです。だからこそ「素早く効果的に選別する必要があると言います」ということが大切になってきますね。この情報の多さは現代の特徴でもあるので、情報を遮断するというよりも、これは正しい情報なのか、どうなのかということを判断できるような力を育てていくということも必要ですね。

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