成功の定義

教育市場は、これまでの教育の価値観に凝り固まった人達が生み出しました。本質からずれた製品やサービスで満ちているとキャシーは嘆いています。相変わらず、なるべく早い年齢から始めて、なるべく多くドリルを繰り返すことが、学校、そして世の中に出てから「成功」するために必要なのだという価値観が根強いのだと言います。

「セサミストリートのような、巻の教育と対抗する優れた例もありますが、教育市場に溢れてるのは、子どもがどう学ふかという最新の学習科学の成果とは無縁のものばかりであるとキャシーは言います。提供される製品やサーピスは、学力テストで点数のとれる子どもを育てたいという親の不安や欲望を煽ることで成りつていると言うのです。もし、テストの点数によって「成功」を測定できるなら、教わったことをきちんと記憶して、テストで点数をとることが「成功」の定義となります。

教育産業によって形作られた「成功」の定義が世の中に流布し、学校だけでなく社会においても「成功」する子どもをどう育てるのかという、学習科学によって提起された議論は全くなされない状況に追い込まれているのだというのです。

しかし、キャシーら学習科学者はあきらめてはいないと言います。2004年に、アメリカ連邦科学財団は「学習科学センター」というプロジェクトを立ち上げ、実験室だけでなく、学校や家庭に研究の場を移し、応用研究ができるようにする体制を整えたそうです。多くの科学者が集まり、子どもがどのように学ぶのが最適なのか科学的な証拠を集めているそうです。どのように脳は書かれた文字を処理するのか……地図を読む空間認知スキルを数学の学びとどう繋げることができるか……衝動的な判断を止められないことがどのように学びを妨げるのか……そして、コンピュータ・ネットワーク上の仮想的な空間において、自分の分身として表示されるキャラクターのことであるアバターを動かすバーチャルで得ハイテクな世界と、公園で遊ぶというようなローテクな環境とを学びの中でどのように両立させるのか。このことについては特に教育産業との連携によって考えないといけないとキャシーは言います。このプロジェクトで発見された事実は、これからのピジネス環境において求められていることと一致していると言います。21世紀の子どもを育てる上で本質的に求められることは、私達の経済発展を後押しすることに大きく繋がっているのだというのです。しかし教育産業が主となって作れている教育の現状は、キャシーら学習科学の研究者が抱いているビジョンとはかけ離れていると言います。これではいけないと解っていても、多くの教師が教科書通りに火曜日は3ページまで、水曜日は6ページまでというような教え方を続けているのだと嘆いています。

学びを産業化しテスト漬けにすることは教育のみならず、私達の未来をも台無しにしていると言います。この間題を象徴する悲しむべき事例をキャシーは挙げています。彼女の知り合いがティーチ・フォー・アメリカのボランティアでフィラデルフィアの学校に派遣されたときのことです。このティーチ・フォー・アメリカとは、アメリカ国内の一流大学の学部卒業生を、教育免許の有墲にかかわらず大学卒業から2年間、国内各地の教育困難地域にある学校に常任講師として赴任させるプログラムを実施する教育NPOです。このNPOは、2010年には全米文系学生就職先人気ランキングでグーグルやアップルを抑えて一位となったそうです。

成功の定義” への6件のコメント

  1. 教育産業は、教育から利益を産み出す業です。当臥竜塾ブログのコメントにおいて何度も触れてきましたが、私は30代の時、学習塾を経営していました。まさにこの「教育産業」の真っ只中に我が身を置いていました。しかし、残念なこと、あるいは当然のこと、私自身、利益の追求ということにあまり関心がなく、そもそも、このことを塾で教えることには如何なる意味があるか、などと考えつつ、「入るを図って出るを制す」という観念もなく、結果、その学習塾を廃業に追い込んでしまったという苦い過去を持っています。利益を出すことを悪だとは思っていなかったのですが、やはり、商才のない者は、使用人になることはあっても、経営者になってはいけませんね。「なるべく早い年齢から始めて、なるべく多くドリルを繰り返すことが、学校、そして世の中に出てから「成功」するために必要」という傾向は日本のみならず、海外においても同様の傾向を確認できます、たとえば、中国で。今回「ティーチ・フォー・アメリカ」という団体のことに触れられておりました。どこかで出会った覚えがある団体名。臥竜塾ブログの検索エンジンで調べたら、なんと、9年8月前のブログで既に紹介されていました。そして、ほぼ10年足らずの経過でまたしても出会う。「TFA」教員たちの取り組み。臥竜塾ブログの2010年11月12日「使命感とプライド」で詳細を知ることができます。この時のブログからほぼ4か月後に東日本大震災が発生します。

  2. 「もし、テストの点数によって「成功」を測定できるなら、教わったことをきちんと記憶して、テストで点数をとることが「成功」の定義となります」という指摘は、まさに晴天の霹靂のような言葉ではないでしょうか。テストをするというのは、ある一定水準の学力を保持していることを確認する作業として、活用することはあったとしても、それによってのみその人個人を評価するシステムであってはならないことを感じました。私たちの学生時代には「AO入試」という形が生まれ、学校の推薦状なしで面接を重視する入試があったことを思い出しました。それも、一種の「テスト」では測れないものを重視する形であったと思います。いろんなことを考えていると、やはり「主体的」であることが、「成功」の根源であることを感じます。

  3. 教科書通りに学びが進むということは、教科書は学びの限界値ということであり、それを上回る思考が育たないのではという解釈もできそうに思えてきます。また、その教科書をつくるのは現代の教育に合わせて成長を遂げた大人であり、これからの時代を創る脳に合わせた脳でそれが構成されているものなのか、また、それを見越して、見通して創られているものなのか、疑問が湧いてきてしまいます。

  4. 教科書というものがあるということの意味を改めて考える機会になります。親も教科書の内容を押さえていれば大丈夫だ、と安心しきってはいないか、家庭での教育を学校からあてがわれた宿題をしてさえいれば大丈夫だ、と思い込んでしまってはいないのか、ということを考えてしまいます。もし、学校からの宿題がなかったら、親はどうするのでしょうか。自分も含めて教科書が基準となってしまっていることに気づきます。これからの社会を生きていく子どもたちに必要なものがそこにあるのかどうか、見極めていく必要があるものの一つであることに気づかされました。

  5. もし私が子供をもったら、なにをもって成功というだろうかと考えてみました。正直五体満足で少しの稼ぎと少しの大切な友人がいて慎ましくも楽しい人生を送ってさえくれればそれで成功してると思えると思うのです。しかしそれは私が大金を稼ぎ、豪邸に住み人を侍らせる経験をしていないから、というのもあるのかもしれません。そんな経験をして、その楽しさを知ったら自分の子供にもそうなってほしいと願ってしまうようになってしまうのでしょうか。今現在そうやって多くのものを得ている人たちは、たとえ親の七光りであろうとも私とは違う努力をしてそれをつかみとっている訳すから私がどうこう言うものでもないのですが、少なくとも知識を詰め込むだけの努力だけでないなにかをした、そのなにかを知りたいとも思います。

  6. 教育において何が重要になるのかというのはある意味では専門家以外の人たちにとってはなかなかすんなり理解できる領域ではないのかなと思うことがあります。理解というより、なかなか具体的に示しにくい部分もあり、子どもの姿をあまり知らない、より一般の人たちには捉えにくい部分があるのかなと思うことがあります。だからこそ、それを具体的に示す研究がよりなされていくことが重要ですね。具体的に示されることで、多くの人が理解すると、人々が求めるものがはっきりし、産業もそれに追従した商品やサービスを提供するという循環になっていくのかもしれませんね。そういう意味でも、やはり教育の意味、成功のための具体的な提案が明確になされることがいかに重要であるかということを感じます。

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