学力格差

キャシーらは、自分たちのような学習科学者は、説明責任が不要だとは思っていませんし、本当の学びの姿を調べるテストにも反対してはいないと言います。しかし、彼女らは、大きな疑問を抱いていると言います。説明責任と言いますが、それは何のためのものなのか?学校や人生における「成功」をどのように捉えているのか?現在行われているテストが、これからの世界を子ども達が生き抜く時に必要なスキルを正当に評価していると言えるのか?健康で、思慮深く、思いやりがあり、他者と関わり、幸せな人になるために必要なスキルを子ども達に伝える教師の育成がそもそも行われていないのではないか?こうした疑問を解決する方向に改革が進んでいかない限り、支持するわけにはいかないのだというのです。

ブッシュ大統領に協力し、教育における説明責任を明確にするために中心的役割を果たした、ニューヨーク大学のダイアン・ラビッチに、キャシーらは同情せざるを得ないと言います。彼女と彼女のチームは、子ども達にとって良いと思われることを行い、低・中所得者の子ども達の学力格差を何とかしたいと考えていたのです。ブッシュ大統領によって作られたチームは、良い意図を持っていたのにもかかわらす、結果的に誤った方向に進んでしまったとキャシーは言うのです。ラビッチは、2010年の著書『偉大なるアメリカ公立学校の死と生』(協同出版)の中で、国家が犯した過ちを謝罪しているそうです。

NCLBは大失敗でした。しかしこの改革の流れは止まらないと言います。NCLBが導入された2001年に4歳だった子ども達が11年後、15歳になり、OECDが実施する国際的な学習到達度調査PISAテストを受けました。改革が成果を上げたのならば、他の先進国の生徒より良い成績を収めたはずです。しかし、数学の順位は調査に参加した30か国中、13位でした。読解については20位で、フィンランド、ポーランド、日本に及びませんでした。科学は23位という惨憺たる結果でした。事実を覚えというやり方は、PISAテストで良いスコアを上げることに繋がらす、21世紀における真の「成功」に向けて備えることでもなかったのです。

私たち日本ではどうかというと、詰め込み教育のように思えますが、意外とPISAの学力調査では、かなりの成績を取ります。だからといって、問題がないわけではありません。それは、時代が進むにしたがって、やはり教育内容がそれについていないかのように、毎年順位を下げているのです。2019年12月4日にPISA2018の結果が発表されましたが、2018年調査では、読解力が中心分野に設定されています。今回のPISAでは、全参加国・地域内での日本の読解力の順位が8位から15位に下がったことが話題になりました。また、2021年に実施するPISAの数学に関するテストでは、論理的な考え方や問題解決能力を重視する「コンピューテーショナル・シンキング」に関する問題が追加される予定だそうです。コンピュータサイエンス分野に関する学力が重視される国際的な調査はPISAが初になるとも見込まれていると言われています。このような動きにより、プログラミングを含むコンピュータサイエンス分野の学力が、今後、国際的にもさらに重視されていく可能性があるようです。

学力格差” への6件のコメント

  1. ブッシュ政権下の教育システムNCLB.。その後を知らない私は(そのこと自体をよくしっていたわけでもありませんが)、OECDで実施されるPISAの学力調査において何故アメリカ合衆国が上位に位置していないのか、不思議に思っていました。前回今回のブログでそのことの理由がわかったような気がします。おそらく、NCLBはお金がかかり過ぎる教育施策だったのでしょう。ブッシュ大統領といえば、911同時多発テロ事件を思い出します。その後のアフガニスタン及び中東における戦争を思い出します。結局、教育施策に関して本気ではなかった政権ということが言えるのでしょう。我が国のPISAの結果はかつて目覚ましかったような気がします。しかし、年々歳々、順位を各分野で落としてきているようなイメージもあります。現在ではシンガポールや上海が上位に名前を連ねます。まぁ、このPISAという学力調査の問題点もあげればきりがないのでしょう。とりあえず、どのような教育機会においても6Csの重要性には変わりがないなと認識し直したところです。

  2. 11年後、「NCLBは大失敗」に終わったという事実がありながらも、それを変えようとしない、変えることができないというのは今後の課題なのでしょうね。また、2021年、PISAの学力調査」に「論理的な考え方や問題解決能力を重視する「コンピューテーショナル・シンキング」に関する問題が追加される予定」ともあり、確実に学力の計り方が変化していることも感じます。評価基準が変われば、自然とそれをつける方法も変わっていくように、教育方法を変えるよりも、評価基準を変える、どこに価値をおくかを明確にする、どんな力が必要になるのかを学ぶことの重要性を感じました。

  3. プログラミングのような作業、やったことがないので想像の範囲を出ないのですが、学んでできることはもちろん、その先のクリエイティブさを求められるような部分が多分にあるように思えてきます。すると認知的な、記憶しなくてはならない部分は実はほんの入り口の部分で、それ以降は好奇心や興味そのものがその追求を後押ししてはいないでしょうか。それは元々持ち合わせていながら時間をかけて日本の教育が削り取ってしまっているような部分にも思え、それを育てていくということは、いよいよ現況の教育形態ではない教育へシフトしていくということなのではないでしょうか。

  4. 以前は学習というのは「点数さえとればいい」というようなやり方が主流であったのだろうと思います。実際そんな風に思っていました。それが、そうではないと気づいたのはこの保育を勉強するようになってからです。テストの点数をとるというのはそれだけの勉強をすればいいのではなく、その部分はあくまで過程であるということを感じるのは、この保育の勉強をしてからです。勉学も生活も遊びも全てはつながっている、そんな風に考えています。大失敗したアメリカ、なかなか変えることの難しさを感じます。個人でもなかなか難しいのに国レベルだと…。きっとそれができる人が改革者として歴史に名を刻んでいるのでしょうね。

  5. 点数をとることが全てではないといいつつも、PISAの学力調査の結果に一喜一憂するところにはなんだか矛盾を感じてしまったりもするのですが、世界ではなぜこのPISAの学力調査というものが行われ続けているのでしょうか。読解力と協調性が繋がらないとは言いませんが、たくさん本を読めばそれがすなわち人との付き合いをうまくさせるか、といわれれば誰もが首をかしげることでしょう。これからは人と人との関わりを、コンピューターにはできないことを、といいながらもやはり目に見える結果に手を伸ばしてしまうのは性というものなのでしょうか。

  6. なんでも必要なことではありますが、教育において目的は大切なことなのかもしれません。何のために行うのかよく分からないことを教育と言って子どもたちに強いているというのは本当に意味が分からないことですね。どういう子どもたちに育てたいのか、そのために何を行う必要があるのかということを明確にしなければいけません。藤森メソッドではその部分がまさに明確です。だからこそ、みんな同じ方向を向くことができます。まだまだ日本の中でも記憶力の良さだけが評価されるような教育の形がほとんです。もちろん、様々なことを記憶していることで、あらゆることを関連つけたりという力にも繋がっていくのかもしれませんが、そればかりではですね。「事実を覚えというやり方は、PISAテストで良いスコアを上げることに繋がらす、21世紀における真の「成功」に向けて備えることでもなかったのです」という事実をしっかり認識する必要がありますね。

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