国家的課題

アメリカは、1994年3月31日に「2000年への目標:アメリカ教育法」という法案が成立し、21世紀の世界での競争力を維持するため、2000年までに読み書き、数学、科学について高レベルの学力を身につけることを目指すことになりました。しかし、アメリカ合衆国は、目指す教育の基準や目標が各州で違っていたため、国家で統一した教育基準を作るのはとても大変でした。結局、クリントン政権の時代は実際には何も教育を改善することなく過ぎ去ったのです。

これまでの流れを引き継ぎ、前例のないほど大きな教育改革の実現を目指したのは、ジョージ・・ブッシュでした。これまでも多くの大統領が、自身のことを「教育を重視する大統領」と呼んできたそうですが、ブッシュ政権が成立させた法律「落ちこぼれ防止法」が制定されとことは、非常にインパクトが大きかったとキャシーらは言います。この法律は、NCLB(No Child Left Behind)と呼ばれています。この法律によって、学校の説明責任を徹底させ、子どもの学びを国家的課題の中心に置いたのです。

すぐに改革の具体的道筋を検討するため学習科学の専門家が招集されました。会議のために集まった科学者達は、子ども達の学力差をなくすために、政策決定者と手を携え、本格的に改革に取り組む機会がついにやってきたと思い、大きな期待を抱いていたそうです。しかし、やがて何らかの政治的圧力によって、「落ちこばれを出さない」という大義の下に、国語や算数といった限られた教科の学力をテストの点数で評価することが改革の主眼になってしまったのだとキャシーは言います。算数で学んだことをプラウニーの材料の分量を測るために使うという学びや、criticalという言葉の意味を理解して使えるかどうか確かめるために実際に文章を書いてみるという学びは、見事に忘れ去られたのです。

この後、科学者達の最善の努力も空しく、結局採用されたのは、丸暗記した知識をただ吐き出すテストだったのです。アノリカの子どもたちは、国語と算数のトレーニングばかりやらされ、科学や芸術はないがしろにされ、教わったことをそのまま答え、空欄を埋めるテストを行う、時間のあまりかからない授業が中心となったのです。ペンシルバニア州では、ペンシルバニア・システムによる学力評価テストで、子ども達が学年相当の成績をとれるように二週間テスト準備に充てることが、授業カリキュラムの中に加えられているそうです。このテストは小学三年生から始まり、高校まで続くのです。

小学四年生の段階で、子ども達の人生の行方に大きく影響する学力テストが行われます。泣き叫ぶ子もいれば、不安に襲われたり、腹痛を起こしたりする子もいるそうです。「ニューヨークタイムズ」は、テストに苦しむ子ども達の姿を繰り返し報道したのです。

スタンフォード大学のリンダ・ダーリング=ハモンドは、2011年7月にワシントンDCで行われた、セープ・ザ・チルドレン・マーチに参加し、こう語りました。

「多くの人々は『なぜここにいるの?』と尋ねるだろう。……私たちがここにいるのは、21世紀を生き抜く子ども達のためであり、よリ良い教育を目指すという私達のミッションとは大きくかけ離れた、終わりなく続けられる多肢選択型テストのためではない。」

国家的課題” への9件のコメント

  1. 私は2000年までの20年間、神奈川県民でした。そして1990年頃から横浜の学習塾で教鞭をとり、やがて塾を経営しました。主に公立中学生対象の塾でした。神奈川県には当時アチーブメントテストという学力評価試験があり、中学2年時に実施され、中学3年時の成績と合わせて内申点が算出され、高校入試試験の点数と合わせて志望高校の合否が決まる仕組みとなっていたと記憶しています。つまり、神奈川県の公立中学校の生徒さんたちは、ある意味、中学校2年から高校受験競争に組み入れられていたわけです。まぁ、学習塾をやっていましたから、そのシステムを是とし塾にやってくる生徒さんたちがそのテストで点数を取れるように教室運営をしていました。「終わりなく続けられる多肢選択型テスト」。アメリカの教育システムに関してはほぼわかっていません。「算数で学んだことをプラウニーの材料の分量を測るために使うという学びや、criticalという言葉の意味を理解して使えるかどうか確かめるために実際に文章を書いてみるという学び」の国であると今回のブログを読むまで信じていました。NCLBについては素晴らしい教育施策だと思っていました。しかし、実際は。「〇〇ファースト」を求める行政体はどこもかしこも結果として同じだと気づきました。

  2. 教育方針や既存のものがなかなか変わることができないということをアメリカの事例からも感じます。「何らかの政治的圧力」が起こる背景には、権力を持った人にとって不利益が起こるということなのでしょうかね。そんな中でも希望を示したジョージ・ブッシュ氏の存在というのは実に不思議です。前から「教育を重視する大統領」として認知されていたり、自分の得意分野であることが大きかったのだと想像します。つまり、教育を大きく変革したい場合は、その分野に特化した人材がリーダーになることは必須であるということなのでしょうか。そう考えると、園長の構想や思考がその園の雰囲気を作るというのは納得ですね。

  3. 今の日本がアメリカからの影響、影響という言葉では言い表し尽くせない程の影響を受けて成立しているだろうことはよくわかっています。それは教育の面においてもそうなのではないかということをこの度の内容から感じました。そして、同じように失敗をしてしまったのではないかとも思えてきます。島国日本の独自性とは、それは他国を決して真似ない鎖国状態が生み出すものでなく、日本ならではに生み、育てるものがあるのではないかと改めて思えてきます。

  4. 改革を実行していくというのはなかなか難しいものだということが分かります。政治的な圧力があるということは、何をしようとしてもあるものなんでしょうか。その辺は分かりませんが、大義名分は分かりやすい「落ちこぼれを出さない」ということでしたが、一般におりてきた時には違うカタチでおりてくるに至る背景が恐ろしいものです。そして、「教育を重視する大統領」でも成し遂げられないのであれば、誰が今後のことを考えていくのでしょう。もしかすると、専門職である現場の人たちからの声を集めて、まとめあげれる人たちなのかもしれませんね。

  5. 私は暗記は苦手ではなかったので、少なくとも小学校のテストではあまり苦しむことはなかったのですが、だからといって6csが完璧だったかと聞かれたら全くもって首をたてに降ることができるような小学生ではありませんでした。むしろ、私よりテストの点数では劣っていたとしても協調性や思考の柔軟さ、そしてくじけない心などを持った友人は多くいました。にもかかわらずあのテストという形態があったからこそ驕り、偉そうにしてしまったような気もします。もちろん知識を試すということが悪いのではありませんが、幼い私には、人より優れているという目に見える優越感に、悪い意味で支配され、本当に大切なことに気づけなかったんだと今になってようやく少しだけ気づくことができています。

  6. アメリカがこのような教育改革をしていたことに驚きました。そして、政治的圧力に屈服させられてしまったのですね。何だかどこの国も同じなのかなと思ってしまいます。我が国も権力だけを持ち、その権力に溺れ、錯覚した政治家たちが、国の方向性を決めていってしまっているように見えてしまいます。自分たちは全能であるという錯覚なのでしょうか。どうしてその分野の専門家の意見を聞かずに、自分たちを守るためにしか動けないのか不思議でなりません。政治家の大義はなんなのでしょうか。なんのために政治家になっているのでしょうか。そもそも政治家というポジションがあることがいけないのか。。。むむむ!少し取り乱してしまいました。

  7. 「教わったことをそのまま答え、空欄を埋めるテストを行う、時間のあまりかからない授業が中心となったのです」どこかで見たことがあるような教育現場ですね。なるほど、確かに教わったことをそのまま答えて、空欄を埋めるだけでは、授業は大して要らなくなります。ただの暗記に充てる時間が必要になるだけです。こういった教育現場は実際のところ多いのではないでしょうか。また、こういった方法は点数もつけやすいですし、はっきりとした評価もつけやすいです。教育や保育は本質的な部分が抜け落ちてしまうと、ただのふるいにかけるために学ぶことになってしまいます。しかし、逆に本質的な部分を基にした教育というのはなかなかに難しいことですし、評価もしにくいものです。しかし、そこには「誰かから評価される」のではなく、「自分は何がしたいのか」という主体の取違いもあるように思います。「落ちこぼれをつくらない」とありますが、何を持って「落ちこぼれ」なのか本人自体が「落ちこぼれた」というのであればそれを救済する必要がありますが、人から見て「落ちこぼれ」と判断するのはもしかすると大きなお世話なのかもしれません。

  8. 国をひとつの方向に向かわせると言うことが難しくあることを改めて感じます。保育のなかでも、指針に沿った保育を展開するようになっているのに対し、その園の文化や地域性、親からのニーズに応えた保育になっていることも耳にします。目的がなんなのか、そもそも、改正されたり、改革となるのは、今の現状では、将来的に国にとって危険な状態を危惧したものであると捉えると、私たちの保育も子どもにとってよりよい環境を用意することが子どもが将来の生き抜いていく力にへつなげる、だから、今の保育を時代にあったものとしとて考えなければならないと、目的と手段を明確に考える必要性を感じました。

  9. 政治的圧力によって大きく脱線してしまったと言うことですが、結局政治によって良いこともも悪いことも揉み消しにされてしまうのが本当に残念です。日本も同じような事がたくさん繰り返されてきているのでしょう。これは政治だけでなく職場など身近なところでも起きている事だと思います。権力を持った社員が自分の善し悪しで物事決めてしまう事です。保育現場でも保育を変えようとしても、ベテランや園長が自分たちを守るために変化をしないのも似ていますね。

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