価値を置く世界

シンガポールの教育省は、今、4,5歳の子ども達が将来働き始める頃、シンガポールの経済的繁栄を維持できるように、クリティカルシンキングする力を持ったクリエイテイプイノベーターを育てようとしているのです。

マインドチャンプの創業者は、清水の舞台から飛び降りる気持ちで、シンガポールが目指す、新しい「成功」の定義を具体化する、学習科学に基づいた新しい教育モデルを作ることを決意したのです。シンガポール教育省のウェブサイトを読むと、どんな世界に価値を置こうとしているかが解るとキャシーらは言います。こう書いてあります。

「私達はシンがポールの若者達がこうなってほしいと願っている。それは自ら問いを立て、その解を自ら探す人。そして、新しい方法で考え、新しい問題を解き、未来への新しいチャンスを作り出すことに情熱を傾ける人だ。と同時に、若者達に伝えたい大事な価値観がある。それは自分の強みを活かし、人生において避けることのできない数々の失敗を乗リ越えるレジリエンス(強さ)を持つことだ。そうすれば、たとえ理不尽な目に遭っても、簡単に挫けることなく、自分の夢の実現に向かって、どこまでも粘リ強く取リ組むことができるだろう。」

シンガポール政府が、これまでとは異なる新しい意味で、経済的「成功」を捉えている以上、マインドチャンプのメンバーも、新しい教育モデルを作ることに舵を取らざるを得なかったのだとキャシーらは考えています。

次に、改革の先頭をひた走るフィンランドではどうでしょうか。1970年代に、アメリカが教育システムの大改革に着手したのと同じ時期、フィンランドも教育の将来のために、独自のプランで教育改革を始めました。PISAテストという、国際的に学力を比較する指標であるテストを実施しているOECDの報告書によれば、1991年には、フィンランドの全労働者のうち、研究・開発職に就いているのはたった5%でした。しかし2003年には20%まで上昇しました。さらに2001年、世界経済フォーラムの国際競争力指標のランキングで、フィンランドは15位から1位へ躍り出ました。以後、ずっとトップグループにいます。

フィンランド人は魔法のソースのかかった食べ物を食べているのでしょうか。パジ・ザールブルクは2010年に書かれた『フィンランドの教訓』(未邦訳)で秘密を明らかにしているそうです。彼は2013年に、イノベーティブな考えに与えられる権威ある賞、グロマイヤー賞を受賞しました。フィンランド教育文化省の「国際移動と協力センター」の総裁で、改革を実際に推進した人物であり、その成功物語を伝えるスーパースターです。アメリカの見方からすれば、フィンランドの7、8歳の子ども達は学校で一日4時間しか学ばず、そのうえ、宿題もテストもないにもかかわらず成功したとは信じ難いであろうとキャシーらは言います。

一体どうしてなのでしょうか。フィンランドの奇跡について書かれた記事が総じて認めているのは、フィンランドの教師が給与面で恵まれていると同時に、一流の専門家として尊敬されていることだと言われています。教師は与えられたものを型通りに授業するのではなく、各自、カリキュラムをデサインします。そして自分の関わり方が、子どもの成功と失敗に深く繋がるという責任感に溢れていると言います。

価値を置く世界” への6件のコメント

  1. シンガポール教育省が置いている価値観を文章で読むと、その意気込みが伝わってきます。シンガポール教育省の方針は、私がわが子に求めるものであり、また園の子どもたち、ひいては我が国の子どもたちにも同様の価値意識を抱いて前進してほしいと思うものです。昨年の今頃、初めてシンガポールを訪れ、就学前教育施設の取り組みに直に触れることができました。MIMAアプローチを取り入れながら、従来の取り組みにも重きを置いている。シンガポール自体がダイバーシティを保障する社会です。しかし、そのダイバーシティを保障するため、私たち日本人からするとそこまでやるか、と思えるところもあります。「明るい北朝鮮」とシンガポールのことを揶揄?した言葉を耳にしたことがあります。確かに、否定はできない、そうした面を持ち合わせていると思いました。フィンランド。PISA№1を誇ってきた国。その国に住む日本人の奥さんとフィンランド人のご主人が、私が勤める園に来たことがありました。その時に私が聞いた話。人口が少ないから一人の落ちこぼれも出すことができない、そのことを踏まえた教育が実施されている、と言っておりました。もう10年近く前の話ではありますが。No One Left Behind。人口500万の国なら実現できて、人口1億3千万の日本には不可能なことなのか。その話を聴いてそんなことを思ったことを思い出しました。

  2. シンガポールが示す、理想像が明確に記載されていました。「自ら問いを立て、その解を自ら探す人」「新しい方法で考え、新しい問題を解き、未来への新しいチャンスを作り出すことに情熱を傾ける人」。なんで?どうして?など、子どもは自然と問いを立てています。しかし、いつからかその問いをいうことをやめてしまう印象があります。それは、大人の一方的な答えを強制されたり、その問い自体の面白さに大人が共感を示さないままであると、子どもからそういった疑問が生まれることは減っていくのではないでしょうか。また、そういった問いに対して自ら解を探し求めるサポート、環境が整えられるかが大人の課題ですね。そして、既存の方法に囚われないやり方、新しい発想を形にする意欲などを評価する環境であるかどうかなど、全ては大人の心持ち次第ということが理解できます。それにしても、「フィンランドの7、8歳の子ども達は学校で一日4時間しか学ばず、そのうえ、宿題もテストもないにもかかわらず成功した」というのは、本当に信じがたいことですが、それを信じて変革を起こせるかということが問われているのでしょうね。

  3. シンガポール、フィンランド、憧れの眼差しでその国の在り方を見てしまいますが、その歴史について、現在までの過程についてを知りたい気持ちが湧きます。そして、それを真似すればいいのではないか、そんな簡単なことなのではないかと思えてくるのですが、そんな簡単なことではないと一蹴されてしまいそうな現状です。でも、本当にそんな難しいことなのでしょうか。どんな政策でも、それが国民の意思と異なっていても、それを執行されれば受け入れる心の広いこの国の土壌があることを昨今の流れからは改めて感じられる気がします。本気で取り組んだら、取り組む気になったら出来るのではないでしょうか。

  4. シンガポールの教育省の文章にある〝それは自ら問いを立て、その解を自ら探す人〟になって欲しいとありました。この姿は普段、園の中で目にするものなのではないかと感じました。子どもたちは疑問に思ったことの答えを求めて、探していきます。その疑問は日常的に、こちらから見れば自然発生的に広がります。その疑問の答えを探す姿を止めてしまわない、こちらも興味を持って接するなど抑止するようなことのないような環境を考えていくことが大人がしなければならないことではないかということを思いました。

  5. 教育者の給与が高いというのはいっけん邪な考えのような気もしますが実はすごく効果があるのかもしれませんね。給与が高い職ならばより能力の高い人材がより高い競争率の中でその職を奪い合うわけですから必然的にその価値は上がります。医者の給与が低ければ六年間もきつい思いをして学ぼうとはしないでしょうし、弁護士の給与が低ければ重く分厚い六法全書を持ち歩く法学部生を見ることは滅多にできなくなるでしょうから。ただその分保育士という資格の難易度も相対的にあげるべきなのかもしれませんが。

  6. レジリエンスを持つことで、「たとえ理不尽な目に遭っても、簡単に挫けることなく、自分の夢の実現に向かって、どこまでも粘リ強く取リ組むことができるだろう」とありました。人生では理不尽な目にあうこともある。問題はそれをどう乗り越えていくかということですが、誰しも理不尽な思いをしていて、自分なりにそれを乗り越えていると思うと、何だか、勇気づけられるようでもあります。人と人とが関わりながら生きる社会で生活しているのですから、自分の思った通りにならないというのは当然あるはずです。それがある意味では人間社会では当たり前のことであると思えることができると、少し意識というのも変わるのではないかと思いました。

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