象牙の塔

キャシーとロバータは、彼女らの本「科学が教える子育て成功への道」の中で、新たな発見をした時の興奮をそのまま伝えようとしています。そのために最新の科学的発見と共に、彼女らの個人的経験も多く紹介しています。同じ分野の優れた科学者や友人、知り合いとの交流から学んだことを読者が彼女らの目を通して垣間見るような気になってくれたらとても嬉しいと言います。

彼女らのような科学者は、象牙の塔に閉じこもらず、仲間の研究者と共に、子ども達が現実に抱えている課題に切り込まなければならないと言います。科学者は、自分達の知見を現実の課題と繋げて、多くの人々に伝える役割を果たす義務があると彼女たちは考えているようです。このような研究者の視点は、日本の研究者にも持ってほしいものです。さもないと、市場の原理を優先させた空虚な価値観が世の中に充満するばかりで、教育産業によって提供される知識を詰め込めば子どもは成功できるという時代遅れの思考回路から多くの人々が脱することはできず、子どもは益々実体験を通じて学ばなくなるだろうと危惧するからだというのです。

彼女らは研究者であるだけでなく、母親であり、祖母でもあるのです。二人共、子ども達を育てた経験から、子育ての場面で何を選び、何を選ばないか考えるのはとても難しいことを痛感していると言います。あなたがスマホの画面を見ている時、どんなことを考えているか、あなたの気持ちを想像することができるからです。自分の子どもの知能をどうしたら上げられるのか、どうしても不安になると言います。ですから、バカバカしいとは内心思いつつ、タブレット搭載の、トイレットトレーニングと知育を両立できるおまるを無視できないのだと言います。私達は、子どもにとって本当に必要なことは何か決める時に、多くの親たちが判断できずに困っていることを知っていると言います。だからこそ、この本によって、これからの子育てにおいて根本となる指針をはっきり示したいというのです。彼女らは、私たちに、こう呼びかけています。「あなたの子ども達が、持てる可能性を発揮するめに必要なスキルを身につけ、社会の中で生き生きと暮らす幸せな人になるにはどうしたらよいのか、一緒に考えてゆこう」

子ども達が内に秘める力を十分に発揮して「成功」してほしいと誰もが願っています。ここで問題になるのは、人々がどういう意味で「成功」を捉えているのかということだと言います。

彼女らの本では、

次のような章立てで構成されています。第1章では、これまで社会が「成功」をどう捉えてきたかを辿り、グローバル化した21世紀の世界における「成功」の定義について明らかにしようとしています。今の教育システムはこれからの子ども達に求められる「成功」に対応しているとは言えないと言います。しかしそれに不平を言うのではなく、どう解決したらよいか考えていくことが必要だというのです。

本書は、学習科学が明らかにした事実に基づいて、学校教育と共に学校外の教育も再検討しようとしているのです。

象牙の塔” への4件のコメント

  1. 私は40歳を過ぎてから、「そもそも」とか、事の「意味」を考えることを訓練できたような気がします。還暦を目前に控えながらも、なかなか、スマートに、「そもそも」や「意味」をすぐに思いつくことができません。生まれてから10代、20代、30代といかなる環境で生きてきたか?そのことの意味の重さを今更ながら知って落ち込みます。刷り込み、の重さに気づいてがっかりするのです。まぁ、落ち込んだ反動は、くってかかる、という行動に表れます(申し訳ございません、私の成長の一端とご寛恕ください)。若い学者の皆さんはおそらく「象牙の塔に閉じこもらず、仲間の研究者と共に、子ども達が現実に抱えている課題に切り込まなければならない」と思っていることでしょう。「見守る保育」がその可能性を提示していることに気づいています。それでも、学者の世界で生きていくために、「見守る保育」礼賛にはなれない。まぁ、レッジョを研究したり、ビゴツキーについて言及したり、拠り所を倉橋に求めたり・・・。その点、現場で働く私にはその制約が基本ない。藤森先生の提示される課題を素直に自分の器で考え、アウトカムしながら、自分を高められる、という特権を有しています。なんと、ありがたいことか。

  2. 既に「タブレット搭載の、トイレットトレーニングと知育を両立できるおまる」の存在があるのですね。1歳、2歳の子どもたちを取り巻く環境は数年で目まぐるしい変化をしていることを、まさかオマルを通して感じられるとは思いませんでした。また、キャシーとロバータの「子育てにおいて根本となる指針をはっきり示したい」というのは、現代にとって非常に価値のあることだと思います。そして、その時代をすぎると、きっとはっきり示すことがかえってよくない方向に行くこともあるのかもしれないと思うくらい、問題は出続け、それに対応し続け、研究し続けるのが世の常なのでしょうか。乳幼児教育の根本となる「子ども達が、持てる可能性を発揮するめに必要なスキルを身につけ、社会の中で生き生きと暮らす幸せな人になるにはどうしたらよいのか、一緒に考えてゆこう」という精神は、より多くの人の理解と協力が必要な気がしました。

  3. いい大学に入って、いい会社に入る、経済的な成功を得る、親としての成功の定義が狭義であればある程、子どもに望むことや求めること、教えようとすることは狭く乏しいものになってしまうかもわかりません。それが合う子も中にはいたりして、スパルタと呼べるような親からの教育環境の中で伸びていけるようなこともあるのかもわかりませんが、とても稀有な例だからこそテレビで取り上げられたりするのではないかと思えてきます。もっと一般的で、子育てという日常がただ幸せに溢れるような普遍的な教育というものを、本当は誰もが望んでいるのではないでしょうか。

  4. 子どもに成功して欲しい、というのはほぼ全ての親は思っていることでしょうが、なにが成功なのか、というのはそれぞれ違うと思います。それが親のみの成功にならないようにしたい欲しい、親子双方で考え、練った成功でありたいと思います。そのような意味でも閉じこもるのではなく、現実に抱えている課題に向けて、ともに切り込んでいくこと、研究者と同じような姿勢が必要であることを感じました。
    子育ても科学なのでしょうか。そうなると、全ての親は科学者だということになります。課題に切り込み、失敗を繰り返しながら一緒に前に進むことからそんな風に思いました。

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