教育的価値

アメリカでも、日本や中国のような過熱した早期教育が行われているようです。しかし、よく行われているような早期教育は、いくら科学的には根拠がなく、今後子どもたちに求められる力は、時代の変化によって大きく変わってきていることを、力説しても、なかなか変わらない状況は、いわゆる先進国と言われている国の、一部の富裕層では共通していますね。

しかも、その対象はどんどん年齢的に下がってきているそうです。アメリカでは、「あなたの赤ちゃんは文字が読める(Your Baby can Read)」というような商品の売上は数百万ドルに上るそうですが、乳児の言語発達の専門家は、これを裏づける科学的根拠はないと断言しています。ですから、ある研究者は、テレビのコマーシャルでこの手の商品が紹介されるのを見ると、思わず「あなたの赤ちゃんは読めないよ! (Your baby CAN’T read!)」と叫んでしまうと言っています。

階段を下りてゆくバネのおもちゃのスリンキーや小麦粘土は、どんな教育的価値があるのかはっきりしないので、親は買いたがらないと言います。しかし、実際には粘土で何か形作ったり、おもちゃの電車の線路を組み立てたりする時に、子ども達は空間認知について学んでいるのだと言われています。また、おもちゃのお城で遊びながら、鎧に身を包んだ騎士のお話を創作して、言葉の力を自然に伸ばしていきます。しかし、親達は、こういったことには目もくれず、子どもが将来有名大学に進学することに直結する学びを手に入れようと夢中になると言うのです。

しかし、問題は、頭の中に事実を詰め込んでも、ちょっと指を動かせば簡単に情報が手に入る現代では子どもの「成功」に繋がらなくなったということだとキャシーらは言うのです。グーグルやウィキペディアを検索すれば、ほんの数秒で知識を得られます。もちろん、アルファベットや九九を覚えなくていいというわけではないと言いますが、これからの社会を生きる子どもが直面している課題は、日々私達が手にする大量の情報を仕分けし、優先順位をつけて、活用することだというのです。

では、これからの子ども達に求める姿はどのようなものでしょうか?雑誌『フォーチュン」に選ばれた優良企業500社の共通認識は、これから会社にとって重要な仕事は、覚えることでは教えられない思考スキルを持った人達によってなされるということだというのです。雇用する側が必要だと考えているのはどんな能力なのでしょうか。どうしたらもっと信頼できる形で新しい意味での「成功」を評価できるのでしょうか。更にどうしたらその評価に基づいて考えようとする文化を作り出すことができるのでしょうか。もしかしたら、今回の新型コロナの世界的流行は、教育を見直すきっかけになるかもしれません。

「卓越した教育に関する国家委員会」は、子どもの教育に失敗したアメリカは、今後、経済優位性を失う恐れがあると強く警告を発しているそうです。また、全米教育経済センターは、アメリカの学校は未だに1953年の労働環境に合わせた教育を子ども達にしていると批判しています。

教育的価値” への3件のコメント

  1. 一般的な早期教育がもたらす将来的な利益は、今すぐに目にすることができないため、なんとも言えません。そのため、現場としては「縦断的研究」による結果を重んじるところではありますが、そんな情報があってもなお、耳を貸そうとしない、子どもへの投資のやり方を変えない保護者層が一定数いることを理解しなくてはいけませんね。また、今後必要になる力として「これからの社会を生きる子どもが直面している課題は、日々私達が手にする大量の情報を仕分けし、優先順位をつけて、活用すること」とあり、主体的なものの見方によって情報を精査し、状況を踏まえた優先順位を瞬時に割り出し、これまでの知識を活用して行動するという人材が頭に浮かびました。やはり、「主体性」「コミュニケーション」「柔軟性」「チャレンジ精神」を基盤とする「人同士の関係性の構築」が鍵であると改めて感じました。

  2. テレビショッピングを観てしまうと、ついつい買いたくなる衝動に駆られることがあります。そして、買ってしまって後悔するという経験もありました。馬鹿ですね。最近では、英語力をつけるのか何だかよくわかりませんが、〇〇ラーニング、なる英語教材を特にBSチャンネルのコマーシャルで観ることがあります。「お試して無料CDを」と誘われるとついつい手を出す誘惑にかられるのですが、そこは「授業料」を支払ってきました。今更、必要ないや、と思いつつ、それでも気になってしまう恐ろしさ。「あなたの赤ちゃんは文字が読める(Your Baby can Read)」というような商品の売上は数百万ドルに上る」に関しては、さもありなん、と思いました。学習塾を経営した経験があります。確かに、私の塾に通っていた子がそれなりの大学に入ったり、そこそこの高校に入ったりしたことはありました。しかし、その時も今もそうですが、その結果は私が経営していた塾だけの問題ではない、と思っています。保育所保育指針にもある「より良い」という表現、思いとしては、betterであったら、と祈るだけです。「子ども達は空間認知について学んでいる」とか「言葉の力を自然に伸ばしていきます。」とかこうしたことをまともに受け止められる親たちの子は、それなりに成功または大成功すると思うのですが、現実は「子どもが将来有名大学に進学することに直結する学びを手に入れようと夢中になる」。だから有名進学塾に通わせたり、親が予備校を決め、そこに大学受験に失敗した子を行かせてしまったりすることになるのでしょう。その結果は・・・。子どもは自分で自分のことを決める。失敗しようがしまいが、そこは子どもの力を親が信じる。親はそうあってほしいものだと思います。生きている限り、やり直しは何度でもきくと信じて生きています。

  3. 日本という国がこの度の国難とも呼ばれる危機に直面して、とれた政治がありました。それが世界という枠組みから見た時に、どう映ったのでしょうか。
    政治は当然ながら国の代表の人たちが行うもので、その人たちがどのような教育を受けてきたのかはわかりませんが、どうやらその結果がこのような事態なのだとすると、そういう政策や思考を生み出せる脳へと成長を促した教育よりも、もしかしたら優れた教育というものがあるのかもわかりません。自分より優れた若者を、子どもたちを育てる教育は自分が受けてきた教育より優れていることが望ましいと思えてきます。

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