何に適した脳?

バロン=コーエンの仮説は、まず二つの重要な概念、男性脳と女性脳を定義しています。男性脳はシステム化に適した脳であり、女性脳は共感に適した脳であるというものです。では、システム化、共感とは何なのでしょうか。

「システム化とは、システムの分析、探究、建設であり、システム化型の人は本能的に物の仕組みを考え、システムのふるまいを制御する法則を導きだそうとします。その目的はシステムを理解し、予測し、新たなシステムを創造することだ」というのです。バロン=コーエンは六つのシステムをあげています。人工物、機械などの技術的なシステム、生態系、地理などの自然のシステム、論理、数学などの抽象的なシステム、法律、経済などの社会的なシステム、分類、命名などの組織化のシステム、楽器演奏、ダーツを投げるなどの身体的な動きのような運動のシステムです。彼の言うシステムとは非常に包括的で、人間ではなく事物と関連したすべてを含むように思えるとミラー氏は言います。論理的、組織的なルールによって制御されるあらゆるものをシステムと呼んでいるようだとも言っています。

それに対して、「共感」とは、他者の感情と思考を察し、適切な感情でそれに反応することです。他者の感情に対して、それにふさわしい感情的な反応をするときに、共感が起きます。その目的は他者を理解し、他者の行動を予測し、他者と感情的に結ばれることです。言い換えれば、共感するとは、他者の思考と感情にその場で自然に波長を合わせることであり、共感力にすぐれた人は、相手の感情の変化とその原因を察知し、どうすれば相手の気分をよくしたり害したりするかがとっさにわかる人であり、思いやり、配慮、理解、慰めなど、その場にふさわしい感情で、相手の気分の変化に直感的に反応できる人なのです。共感力にすぐれた人は、他者の感情に気づくだけでなく、他者がどう感じ、どう考え、何を意図しているかを継続的に思いやることができます。共感は人間関係を定義づける特徴であり、共感のスキルは本当の意味での意思疎通を可能にするようです。

この共感力は、保育をするうえでとても大切な力だということがわかります。特に、相手が子どもの場合は、自分からなかなか主張しないために、特にその力が求められます。では、もう一方のシステム化は保育には必要ないのでしょうか?そこに、私は今の保育界の問題点を見ることができます。

バロン=コーエンはこのようにシステム化と共感のスキルを定義した上で、男女がこの能力をどの程度もっているかを次のように論じています。システム化と共感のスキルには、男性の間でも、女性の間でも、個人差があるようですが、男性のシステム化スキルの平均値は女性のそれより高く、女性の共感スキルの平均値は男性のそれより高いと言われています。ただし、この二つのスキルのばらつきは、男女ともほぼ同じだそうです。つまり、平均的に男性はシステム化にすぐれ、女性は共感能力がすぐれているといっても、女性よりも共感スキルの高い男性はたくさんいますし、男性よりもシステム化に長けた女性も珍しくないということだとミラー氏は言います。このことを理解するには、身長の男女差を例にとっています。男性の間、女性の間で、身長には個人差があり、男性の身長の平均値は女性のそれより高いのですが、男女とも身長のばらつきはほほ同じようなパターンを示しています。つまり、大半の男性は平均的な女性より背が高いものの、バロン=コーエンは、平均的な女性よりも背の低い男性、平均的な男性よりも長身の女性もいます。システム化と共感のスキルにもこれと同じような男女差があるとしているのです。

何に適した脳?” への8件のコメント

  1. 聞いたところによると、私たちホモサピエンスは受精後のある一定期間は女性であり、やがてそこから男性になる、女性になる、ということでした。以前、何かの記事で読みました。英国のオックスフォードだったかケンブリッジだったかどちらかの先生が、研究の結果、男性脳や女性脳といって特別な差異を認めることができなかった、という内容のものでした。「ばらつきはほほ同じようなパターン」でしょう、男女間で。私は男性ですが、職場で働く女性職員さんの中には私より背が高い人が何人もいます。システム思考と共感ということで言えば、そこに性差を持ってきてどんな意味があるのだろう?と思ってしまいます。「バロン=コーエンの仮説」は仮説であるがゆえに、別の仮説によって価値を失っていくのでしょう。ここで思うのは、「見守る保育10か条」にある通り、私たちは男女という「刷り込み」から解放されなければならないと思います。

  2. システム化と共感を、男女の身長に置き換えるととてもわかりやすいですね。男性が得意な分析や研究などの面はあっても、あくまでも平均的にであって、必ずしもみながその能力を携えているわけでないということですね。ただ、これは生存戦略に関する部分なのかもしれませんが、男性は長身長に憧れ、高身長な女性はそれをコンプレックスとしている傾向がある印象があります。能力に違いはあるとしながらも、どこか一般的な見解が思考を方向づけてしまっていることすら感じます。

  3. 性別のもつ脳に様々な役割があり、またそれだけでない例外的な脳をもつ男女もあり、それが社会を形成していると思うと、改めて右向け右のような、画一的な教育というものは意味がないことがわかるかのようです。それは個性も役割も排除したまるでコンピューターとのやりとりのようで、その教育を受ける子どもたちは個性も役割も捨てたような状態で大人へとなっていってしまうのかもわかりません。それはとても受け身な価値観のようにも思え、教育を考える上では危険な消費者感覚の大人が増えていることの背景になりそうにも思えてきます。

  4. 男性脳には得意なものがあり、女性脳にも同じく得意なものがあるが、それはあくまで平均的なものであり、必ずしもそうではないということになるんですね。よく「男だからこうで女だからこうある」のようなことが言われますが、そうではないと言えますね。脳には大変な役割がたくさんあると思いますが、そんな風に少しずつ違いのある脳がたくさん集まり、社会を形成していると考えていけば、その違いを正すのではなく、認め、うまく回していくにはどうすればいいのかお互いに考えていくことが必要なことであることを思いました。

  5. 最近象徴機能についてよく考えるのですが、この象徴機能というものが育った先で、どのような力に結び付くのだろうかと疑問に思います。はじめは、葉っぱをお皿に見立てたり砂をご飯に見立てる力が今この物の溢れた社会のなかで必要なのかと思ったこともありましたが、目の前に実物としてないものを見立て、想像し、思考することは共感能力にも役立つのではないかと思い始めました。そう考えるとおままごとをよくしがちな女の子の方が男の子より共感能力が高いことの説明にもなります。

  6. 「平均的な女性よりも背の低い男性、平均的な男性よりも長身の女性もいます。システム化と共感のスキルにもこれと同じような男女差があるとしているのです」という例えはとても分かりやすいです。「私は今の保育界の問題点を見ることができます」と藤森先生の言葉がありました。確かに、共感はとても大切な力ではありますが、共感もシステム化もどちらもバランスよく必要になりますね。情緒的に保育を語られてしまうと何を大切にするべきかがぼやけてしまうように思います。反面、システム化が強すぎると、そこにはやはり人と人とか関わる保育ですから感情や思いというものが無視されてしまう傾向も強くなってしまうかもしれません。どちらかに偏るのではなく、どちらも必要で、それは場合や状況によって異なったりしますね。

  7. 「男性はシステム化に適した脳であり、女性は共感力に適した脳」とあります。とはいえ、この脳の基本的な傾向は身長差があるように個人差があるのですね。男子脳や女子脳ということが言われていますが、それも男女であっても、違いがあるというのが実体験でも分かります。どちらかというと私の方が女子脳で、私の妻の方が男子脳の傾向があるように感じます。問題はどちらがどちらというのではなく、バランスをとることの方が大切なのかもしれないなと夫婦間を見ていると感じるのですが、保育においても男女差というよりは、それぞれの職員の特性をバランスよく配置するということが大事なんでしょうね。確かに男性においても共感力が強い人がいますし、女性でもそうではない人がいます。だからこそ、一つの価値観の中で子どもの環境を作るのではなく、それぞれの特性が生かせるような環境が求められ、結果としてバランスの取れた環境が一番いいのかもしれませんね。

  8. システム化と共感のスキルと男女差はあるものの割合としては、あまり変わらないのですね。
    例にあげられたことを園の職員で考えても、女性でもシステム化が強い傾向にあるなということを感じます。また、このことを考えを深くすると、やはり、割合としとは、女性だけでは、共感のスキルが傾向として強くなるため、男性がいることによってシステム化が表面的に現れやすなるのではと考えられ、どちらも必要性があることを感じるところです。

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