もし、こうだったら

キャシーらは、すべての学校が6Csを育てるようにデザインされたらどうなるかと問うています。しかし、彼女らは、この問題はなにも子どもに対してだけではなく、大人にも自分を見つめ直すために活用できるのではないかと提案しています。大人の人たちに、あなたはどんな強みを持ち、反対にどんな部分はもっと伸ばすべきだろうかと考えてみたらと言います。あなたの持っているスキル、あるいは、持っていないスキルについて子どもとどのように語り合ったらよいでしょうか。
これまでとは違った意味で考えるために、「もし、こうだったら」という問いを投げかけてみるように提案しています。もし学校と家庭が、色々な人々と豊かに交流し、生涯学び続けることを楽しみ、柔軟に考えられる人を育てるために、という観点で融合したらどうなるでしょうか。彼女らは、本書では「もしこうだったら」という問いを投げかけ続けることで、これまで経験し、イメージしてきたのとは全く異なる学び方があるということを読者の皆さんが考えるように揺さふりをかけてゆくことを意図しているようです。
過去40年間、毎年、乳幼児達が親を引き連れて一緒にキャシーらの研究室にやってきたそうです。彼女らの研究室は、子どもが大人に、どのように言葉を学び、どのように数のスキルを身につけ、どのように読むことを学ぶのか教えてくれる場所だと言います。最初の言葉を発する前の子どもでさえ、彼女らに多くを教えてくれたそうです。彼女らの研究室のデータと共に、世界中の研究者の知見を素材として彼女らは本を書いてきたそうです。その中の一冊が、『子どもの「遊び」は魔法の授業』(アスペクト)だそうです。
彼女らは、世界中の様々な研究者と協力して、子どもの発達について、新たな地平を切り拓く興味深い発見を積み重ねてきたそうです。教育者やイノベーターがこうした知見を、優れた教育プログラム作り、玩具や学習アプリの開発、教室のデザインに活用できるように、積極的に情報提供したいと願っていると言います。世の中の風潮では、相変わらず、子どもにより多くの知識を身につけさせる教育が大事とされています。しかし、キャシーらは、より広い視野に立ち、子どもが、多彩なスキルと能力を育ててゆくことを期待していると言います。ロボットは、沢山の事実を覚えられますが、子どもだけが、他者と協力し、善き市民となって、考え、創造する可能性を持っているのです。
これまでキャシーとロバータは二人で何百もの研究論文を発表し、13冊の本を書いてきました。そして、今、学習科学が積み重ねてきた成果を多くの人々に伝え、それを知った人々が、6Csに基づいて、「考え方についての新しい考え方」を取り入れられるようにサポートしようと思っているそうです。そのために、『ハフィントンポスト』やアメリカ合衆国のシンクタンクであるプルッキングス研究所のブログ、そして自分達のツィッターで、新しい考え方を広めてゆくつもりのようです。また、彼女らがコンサルタントを務めている、ディズニーランド、レゴ、ケネックス、クレヨラ、フィッシャープライスといった企業に対して、また、関わりを持っている、チョイス、フロンティア・オブ・イノバーション、アライアンス・フォー・チャイルド、ジャンプスタート、子ども博物館といったNPOに対して、新しい考え方を浸透させてゆくつもりであると言います。

もし、こうだったら” への5件のコメント

  1. キャッシー氏等の意欲的野心的取り組みに触れ、学者は自分たちの研究成果を企業やNPO団体と提携し社会づくりに真に必要と確信するなら、どんどん提供し広げていくことが肝要か、と今回のブログを読みながら思いました。確かに、日本国内でも企業と提携して自分の学説?にもとづいた実践を展開しようとする野心家学者が存在しているのかもしれません。もっとも日本の学術世界の事情もあるでしょう。あまり野心的と思われると干される、という懸念も抱かれるのかもしれません。さて「大人にも自分を見つめ直すために活用できるのではないかと提案しています。」この提案を私は支持します。6Cs(contents, critical thinking, collaboration, communication, creative innovation and confidence)は大人にこそ必要だと私も考えます。「もう、歳だから、そんな面倒なことは無理」と言い訳をする輩が社会で一体どういう行為を取っているか。たいていはその額面通り、おとなしくしているのかもしれませんが、自分の我儘を通そうと大声を出して相手を怒鳴りつけたり、すぐに「責任者を呼べ」など権威権力を自分近づけることによって自分の権威権力フェイクを創り上げて悦に入ろうとします。子どもたちは基本的に、ほっといてもこの6Csの実践者だろうと思います。今時は大人たちに大いに問題があるのです。「大人」とは「大いに問題を引き起こす厄介な人」の略称かと思ってしまいます、自戒を込めて。

  2. がありました。小学校の目的を調べると、「心身の発達に応じて、初等普通教育を施す」ということで、そのための目標には「人間相互の関係について、正しい理解と協同、自主及び自律の精神を養うこと」とか「国際協調の精神を養うこと」がありました。キャシー氏らの「もし、こうだったら」を実現するためには、やはり「もし学校と家庭が、色々な人々と豊かに交流し、生涯学び続けることを楽しみ、柔軟に考えられる人を育てるために、という観点で融合」していくことを目的にする必要があると感じました。このコロナ禍で人類学者が言っていた「教育を根底から変える必要がある」というのは、こういうことなのだろうなぁとも思います。それを変えられるのは、大人しかいません。「大人にも自分を見つめ直すために活用できるのではないか」というきっかけには、もってこいの時期のようですね。

  3. 学びたくなる環境というものがあると思います。環境に魅力があれば人間は自然と向上したくなるものなのでしょうか、若い脳は本当にさまざまなアイデアが湧き出てくるもので、それが自然に表出できる場こそ、最高の教育環境と呼べるかもわかりません。
    教育を、大人側の目線で、教えることにのみ特化してきました。教わる子どもたちはいつも受け身でした。そうではなく、学ぼうとする子どもたちにとっての教育の在り方であると思えてきます。それには、大人からの視点でなく、子ども目線からの教育環境の変化が求められると思います。

  4. 〝大人にも自分を見つめ直すために活用できるのではないか〟とあります。自分同様大人にこそ必要なことである気がします。学校などの教育施設と家庭が深くつながることで得られるものは子どもにだけプラスになるわけではなく、むしろ大人にこそ必要なものが詰まっているような気がします。家庭も施設側も柔軟に考えられる人を育てるためにまずは自分が柔軟に考えられるように努めていかなければならないと、自分も含めて思いました。

  5. 人は協力し合うことが出きる存在でその力を学校で育てるべきである、その通りだと思います。旧型の学校は丸や三角などの様々な形の個性を全て四角にすることを目的とした教育を行ってきましたがそれがより大きな丸を、より鋭くとがった三角を作るような教育が進んでいけばきっと世界がもっとクリエイティブになりますから。ただひとつ気になることと言えば、もし機械が協力や協調を覚えたらどうなってしまうのかということです。今の技術では想像の話しになるのでしょうがいつか来るかもしれないその時を怖さ半分ワクワク半分で待ってみたいなとも思います。

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