これからの教育

キャシー氏とロバータ氏は、「子育てや学校教育の問題に文句をつけるのは簡単である。しかし、文句をつけている当の本人が、こうした問題を引き起こしている当事者であることを忘れてはいけない」と言います。今、ある保護者達は、わが子を幼児から塾に通わせ、早期教育に熱心になっています。特に、中国などでは、過熱さえしています。しかし、我が子が学校「内」でどう学んでいるのか、更には放課後、家庭で我が子をどう教育したらよいのか、不安に思っているのであり、これからの時代は子どもたちにはどのような力が必要となるのか、学校教育がどのように変わってきているのかを考えずに、算数のテストの点数を上げるために、あるいは作文課題でトピックセンテンスを書けるように、親は必死になって子どもと関わろうとすると言うのです。キャシーらは、「もしかしたら家で算数の問題を解く時間が少ないのではないか。子どもの書いているトピックセンテンスは、教科書に書かれている例と違うような気がする。教師は、子どもが正しく理解するようにきちんと指導しているのだろうか不安と不平は募る一方だ。」と指摘します、そして、彼らは、科学者として、また母親として、長い間、様々な形で教育に関わってきたその過程で、多くの親が教育に対して不安を抱いている現実に直面したそうです。そこで、親がこうした不安を乗乗り越え、子どもの学びや教育の本当の姿を知ってもらいたいと思い、この本を書いたと言っています。

そのために、最近の研究調査のデータ、科学的根拠に基づいた教育実践と共に、親達を惑わせる誤った情報や風潮を指摘して、複雑さを増す一方の21世紀のグローバル世界の中で、子ども達が、自らの可能性を存分に発揮して、知的かつ社会的に生き、人生で成功する道を考えてゆきたいと思っていると言うのです。

彼らは、フィラデルフィア郊外にあるフレンド・セントラル・スクールのこんな授業を紹介しています。「もし、学校が熱帯雨林たったらどうなるか」と言う取り組みです。彼らが訪ねたその日は、小学2年生から4年生までが熱帯雨林について学んでいて、学校の至るところが熱帯雨林になっていたそうです。大きな縁の葉っぱをつけた、紙で作られた木をぬいぐるみの動物が上ろうとしているかと思うと、床には、紙の川が波を立てて流れていたそうです。

2年生の教室はインドネシアで、廊下の先はニューギニアです。廊下の壁には、子ども達の力作である先仕民のお面が飾られています。それぞれのお面について、博物館のように解説が書かれていて、作った子どもについて紹介しているだけでなく、このお面が最初に作られた場所、由来などが記されています。4年生の教室では、宝島に行くための船を製作して、算数と国語の授業を行っていたのです。校内の一つひとつの光景の中に、豊富な知識コンテンツが詰まっていて、廊下を歩くだけで自然に情報を体得できてしまいます。子ども達は、標識を読み、船の大きさを測定し、旅行する距離際に使う必要性に迫られて、多くのスキルを身に着けていきます。子どもたちは、文字の読み書きや計算のような知識・スキル以上のことを、熱帯雨林プロジェクトを通じて学んでいると言います。

しかし、このような取り組みは、すでに幼児教育では行われているように思います。数年前に行った韓国の園で、ちょうど熱帯雨林についてのプロジェクト保育を行っていました。

韓国の幼稚園
アマゾンのジャングル

アマゾン川
川の中にはワニがいたり、魚が泳いでいる

韓国の幼稚園
保育室内にある子どもが自由に使える素材

これからの教育” への5件のコメント

  1. おかげさまで、昨年は何度か中国を訪れることができました。上海の地下鉄に乗った時のことです。流石、中国!と思ったことがあります。今回のブログには次のようなことが紹介されています。「今、ある保護者達は、わが子を幼児から塾に通わせ、早期教育に熱心になっています。特に、中国などでは、過熱さえしています。」私が乗った地下鉄の座席に座っていた母子が英語の勉強をしているのです。お母さんが問いを出し、子どもが答える。しかも、発音を注意されながらその英単語を子ども、幼児から小学校低学年の子、が一生懸命覚えようとしています。私は、再度繰り返しますが、流石、中国!と思ってしまいました。私がわが子にそのような教え方をしたことがないので、ただただ驚いた、というところが本音です。そのわが子にある時、学習塾に行けるように親がしむければ、今頃、成績が良くなっていたのに、と。私は、基本子どもがやりたいように、好きを実現できるように、子どもの育ちに寄り添ってきました。稼いできました。ですから、その言葉を聞いた時にはショックを受けました。子育て失敗?数年前の話です。さて、プロジェクト保育、日本でも耳にする機会が多くなりました。子どもたちが発案して「アマゾンの熱帯雨林」だったらいいのですが、先生が発案して「「もし、学校が熱帯雨林たったらどうなるか」と言う取り組み」には就学前保育施設に携わる身として疑問を感じました。もっともその対象が「小学2年生から4年生まで」とありましたから、まっ、いいかと思いましたが。就学前における「もし○○だったら」という大人の発想。このことに考えさせられた今回のブログでした。

  2. 「4年生の教室では、宝島に行くための船を製作して、算数と国語の授業を行っていた」と、聞いただけでも楽しい授業であることが想像できます。藤森先生の昔の話に、腕相撲大会を開催し、誰が強いかを問いかけ、そこから勝率の計算など、算数を結果的に学べる授業をしたという内容があり、子どもたちが今興味を持っている内容の中から、授業のトピックとなるものを探すという行程もあるのだと衝撃を受けた記憶があります。これを教えなくてはいけない、ではなくて、それを学んだ先にはどんな楽しみがあるのか、または、どんな関連づけ・発展があるのかを大人が理解する大切さを学びました。今回の「もし、学校が熱帯雨林だったらどうなるか」も、その先にはどんな意味があるのでしょうか。気候・生態系・自然環境・植物などなど、関連する項目は数しれません。「子どもたちは、文字の読み書きや計算のような知識・スキル以上のことを、熱帯雨林プロジェクトを通じて学んでいる」というように、熱帯雨林を知らせたいという思惑よりも、それを学ぶ過程における発見や意欲、順を追って調べてシステム化などに焦点を当てている気がします。

  3. 教科書は変化していく面を持っていると思います。時代によって教育の内容が変わり、それに合わせるからでしょう。そう思うと、テストの為の勉強というものは普遍的なものを学んでいるということではないのかもわかりません。そういう認知的なことにのみ焦点を当てた教育に、もうこれ以上意味を持たせない方がいいような気さえしてきてしまいます。繁栄する為に生まれた人間が、教育の過程でずれていってしまうような想像が膨らんで、何か怖くなってきてしまいました。

  4. キャシー氏とロバータ氏の冒頭の〝文句をつけている当の本人が、こうした問題を引き起こしている当事者であることを忘れてはいけない〟という言葉にハッとさせられました。自分も小学生の子どもがおり、教育を学校任せにしているのではないか、保育園に通わせているだけになっているのではないか、と自分に自問自答しました。子どもの宿題をみることがありますが、「この宿題に意味があるのか?」なんてことを考えながらみてしまっている自分がいることに気づきました。教科書の内容から何を学びとるべきなのか、普遍的なものがどこかに隠れているのではないか、自分の気づきを子どもに伝えていくこと、姿勢や態度というものがまず、自分が正さなければならないならないと感じることができました。

  5. 答えがないというのはまことに不安になりますし、その答えを簡単なものに置き換えるために、目に見えるテストの点数や作文の賞にすがろうとする気持ちも、やはりわかってしまいます。もしもその行為があきらかに問題児しか生まないのであれば、その行為が必要ないものと理解できるのでしょうが、一定数問題を抱える子はいても、また一定数は大きな成功をあげるのです。子がどうなろうと自分にはさほど関係がないのに、子に苦しい思いをさせたくないという親の愛は時に子供の首を絞めてしまうのかもしれませんね。

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