異質な文化の存在

考古学的な証拠から、環境保護に関してはアメリカ先住民も地球上の他の集団と変わらないことがわかっているそうです。コロンプスが西インド諸島に上陸するはるか前に、アメリカ大陸にみられた多くの動植物が、先住民によって絶滅に追いやられています。環境保護というのは贅沢な概念であり、ここ数十年欧米社会で初めて提唱可能になった概念であるのです。工業化によって、今のような物質的豊かさがもたらされる以前は、すべての人間集団が生き延びるために必死で、自然の資源を最大限に利用していました。環境に配慮する余裕などなかったのです。アメリカ先住民も例外ではありません。

このように、人間の文化は表面的には多様で、とても珍しい慣行や風習があるかのようにみえても、本質的には変わらないとミラー氏は言うのです。他の文化と根本からして違うまったく異質な文化などというものは存在しないというのです。人間の体はさまざまな個人差があっても、根本的な構造はみな同じで、目が三つあるなど、まったく違う体をもつ人などいないのと同じことだというのです。他とかけ離れた風変わりな文化が報告されるたびに、作り話であることが明らかになっているようです。

アラン・S・ミラー氏は、サトシ・カナザワ氏とともに、「進化心理学から考えるホモサピエンス」という本の中で、最初に進化心理学の基本的な前提を述べています。その内容から、随分と私たちが刷り込まれてきたことを感じました。また、現在地球上に生存する人類は、すべてホモサピエンスであることを再認識します。次の章からは、さまざまな疑問を取り上げ、それに対する答えとして提出されたアイデアを紹介しています。第3章では、「進化がバービー人形をデザインした―セックスと配偶者選びについて」書かれています。第4章では、「病めるときも貧しきときも?―結婚について」書いています。第5章では、「親と子、厄介だがかけがいのない絆―家族の進化心理学」ということで書いています。そのあとも、第6章「男を突き動かす悪魔的な衝動―犯罪と暴力について」、第7章「世の中は公平ではなく、政治的に正しくもない―政治と経済と社会について」、第8章「善きもの悪しきもの、醜悪なるもの―宗教と紛争について」と続きます。もちろんどの内容も興味もあり、特に人間を相手にする職業では、ぜひ知っておいてほしい内容ですが、このブログでは、第5章と第7章を取り上げます。

ミラー氏は、「読者は自由にそれらの問いと答えについて考えをめぐらし、探究を深めていただきたい。」と言っています。しかも、進化心理学についてここで述べていることは、ほんのさわりにすぎないのですが、これから扱う問いと答えへの予備知識としては、これまでに述べたことのみで十分だとも言っているのです。また、進化心理学では、家族の問題は、たとえばセックスと配偶関係に比べると、取り上げられる頻度はやや少ないそうです。それでも人間の家族を理解する上で、進化心理学は大きな貢献をしているというのです。

一例をあげれば、初期のパイオニア、マーティン・ディリーとマーゴ・ウィルソンは、カナダとアメリカで調査を行い、義理の親、とくに義理の父親が子どもを虐待する確率が高いことを明らかにしたのです。両親とも実の父母である場合と比べ、そうでない場合は、子どもが怪我をしたり、殺される危険性が40~100倍高くなるそうです。ある意味で、ディリーとウイルソンは、シンデレラ効果と言われている「継子いじめ」を進化心理学で説明したのです。

異質な文化の存在” への5件のコメント

  1. 環境保護というのは贅沢な概念であるということで、成熟された近年だからこそ生まれたものなのですね。これまで多くの動植物が人類によって絶滅させられてきたことは理解していますが、「生きるためには仕方がなかった」と言われれば返す言葉もありません。わざわざそれを食さなくても生きていける知恵と技術を持った私たちだからそこ、これからの地球との関わり方が問われている、それがSDGsのような指標なのでしょうか。また、「進化心理学から考えるホモサピエンス」という本は読んでみたいです。「進化がバービー人形をデザインした」というのは気になりますね。日本にも、今なお絶大な人気を誇っている「リカちゃん人形」がありますね。うまれは、1967年ということで、戦後20年によって西洋文化の影響があるというのはリカちゃんの容姿からも想像できます。あたかも「美」の象徴とされた具体物は、人々にも多大な影響を与えたと思いますが、それが「進化」の賜物であるというのは不思議な感じがしますね。

  2. ホモサピエンスは基本、変わらない。ユバル・ノア・ハラリ氏は彼の著書「サピエンス全史」の中で、現在オーストラリア大陸に上陸した私たちの先祖が彼の地の多くの動植物を全滅に追いやったことを記しています。農業革命に至っては、牛豚鶏という種を大量繁殖させ、小麦、トウモロコシ、米といった穀物をこれまた大量繁殖させて、結果その他の動植物は隅っこに追いやられることになりました。中には既に絶滅したものも。私たちホモサピエンスはどうやら歴史的に地球環境にやさしい存在ではないようです。「すべての人間集団が生き延びるために必死で、自然の資源を最大限に利用していました。環境に配慮する余裕などなかった」という言い訳が出てきます。そのしっぺ返しを私たち、自然の一部であるホモサピエンスは蒙ることになるのか。
    進化心理学、という学問。とても興味関心を持ちます。今後のブログの展開に期待したいと思います。第5章「親と子、厄介だがかけがいのない絆―家族の進化心理学」第7章「世の中は公平ではなく、政治的に正しくもない―政治と経済と社会について」。実に知りたくなる内容ですね。

  3. 環境保護というのは、考えてみればここに書かれてある通り「贅沢」ということになりますね。以前はそんな余裕もなく、自分たちの命が優先、今日を生き抜くのがまず困難だったらそんなこと考えませんよね。
    このことは保育でも他のことでも同じではないかと思いました。「余裕のある」というのは、充実したものにするためには必要なものではないかと思います。ですので、「文化」もその余裕あるところから生まれてきたものであるのではないかと予想します。同じような環境下によって形作られたものであるので、本質的には変わらないものとなるのでしょうか。

  4. 人間の進化が加速度的に進まない以上、ゆっくり向上していけばいいという安心感を味わいました。好きになった女性に前の相手の子がいて、付き合っている時は気も使うかもわからないところをいざ距離が縮まると疎ましく思えてくる、そんな想像が湧いてしまいとても切ない気分になってしまいましたが、そういうことも含めて愛するから一緒になれることが大きな愛のような気がしてきます。愛の小さな話がもう何十年も前からあるのに対して、未だにそのような感性の人もいるような気がして、人間の成長はそれだけゆっくりながらも生かせてもらっているのですから、神はとても寛大だと改めて思います。

  5. ある発展途上国の村で多肢症の子どもができたとき、その子には腕が四本あったそうなのですが、その腕を切除するか否かでおおもめしたという話を聞きました。親からすれば、本来無かったはずの腕があることで、その後の運動機能に問題が出るから手術して切除したいが、村長や村民からは、神の子だ、といってなかなかそれを許してもらえなかったそうです。自然の摂理から外れるということはそれ相応の弊害もあるということをわかってはいても、その神秘や恩恵を教授したいと願うのは人間のもっとも人間らしく醜い部分なのでしょうか。

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