父親似

DNA検査などなかった祖先の環境で、パートナーの産んだ子が自分の子どもかどうか、男たちはどうやって確かめたのでしょうか。

顔立ちが似ているかどうかが一つの手掛かりになります。自分にそっくりなら、父親は安心できます。自分に似ていないばかりか、不幸にも隣家の男にそっくりなら、実の子かどうかはかなり怪しいです。このことから、寝取られ男率が一定だとすれば、父親似の赤ん坊は、父親に似ていない、もしくは、母親似の赤ん坊よりも生存率が高いと推測されます。赤ん坊が父親に似ていなければ、父親は自分の子かどうか確信がもてず、子どもへの投資を控え、結果的に子どもの生存率は下がりますが、父親似ならこうした問題は起きないのです。したがって、進化の歴史を通じて、何代も世代が重なるうちに、赤ん坊を父親似にするような遺伝子が選択され、母親似になる遺伝子は生き残れず、父親にの赤ん坊がどんどん多くなって、しまいにはほとんどの赤ん坊が父親似になるはずだというのです。

カリフォルニア大学サンディエゴ校の二人の心理学者、ニコラス・J・S・クリステンフェルドとエミリー・A・ヒルは独創的な実験で、まさにこのことを突き止めたそうです。クリステンフェルドとヒルは、被験者たちに1歳、10歳、20歳の子どもと三人の男女、そのうち一人は子どもの実の母親か父親の写真をみせ、親と子を結びつけるよう指示しました。正解率は33%でした。もしも子どもが本当に両親に似ているなら、正解率はもっと上がるはずだというのです。

この実験結果からわかるのは、子どもはそれほど両親に似ていないということだとミラー氏は言うのです。似ているなら、偶然による正解率よりも高い確率で、親と子を結び付けられるはずなのに、そうはならなかったのです。ただし、1歳の子どもと父親を結び付ける実験では、偶然の正解率よりも有意に高い正解率になったのです。被験者たちは男児と父親を50.5%、女児と父親を48%の確率で正しく結びつけたのです。つまり、推論通り、1歳の赤ん坊は母親ではなく、父親に似ているということだとミラー氏は言うのです。

この研究結果はメディアに大きく取り上げられましたが、進化心理学でも屈指の激しい議論の的となったそうです。それというのも、論理的には全く非の打ちどころがないにもかかわらず、この結果は追試では確認できなかったからです。これまでに行われた追試では、新生児は客観的には父親よりもむしろ母親に似ており、乳幼児は父親と母親に同じくらい似ているとされているのです。さらに実験が重ねられるまで、この問題については結論を控えなければならないとミラー氏は言っています。

クリステンフェルドとヒルが行った実験に関連して、はるかに広く受け入れられ、追試でも確認された知見があるそうです。

自然が赤ん坊を父親に似せることで父親を納得させられるかどうかはともかく、母親とその親族が父親を納得させようとすることは確かです。30年間にわたって、北米のカナダ、メキシコ、アメリカの三ヵ国で別々に実施された調査で、母親とその親族が、赤ん坊をみて父親似だと言う確率は、母親似だという確率よりもはるかに高かったそうです。赤ん坊が実際には父親に似ていない場合でも、母親と母方の親族は父親似だと主張します。このことは、以前ブログでも紹介したことがあります。

父親似” への5件のコメント

  1. 似ているか似ていないか、経験的に、極めてセンシティブなことだと思っています。科学者は統計データを取得し、一定の結論を出します。数学が発展し論理学が進化し、やがて統計学がものを言う世界に至ります。これからの時代はアルゴリズムの時代と言われます。数字の世界です。わが子は父親である私に顔や体形が似ていると言われてきました。私が幼い頃の写真を見ますと確かにわが子に自分は似ていると思います。私はそれで嬉しいのですが。ところが、わが子は長ずるにつれて私の性格や考え方とは違ってきているな、と思うことが多いこの頃。むしろ、私の連れ合いに似てきている、と思うのです。似ている、とは一体どういうことでしょう?外見それとも内心?容姿それとも考え方?「赤ん坊が父親に似ていなければ、父親は自分の子かどうか確信がもてず、子どもへの投資を控え、結果的に子どもの生存率は下がります」。悲しい現実ですね。子どもは生まれながらにして生存する権利があると思っています。どんな親の下であれ。保護者と言われる人々に殺害されてしまう子どもの哀れ。神は私たちにどんなことを課題として与えようとしているのでしょうか。

  2. 父親がいかに自分の子であると確信できるかが重要かと思っていましたが、「自然が赤ん坊を父親に似せることで父親を納得させられるかどうかはともかく、母親とその親族が父親を納得させようとすることは確かです」というように、父親だけでなく、母親やその親族たちが無意識に父親似であると思うような自然淘汰がされているともなれば、すごいですね。また、これからは意図的に「お父さん似でしょうかね?」などと、出産したてのご両親に伝えることで、その後の良好な関係構築のお手伝いができるかも知れませんね。しかし、それが現実的に本当の父親の遺伝子を受け継いでいない確率がそこまで少なくないと以前学んだので複雑で難しい問題ですね。

  3. 現代日本では何だか考えにくいようなことのようにも思えてきますが、モラルや秩序というものが現代とは異なっていた時代に培われた遺伝子というものが人間に残っているということは、何となく納得してしまいます。生まれたての我が子を見た時に、どちらに似ているか、ということはまだ判別できないような感じでしたが、成長するにつれ、今はどちら似かわかるような気がします。自分に似ているかそうでないか、そんなことを気にもせずに子育てが出来ていることは、ある時代からしたらとても幸せなことなのだと、当たり前でないことはこんなところにもあることを知る思いです。

  4. 以前は当然DNA検査などの誰の子どもなのか判別する方法がなかった時に、誰が父親なのか判別する方法は誰に似ているのかくらいしか思いつきません。そのように考えると、父親か母親かどちらに似ているのか、というのは生きていくためには大切な問題であるんですね。今のように判別でき、社会的にも安心して自分の子どもを育てていけるということは幸せなことであることを感じます。逆にいうと、虐待などの問題は安心して育てていける現代だからこその問題であるようにも感じました。

  5. 母親、もしくはどちらにも似てなかった赤ちゃんは、生存率が低く淘汰されていくとするならば母親ひそれをどのような感情で見守っていたのでしょうか。論理的な話とはかけはなれた感情論になってしまいそうですが、自分の子どもが父親に愛されず淘汰されていくのを見るというのはなかなか想像しがたい苦痛であるように感じます。父親に似た子を産み落とせなかった自責の念にかられるのか、それとも仕方ないと割りきるものなのか、どうなのでしょうね。

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