無責任な男

男を無責任な親にする二つ目のファクターは、適応度の上限値が高いことがあります。胎児は九カ月間、母胎内で育ち、出生後も、少なくとも過去には、数年間は母乳で育てられるため、その間は通常、母親は次の妊娠ができません。おまけに女性の生殖可能年齢は男性のそれよりはるかに短いのです。この二つの条件により、男性のほうが生涯にもてる子どもの数ははるかに多くなります。

男にとっても女にとっても、また、すべての生物にとって繁殖の成功は重要ですが、生涯にもてる子どもの数が男女で違いますので、一人ひとりの子どもの重要度は、父親にとってよりも、母親にとってはるかに大きくなります。女の生涯の繁殖可能性に対して、一人の子どもが占めるパーセンテージは、男のそれよりはるかに大きいのです。5人の子をもつ40歳の母親が、その子どもたちを捨て、その結果子どもたちが死んだら、おそらくその母親は次世代に自分の遺伝子のコピーを伝えられず、繁殖ゲームの完全な敗者として一生を終えることになるだろうとミラー氏は言います。5人の子もちの40歳の父親が同じことをしても、彼はその後また5、いや、10人でも20人でも子どもをつくれるのです。父性の不確かさと適応度の上限値の高さが、父親を無責任な親にしているようです。

ですから、世の中には養育義務を放棄する父親はごろごろいるのに、自分の子どもを捨てたり、養育を怠る母親はきわめて少ないのです。皮肉なことに、母親が子育てに労を惜しまないからこそ、父親はますます無責任になれるのです。母親がちゃんと育てるとわかっているから、父親は安心して子どもを捨てられるというのです。離婚する子もちカップルは、互いに向かって車を走らせる肝試しゲームをやっているようなものだというのです。そして、先に怖じ気づいてコースを変えるのはたいがい母親のほうです。大半の父親は、子どもを見殺しにするくらいなら、子どもに資源を与え、育てたいと思うだろうと言います。しかし多くの場合、彼らは困難な選択をしなくてもすみます。母親は決して子どもを捨てないとわかっているからだといいます。皮肉にも、母親が献身的に子どもを育ててくれるおかげで、父親は再婚して、新たな家族に投資し、さらに繁殖成功度を高められるのだというのです。進化心理学的に説明すると、このようになるのですね。

ここで、ミラー氏はこんな注意をしています。「今までに述べてきたことは、母親が常に立派な親で、父親よりすぐれているということを意味しない。」と言います。それは、母親もときには子殺しをすることもあるからです。進化心理学は、子殺しについても論考を試みているそうです。

統計では、非常に若い母親が赤ん坊を殺す確率がきわめて高く、比較的高齢の母親がこれに続くそうです。非常に若い、10代の母親の場合、まだこれから末長く繁殖可能な年月があり、いま子どもを殺しても、将来まだまだ子どもを産めるのです。不幸な状況である、子どもに投資をしてくれる父親がいないなどで子どもをもてば、子どもが育つかどうかが危ぶまれるばかりか、自分も新たな配偶相手を見つけるチャンスを失いかねません。10代の妊娠では、こうしたケースに陥る確率が高いのです。

無責任な男” への5件のコメント

  1. ニュースですから、まぁ、特殊なケースと言えるのでしょうが、今期のコロナ禍の最中、10代の妊娠に関する相談が普段より増加しているとか。「いま子どもを殺しても、将来まだまだ子どもを産めるのです。不幸な状況である、子どもに投資をしてくれる父親がいないなどで子どもをもてば、子どもが育つかどうかが危ぶまれるばかりか、自分も新たな配偶相手を見つけるチャンスを失いかねません。」10代の子どもを持つ親として、そして割と、真面目な生活?をしてきた者としては、何とも辛辣な事実であるな、という感を否めません。「父性の不確かさと適応度の上限値の高さが、父親を無責任な親にしている」か。私も父親です。勤めている園で子どもさんが「ママがいい~」と泣き叫ぶ声を耳にします。そのたびに、パパじゃダメなの?と思ってしまう自分がいます。「無責任な」父親は、それでも、精一杯、責任を取ろうとするのです。「寝取られ男」であっても。私の知り合いで子どもがいないので養子をとった夫婦がいます。ご主人、自分の遺伝子を受け継いでいないのに、一生懸命育て、学校を出してやり、結婚をさせて、家族を持たせました。孫?が生まれました。その孫にも献身的に尽くしています。人類とはまことに摩訶不思議な存在だと思うのです。

  2. 離婚しても、母親の責任能力を見越した父親の育児放棄という、進化心理学の見方はなんとも言えませんね。多くの子孫を残す上では必要な思考なのかも知れませんが、その当事者の子どもにとってはどうなのかということを考えてしまいますが、広い意味での人類存続には重要な決断でもあるのでしょう。ただ、母親の賢明な子どもへの姿を浮かべながらも「今までに述べてきたことは、母親が常に立派な親で、父親よりすぐれているということを意味しない。」という言葉もあり、若い母親、そして比較的高齢の母親の子殺し論考もありました。進化心理学上、父親の適応度の上限値の高さが言われていましたが、必ずしも全ての母親が献身的な育児を約束するものではないことを理解しました。

  3. 何だか男性には危機感が足りないように思えてくるこの度の内容です。いくらでも子どもをつくることができるという安心感、余裕がそのようにさせるようですが、それを知識として知っていようがいまいが深層心理の中にその概念が染み付いているようで、だからこそ何の苦労もなしにその価値観に到達できるのだと思えてきます。いつだって男は女性に育てられると言いますが、繁殖の種を撒くことだけが自身の役割だと思っているのなら、感覚としては間違っていなくても、時代としては相当な錯誤の中にあると言えそうです。時代に合わせて生きることは大変なことながらも、それも今世に生まれた因果なのだと、楽しく受け止めていくことのように思えます。

  4. 嫁の出産に立ち会い思ったことは「母親には敵わない」ということでした。長男の時が印象に強く残っていますが、なかなか出てこず、赤ちゃんの頭のてっぺんは見えているのに呼吸が弱くなったので、一旦引っ込めて手術室で帝王切開という過酷なものでした。それを横で見ていることしかできない父親の自分。この差はそのまま投資の差になるのではないかと体験的に理解できます。そこまで苦労したものを大切にするのは当然のことではないかと思います。
    一方の父親は…。できることを考えてしていくことくらいでしょう。我が家では与党が母親なら父親は野党のような役割でしょうか。政権交代もないはずです。

  5. 私が大学生だった頃、望まない妊娠による人工妊娠中絶について興味があり、調べていた時期がありました。せっかくできた命を、腰を抜かすほどのペースで一年間中絶され続けているという事実に驚愕したのをよく覚えています。そういった子を棄てる行為を、最終的に病院で行うのは母親であり、いくら父親が中絶を頼んだところで、母親が同意しなければそれは行うことができないわけですから女性も男性と同様に残酷さを持ち合わせているのだと感じたのを思い出しました。

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