多くのファクター

美しい女は長期、短期の両方で繁殖成功度が高いのです。男は長期的な相手としても短期的な相手としても美しい女を好むようです。それに対して、ハンサムな男はおもに短期的な関係で有利になるだけだと言います。女は短期的な相手としてはハンサムな男を選びますが、長期的な相手としてはとくに好まないようです。長期的な関係では、資源や地位など男のもつ他の資質のほうが重要になるからです。肉体的に魅力のある男は長期的な伴侶としてはあまり望ましくありません。

そのため、肉体的な魅力は男女ともに利点になるとはいえ、男よりも女の繁殖成功度を高めるのに大きく貢献します。したがって、新仮説は、肉体的魅力のある親からは息子よりも娘が多く生まれると予測しています。ここでも、予測どおりのデータが出ているそうです。若いアメリカ人を対象にした調査では、「非常に魅力的」とされた人たちは、第一子が息子である確率が44%、したがって、娘である確率は56%です。それ以外の人は、第一子が息子である確率は52%、したがって、娘である確率は48%でした。「非常に魅力的」であれば、第一子が娘である確率が8ポイントも高くなるということになります。

ミラー氏は、あなたの周囲の男女を見比べてほしいと言います。あなたが男だろうと女だろうと、ゲイだろうとストレートだろうと、客観的にみて、女性のほうが押しなべて男性より美しいことに気づくのではないかと言います。なぜでしょうか。

簡単なことだとミラー氏は言います。もし肉体的魅力は親から子に遺伝するもので、美しい親からは美しい子、魅力的でない親からは魅力的でない子が生まれ、さらにもし美しい親からは息子よりも娘が多く生まれるなら、当然ながら世代を重ねるうちに、女性は平均して男性よりも美しくなるのです。新仮説から引きだされるこの予測もまた、データで実証されているそうです。女性の平均的な魅力の水準は、男性のそれよりも有意に高いのです。美しい親からは娘が多く生まれるから、女性は男性より美しいのだというのです。

男の子が生まれるか、女の子が生まれるかは、まったくの偶然ではなく、たとえほんのわずかにせよ、多くのファクターが影響しているようだとミラー氏は言います。一般化トリバース=ウィラード仮説で、これらのファクターが子どもの性別に影響を及ぼす進化的理由を説明できると言います。進化は、親が可能なかぎり最も効率的な方法で子どもに遺伝子を引き渡す手伝いをするのです。

雄雌の繁殖戦略が違うため、男だけが間抜けな寝取られ男になる可能性かあると以前ミラー氏は語っていました。男はうかつにも他人の子どもに限られた資源を投じてしまうことがありますが、女にはそれはありません。言い換えれば、父性は常にあいまいですが、母親が誰かははっきりしているからです。「ママのべイビーは、パパのメイビー(子かもしれない)」と言われるゆえんだそうです。

間抜けな寝取られ男は、自分の遺伝子を次世代に伝えられず、繁殖に成功できません。したがって、男には、寝取られ男になる可能性を敏感に察知し、それを防ぐような淘汰圧が働きます。彼らは生まれてきた子どもが自分の子かどうか確かめ、確信できた場合にのみ、その子に投資するでしょう。

多くのファクター” への5件のコメント

  1. 「客観的にみて、女性のほうが押しなべて男性より美しいことに気づくのではないか」というミラー氏の言葉がありました。女性は「美しい」という表現をしますが、男性には「美しい」という表現はあまりしません。男性に美しいと使うと、むしろ嫌がれるかもしれません。また、男女カップルをみても、一般的に美しい女性と平均的な男性のカップルが多い印象です。「女は短期的な相手としてはハンサムな男を選びますが、長期的な相手としてはとくに好まない」ともあり、進化的要因があることが理解できます。そして、男女性比が偶然ではなく、なんらかの要因が関連しているということでした。男女で繁殖戦略が異なり、男性は自分の子でない子を養うことにならないよう、「嫉妬」や「疑い」という女性に対して敏感な反応を示す傾向があるのだと感じました。「ママのべイビーは、パパのメイビー」というのはうまいですね。

  2. 私の知り合いには何人かですが、子どもに恵まれず、養子縁組によって子どもを授かっている人たちがいます。私の知り合いの何人かには望んでかそうでないかはわかりませんが、子どもがいない夫婦も何組かいます。遺伝子を残す。生物としての課題だとするなら、以上の人たちは課題を果たせなかった人々ということになるのかもしれません。「肉体的な魅力」ということと繁殖ということ、よく理解できます。メスが求めるのは肉体的魅力を持ち、強いオスでしょう。ホモサピエンスの社会においてもその基本は変わらないような気がします。自分のことを考えます。年齢を重ねることには良い面もありますがそうでない面もあります。繁殖ということ、自分の遺伝子を残すということでいえば、加齢は極めて不利なことではあります。これが生物界の偽らざる真実でしょう。「ママのべイビーは、パパのメイビー(子かもしれない)」。これも生物界の真実でしょう。私はこの言い回しの残酷さ及び不都合な真実を知っています。このことにより疑心暗鬼で苦しむホモサピエンスは身近に存在しているのです。まぁ、科学者の特性としてこうした言い回しができるのでしょう。

  3. 〝進化は、親が可能なかぎり最も効率的な方法で子どもに遺伝子を引き渡す手伝いをする〟このような方法で淘汰圧がかかり、人類は進化していくことを感じます。もし、自分にもう一人子どもが欲しいとして、産み分けを実践しようとしてもそれは付け焼き刃であることになるのでしょう。その時だけどうにかしようとしても、自分のこれまでの生い立ちや日常、どんな風な考え方であるのか、性格などいろいろな要素が絡まり合って一人の赤ちゃんが我が子としてこの世に生まれてくること、そんな風に考えると、自分の日常を見つめ直す機会にもなります。やはり、子が産まれるということは神秘的な大いなるものであることを感じます。

  4. 女性の美しさも淘汰圧の中で産まれたものとはとても興味深く思います。そして男は容姿よりも秀でるものがあれば、ということで益々やる気の出てくるところです。魅力も追求すればきっと終わりのないものであることでしょう。男性においてはその追求は容姿だけでない部分に比重を置いても間違いではなさそうで、仕事に熱中したり、本を読んだり、そう思うと確かにテレビで活躍されている男性の方々、ハンサムだけでない魅力が沢山ある方々がとても多いような気がしてきます。

  5. 町を歩いていると、失礼ではありますが甘利にも容姿が不釣り合いな男女の二人組を見かけることがあります。いわゆる美女と野獣というやつですが、逆に女性側の容姿が男性側より明らかに劣っているという二人組にはあまり出会いません。女性は美しいことが有利に働くとわかっていても自分の娘が父親のハンサムではない遺伝子を受け継ごうとも気にしないものなのでしょうか。逆に男はより見た目のよい女性を選ぶということは、娘によりよい生活をさせてあげたいと本能で感じているということでしょうか。

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