生理的・心理的変化

もし、「母は強し」、母性というものの根拠を、妊娠出産にともなう生理的・心理的変化に求めるとすれば、母性同様、父性もあってもおかしくないと斎藤氏は言います。というのも、父親でも配偶者の妊娠・出産にともないホルモンの値が変化することが知られていますし、原初的没頭も、母親に比べ弱いながらも見られるそうです。父親は授乳できませんが、子どもとかかわることでオキシトシンの濃度が上昇するそうです。

また、子どもの主な世話役を担うと、父親にも母親と類似した、対乳児発話と呼ばれる高い声での話しかけや、ほほえみなどの行動が見られます。母親の存在・かかわりが子どもの発達に重要であるとされますが、父親の存在やかかわりも子どもの学業成績や情緒的発達に影響を与えるということがわかっています。このように見てみると、母親だけではなく、父親にも子育て能力の存在を認めたほうがよいのではないかと斎藤氏は言うのです。もちろん子育ての能力に個人差があるのは、母親も父親も同様だと言うのです。

母性神話が本当であれば、そうはならないだろう、という事実もあるそうです。実母による虐待は、その最たる例と言えるかもしれないと言うのです。虐待とは行かないまでも、「子どもをかわいいと思えない」といった母親の子どもに対するネガティブな感情が問題視されがちですが、それは、共同保育で子育てするように進化してきているにもかかわらず、周囲からのサポートを十分得られない状態で子育てをしている人たちの反応と考えることも可能だというのです。また、育児不安という現象も、1980年代頃から注目されるようになりました。実際に、専業主婦として育児に専念している人のほうが、仕事を持ちながら育児をしている人よりも、育児ストレスや、夫や子どもへのネガティブな感情が大きい傾向があるというデータもあるそうです。この事実は、母性神話が「神話」であることを如実に表していると言います。

1980年代頃に子育てを始めた世代は、核家族化した中で育った人たちです。自身が年下のきょうだいや近隣の子どもとかかわる経験が少なかったために、育児不安という現象が見られるようになったのではないかと言います。また、20世紀前半頃までの日本の女性の一生は、早くに結婚し、子どもを産み続け、最後の子を育て終わる頃に死ぬか、孫の子育てをして死ぬ、というものだったと斎藤氏は言います。しかし産業化以降は、少子化が進んでいます。医療の発展のおかげもあり、乳児の死亡率は格段に下がりました。子どもは「授かる」ものから「つくる」ものになり、親は少ない子どもを大切に育てる、少産少死社会となりました。長子出産から末子出産までの出産期間は、10年以上だったものが2~3年と短くなり、長子出産から末子就学までの期間のいわゆる子育て期間も20年近くだったものが10年未満へ短縮されました。かたや寿命は延び、子育て終了後の期間が非常に長くなりました。母親業を勤め上げるだけでは、人生は終わらなくなったのです。

日本では、女性の就労率は年齢を横軸に取るとM字型となっており、谷のカープが浅くなってはきたものの、結婚や出産でいったん離職する人が多いのが現状です。経験や知識、身近で支えてくれる人が少ない中、ひとりで子どもの相手だけをしていると、社会から隔絶された感覚に襲われ、子育て後の長い人生を思うと、育児ストレスを感じたり、現状・将来に不安を抱いたりするのは不思議ではないと斎藤氏は考えています。