柔軟な離乳

ほかの霊長類とは異なり、ヒトでは、男女や子どもがそれぞれ獲得してきた食物を分かち合い、特に大人から子どもに積極的に食物を提供します。ヒト以外の霊長類でも母子間や大人間で食物を分配することはありますが、他個体が食物を取っていくのを黙認するという側面が強く、ヒトのように積極的に分け与えることはまれだそうです。こうした特徴のため、ヒトの子どもはスキルが未熟で体力が弱くても、肉や根茎など、獲得が難しいけれども栄養価の高い食物を多く食べることができ、病気や怪我をして一時的に食物を獲得できなくなっても、飢え死にすることなく、回復し生きながらえることができます。

離乳が早く柔軟であることも、ヒトの多産な性質に貢献しています。授乳中は母親の体内で分泌されるホルモンの濃度が変化し、栄養条件がそこまでよくなかった場合、排卵サイクルが停止し、妊娠できない状態になります。そのため、出産間隔を短くするには、離乳を早める必要があります。しかし、ヒト以外の霊長類では、離乳が終わると子どもは自力で生きていかねばならないため、まだ独立できない状態で無理に離乳を早めると、子どもは餓死したり捕食されたりしてしまいます。一方ヒトでは、離乳後も大人が子どもに食物を提供するため、子どもの死亡率を増加させることなく離乳を早められます。また、授乳中は乳を出せる母親の存在が必要ですが、離乳が終われば、ヒトでは共同保育と食物提供によって、母親がいなくとも子どもを育てられるようになり、母親は時間やエネルギーを次の子どもの妊娠に割り振ることができます。こうした特徴のため、平均的な離乳年齢は、チンパンジーで4~5歳、オランウータンでは6~7歳ですが、工業化していないヒトの社会では2~3歳と早くなっています。さらに、ヒト以外の霊長類の離乳年齢はそこまで融通のきかないものですが、ヒトの離乳年齢は柔軟で、全体の分布を見ると0~6歳といった広い幅があります。

このように、ヒトは、食物提供によって、子どもの死亡率を低下させ、条件に応じて早く柔軟に子どもを離乳させ、出産間隔を短くできるようになりました。さらに、共同保育によって、子育ての負担を母親以外にも分散させ、上の子どもがまだ独立していない段階で下の子どもを産み、手のかかる子どもを複数同時に育てられるようになったと蔦谷氏は言います。

長い時間をかけて進化してきたヒトの子育てに関する性質が、現代の社会・文化の状況とミスマッチを起こしている例があると蔦谷氏は言います。たとえば、20世紀になって子育ては核家族などのごく狭い関係に閉じられるようになりましたが、共同保育によって分散させていたコストや苦労が特に母親に集中し、虐待や自殺など、時に母子の命を危険にさらすほどのストレスがかかることになったと言います。また、帝王切開で産まれる子どもの数は世界的に増加し続けていますが、帝王切開で産まれた新生児は、膣を経由する際に獲得するはずだった、母親の持つ細菌の一部を受け継ぐ機会を失っており、免疫関連の疾患などにかかるリスクがわずかに増加することがわかっています。商業主義の粉ミルクが市場を席巻した結果、ヒトの早く柔軟な離乳が極端に走りすぎ、母乳のもたらす免疫的な防御を受けられずに亡くなる乳幼児が増加したという痛ましい過去もありました。進化によってヒトという動物の性質が生物学的に変わっていく速度より、ヒトをとりまく社会や文化の状況が変化する速度のほうが圧倒的に早いため、こうしたミスマッチが起こっていると蔦谷氏は分析しています。