ちょうどよいバランス

親は、自分が持っている資源に対して、個々の子にどれだけ手間をかけるのか、という問題もあると平石氏は言います。それを彼は、こんな例を出しています。たとえば、ある親が持っている資源の合計を50として、そのうち子育てに使えるのが10だったとします。その10を子一人にすべて使うのと、二人に5ずつ使うのと、どちらがより多くの子孫を残すことにつながるのでしょうか。一人にかける手間が5でも10でもその子の生存確率に大きな差がないのならば、二人に5ずつ配分するのが「正解」だというのです。しかし5から8に増やすことで大幅な効果があるならば、ほかに回す資源を削ってでも、二人に8ずつ合計16の資源を子育てに使うのが、最適となるかもしれません。全く逆方向に、一人に0.1ずつにして100の子を産むほうが、子孫の数という点ではよい場面もあるでしょう。同時に産む子の数だけでなく、出産間隔も同じような意味を持ちます。1年に何度も出産するのと、数年間隔で出産するのとでは、話がたいぶ違ってきます。

さらにややこしいことに、親にとってちょうどよいバランスと、子どもから見たそれは必ずしも等しくないと平石氏は言います。親にとって「二人に5ずつ合計10がベスト」であっても、子からすれば「自分に10、弟に4がベスト」かもしれないというのです。彼は、これは人間くさい話に聞こえるかもしれませんが、ヒトでもヒト以外でも理屈は同じだというのです。

こうして子育てにかけられる資源の量と、子どもにかかる手間の大きさが決まってくると、それをだれが負担するのか、という問題が立ち現れてくると平石氏は言います。一人で子育ての手間が十分にまかなえるとなると、父親と母親のどちらがそれを担うか、夫婦の葛藤が生じると言います。両親のかかわりが必須な場合であっても、ズルして自分の負担を逃れようとする者が出てくるかもしれないと言うのです。鳥類やほ乳類など、受精がメスの体内で生じる場合、オスからすれば、生まれてきた子が自分の子である保証は100パーセントではありません。父性が不確実ならば、オスは子育てへの投資に消極的になるかもしれないというのです。

他方で、親以外の個体が子育ての負担を担うよう進化が働くこともあるようです。平石氏が自然淘汰の説明をした時のA型病の話を考えると、淘汰されるのは「A型の人」ではなく「A型の遺伝子」だったことに気づきます。つまり進化で重要なのは、遺伝子を残していくことなのです。血のつながった子どもの成長を助けることで自分の遺伝子を増やせる可能性があるので、きようだいや親戚が子育てに参画する場合も出てくるということになるというのです。

平石氏の、どうして子育てをするのか、誰が子育てをするのか、どうやって子育てをするのかという説明は、とても興味がわきます。少し理屈っぽさも感じますが、確かのそうなるのだということも納得します。このように子育てには、その動物の暮らしがさまざまにかかわってくることはわかります。それぞれの動物によって、どれくらいの大きさの動物で、何を食べているのか。誰と誰が一緒に暮らしているのか。もしくは単独生活者なのか。一度に産む子の数はどれくらいで、どのくらいの頻度で出産するのか。子どもの成長にどの程度の手間がかかるのか。随分と様々ですが、その中で人間はどうなのでしょうか?