自然淘汰

顔以外のこと、たとえば双生児二人の「賢さ」や「人柄」のそっくり度を調べたら、どのようになるかについては、数十年にわたって研究が行われてきたそうです。その結果、二卵性双生児の「賢さ」や「人柄」の類似度は、一卵性双生児のそれと比べると、ほどほどでしかないことが明らかになってきたそうです。すなわち、普通のきょうだいと同じくらいにしか似ていないのです。つまり、子どもの「賢さ」や「人柄」に、家庭環境が与える影響はかなり小さいようなのです。

それでは子育てに意味はないのでしょうか。そんなはずはない、と平石氏たちは考えているそうです。同時に、そんなにがんばりすぎる必要もない、とも思うというのです。人間社会にも、放任から過保護まで、さまざまな子育てのスタイルがあることは知られています。人間以外の動物にまで目を広げた時、そのバリエーションはさらに広がります。さまざまな動物が、それぞれが置かれた場所で、それぞれのやり方で子育てをしています。誰にでも当てはまる、誰もが従うべき「子育てを成功させるたった一つの正解」などというものは存在しないと平石氏は言うのです。「そんなにがんばりすぎる必要はない」とは、そうした意味だと言います。

他方で、ヒトの親が子を愛おしく思うことが無意味とも言えないと言います。ほかの動物の子育てを知ると、逆にヒトの子育ての特別さ、不思議さ、その意味が見えてくると言います。そこで、本書では「子育てにはさまざまな姿がある。あって当然である」ということを「進化」という視点を軸に平石らは考えていきます。そこで、まず、進化とは何なのか、進化の視点から子育てを考えるとはどういうことなのか、そんなことを彼は紹介しています。

新聞やテレピ、ネットなど、さまざまな媒体で使われている「進化」という言葉は、しばしば平石氏らが使う「進化」とは違うものだと言います。彼らは、「自然淘汰による進化」について考えていきます。では「自然淘汰」とは何でしょうか。「淘汰」という日常あまり使わない熟語が使われていますが、もともとはselectionという英語です。セレクション、つまり選別です。自然に選別される、といった意味合いが「自然淘汰」という言葉にはあります。

平石氏は、ある架空の病気を例に説明しています。人間にはABO式血液型があり、誰もがA型、B型、AB型、またはO型のいずれかの血液型を持っています。どの血液型だからといって、人生が極端に困難だったり、逆に楽勝モードだったりということはありません。さらに、血液型で性格はわからないことははっきりしています。ところがある日、A型の人だけが罹患し、そして患者は男女問わず不妊になってしまう「A型病」という不治の感染症が発生したとします。世界はどうなるでしょうか。A型病にかかったからといって死ぬわけではなく、むしろ患者の健康状態は以前よりよくなるとします。しかしどれほど健康になり日々が充実していても、A型病患者は子孫を残すことがありません。そのためA型の人が産む子が減り、A型の遺伝子が段々と減っていくと推測できます。いずれ世の中からはA型と、そしてAB型の人もいなくなるはずです。これが自然淘汰による進化です。