言葉の役割

森口氏の考察の中で、私はいくつか気がついたことがありました。その一つが言語の役割です。言葉は、他の人と話すためという役割があり、コミケ―ションツールであることは誰でも知っていることです。そして、一時、言葉を話すことがヒトの特徴であると言われたこともあったほど、重要な役割を持ちます。その能力を子どもたちはシ団に発達によって身に付けていきます。しかし、その発達は、単に音声として発声することだけでないこと、しかも赤ちゃんはその意味を知らず知らずのうちに理解していることにあらためて感動しています。

その一つに、私がプライベートで主催している勉強会で皆に提案した「象徴機能」があります。まず、皆でヘレン・ケラーの幼いころに家庭教師との触れ合いを描いた「奇跡の人」という映画を見ました。ヘレン・ケラーという人は、視覚と聴覚の重複障害者でありながらも世界各地を歴訪し、障害者の教育・福祉の発展に尽くした人として有名です。彼女は小さい頃には、言葉の意味が分かりませんでした。手話で単語はわかっても、それが何を表しているかがなかなか理解できなかったのです。それが、赤ちゃんがわかるようになるということから、どこが違うかというと、ヘレン・ケラーは重複しょうがい者であったということです。言葉が何を意味するかという理解は、視覚、聴覚が重要な役割をしているということなのでしょう。しかし、ヘレン・ケラーは、そのことを理解したときから、すべてのことを理解しはじめるのです。

この逸話から私たちが学んだことは、言語は必ずしも人とのコミュニケーションという役割だけでなく、言葉は、そのものの意味を理解するための象徴であるということです。森口氏は、この点をこのように表現しています。「言語に対して、子どもは成長とともに考えるためという役割も持つようになります。1歳から2歳頃にかけて、子どもが話し始める頃、言葉は純粋に何かを伝えるために使用されます。『あれとって』とか、『あれなあに』など、親や周りの他者とのコミュニケーションのために言葉は使われます。それが、成長とともに、子どもは考えるための言葉も発するようになります。周りに誰もいないのに『これなんだろう』とか、『これすきなうただ』などと発するようになります。」

このような行為を「独り言」と言い、子どもは、次第に、他の人と話すための言葉と、考えるための言葉が、両方とも言葉として出てくるようになるというのです。確かにヒトは、日常的に、頭のなかで考えるために言葉を使っています。森口氏は、「今日の夕飯のおかずは何にしよう」とか、「明日会社休みたいなあ」などのように、自分だけのために使う言葉があるといます。大人になると、こういう自分のためだけの言葉が、ポロッと独り言として口をつくことがあると言うのです。

これらのことを知ることによって、私は言葉のある役割を赤ちゃんが用いることに気がつきました。それは、考えるツールとして使用する前に、象徴機能を獲得するための基礎として、具体物を自分自身で確認するための行動をすることです。それは、以前ブログで取り上げた「指差し」です。赤ちゃんの指差しは、人に教える手段として使うほか、自分で物を確認するために使います。それは、大人でも行う「指差し確認」と同様な効果がある気がします。そのような意味で、「言語」を使い始める気がしています。これは、子ども観察からの考察ですから、研究者としてのエビデンスとは違うアプローチかもしれませんが、実際に毎日赤ちゃんと接している人であれば、経験していることでしょう。

言葉の役割” への6件のコメント

  1. 言葉の持つ意味なんて深く考えたこともありませんでしたが、他者とのコミュニケーション手段でもあり、物事の意味を理解するための象徴の一つであるということなのですね。また、視覚や聴覚が使えないヘレンケラーは、いったいどのように意味を理解していったのでしょう。残りの五感には触覚と嗅覚と味覚があります。その3つをフル活用したという想像はつきますが、根気のいる関わりであったのでしょうね。私たちは、ほとんどの子どもが視覚や聴覚が正常に機能する子どもたちと関わっています。普段は何気なく言葉を使ってコミュニケーションをとったりしています。伝わっているのか伝わっていないのかで、発達を理解することもあります。しかし、言葉を話していなくとも、考えるツールとしての機能の基礎を育んでいると理解すると、「指差し」にしっかりと反応することが重要であるとわかりました。

  2. 赤ちゃんにとって象徴機能の重要さは、その後の人生に深く関わると思います。赤ちゃんの指差しを目撃することがあります。何を指し示しているのか?言葉として発出されなくても、概念として赤ちゃんは認識し、指差し行動に出るのではないか。そうすると、言葉として口から出なくても、概念自体が存在しているとする。ならば、言語を伴わない行動、ボディーランゲージ、はそれなりに言語的意味を持つということが言えるような気がします。目は口程に物を言う。NHKの「ダーウィンが来た」という番組をよく観ます。動物たちの行動が紹介されます。そのたびに、彼らも私たち同様の言語を有しているのだろうな、と思うのです。そして、象徴機能をフル回転させて、生き残りを懸命に図っている。私たち人間も動物です。分をわきまえた生きざまが求められていると思います。そもそも、生きている、というのは基本、そういうことなのでしょう。赤ちゃんは立派な人格者ですね。

  3. 言葉の役割

    言葉を単にコミュニケーションツールとして考えていくだけでなく〝言葉は、そのものの意味を理解するための象徴である〟と捉えていくと、普段から気をつけて伝えて行かなければならないことを感じます。子どもとの間で何気なく使っている言葉。子どもとの会話を通して、発達を見極めようとしたりすることもあります。それが理解しようとするためのものでもあると考えること自体、自分には無かった思考になり新鮮です。
    ヘレン・ケラーさんはどのように言葉の意味を理解していったのでしょう。触ることで、匂いで、味わうことで…。感覚の内の2つが使えないとどのような世界になるのでしょうか。以前、目が見えない世界を体験できるアトラクションに行ったことがありますが、大変なものでした。ヘレン・ケラーさんの理解の獲得には想像し得ない苦労があったのだろうと思います。

  4. 「言葉は必ずしも人とのコミュニケーションという役割だけではなく、言葉はそのものの意味を理解するための象徴である」なるほどと理解できる部分と、つまりどういうことだ?と疑問に思う部分と半々の理解でしかないのですが、確かに自分の気持ちを「言葉」という「表現」にのせて、形づくることで自分自身の行動を確認することはあります。つまりこのプロセスに関していうと、赤ちゃんの指差し行動も、大人の指差し行動のように、指をさした先を知らせるというコミュニケーションという意味合いではなく、指をさすことで赤ちゃんなりに見るものを確認したり、「見る」という自分の行為そのものを確認するためのものであるということでもあり、それは独り言のプロセスと同じということも言えるのではないかということと理解しています。人に何かを伝えようとする前に、自分のことをやろうとしていることを表現し、整理することから始まるというようにすら感じます。そう思うと赤ちゃんの指さしというのは、自分にベクトルが向いている手段なのかもしれませんね。自分の解釈があっているのかいささか不安ですが、もう少し整理しながら見ていきたいと思います。

  5. 私たちは自然にそれを獲得していきましたがよく考えると言葉を覚えるというのは、とてつもなく壮大で途方もない作業ですよね。名詞に形容詞に動詞に固有名詞にと、同じものを指していても違う意味のものがあったり、その逆もあったりですから4.5年でほぼ問題なく習得する人という生き物の潜在能力の高さを感じます。ただ言ってしまえば起きている約15時間程365日ほぼ常に言葉の勉強ができる環境におかれているのですから、他のピアノやスポーツなどのどんな分野でも同じだけ練習すればそれなりに能力を得ることはできるということですね。それだけの練習に耐えうる体力があればの話ですが。

  6. 象徴機能の発達に言語が関係していた、それを促す為に独り言を言っていた、そして言葉を発せない時期から指さしをすることでそれを成立させてきた、子どもの進化を知るかのようで、とても興味深く思います。
    ヘレンケラーの映画は素晴らしかったです。白黒の画面が、ヘレンが水を理解した瞬間に、色を帯びたような感覚になりました。きっとヘレンの脳内にも言葉というような、水そのものへの理解が色彩を持って現れたことでしょう。それからの彼女の功績を見ても、とても偉大なことであり、その彼女を育てたサリバン先生という存在もまた、とても偉大なものです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です